6/16(日)

 

店員の姿が見えないオートメーション化された横浜郊外の自遊空間の寒々しい空虚感には、妙な感慨があった。お金がない、とはこういうことなのだ。ネットカフェに泊まるような人間は、このこぎれいに整理整頓された孤独な空間に何も感じなくならなくてはならないのだ。今まで目撃した最もウエルベック的な光景かもしれない…これだったら、そこかしこにアダルトグッズの広告が貼ってある個室ビデオの方が、店員も(風俗店あがりだから)親切だし、まだ心が安らぐ。

 

10:00放送ライブラリーへ。阿久悠原作、野沢尚脚本の88年単発ドラマ「喝采」観る。18年前に大ヒット曲を出してから鳴かず飛ばずの演歌歌手に桃井かおりが扮する。彼女に私生活を投げうってつかえるマネージャーが小林桂樹なのだが、実は彼は中学時代の桃井かおりに教えていた理科教師。放課後の理科室で彼女の処女を散らしてしまった罪悪感から20年近く彼女に奴隷のように尽くしていたのだ!小林桂樹が売れっ子作詞家に新曲を書いてもらうためにとりつかれたように追い回す描写が鬼気迫る。

野沢尚脚本×鶴橋康夫演出のドラマはやはりできる限り追わなければならない…と思わせるに足る傑作。

 

 

お昼休憩はさんで、山田太一脚本の74年「真夜中のあいさつ」観る。

 

せんだみつおが恋に悩む純情な飛行機整備技師の青年に扮し、彼の恋の進展が深夜のラジオ放送で毎週報告されることによってリスナーたちの人気を得るが、せんだのあこがれの女性(あべ静江)はその事実に自分が馬鹿にされたように思い、傷つき去っていく…。

クライマックス、あべ静江が急遽ラジオマイクに自分の意志で話すときの声に漲る切実なリアリティに息をのんだ。セリフ的には孤独な人々をつなぐ「ラジオ」というメディアについて話しているのだが、もしかしたら彼女は自分が今は始めたばかりの「歌」や「アイドル」という仕事について、私事として引き付けて想い、語っていたのではないかとも思う。今まで中古レコードのシングル盤でよく見かける綺麗な人、以上の興味がなかったあべ静江という人に初めて親近感を持った。まあ、考えてみたら『トラック野郎 爆走一番星』とか『冒険者カミカゼ』とか出演作は見ていたはずなのだが。少なくとも、これほど等身大の女性として真正面から魅力的に撮られた作品はないように思われる。

 

終わって、東横線から渋谷に出て、神保町。猫の本棚に行く。樋口尚文さんにお会いしたら、「野沢尚「この愛に生きて」のシナリオの全話って、どうやったら読めるかご存じではないですか」ときこうとおもっていたのだが、いらっしゃらず。残念。藤井淑禎「90年代テレビドラマ講義」を買って出る。

 

矢口書店で北川悦吏子「素顔のままで」のシナリオが数話収録された「ドラマ 92年7月号」、野沢尚と鶴橋康夫の対談収録「ドラマ 99年7月号」、野沢尚「親愛なる者へ」シナリオ集(今では考えられない凝った作りで、90年代ミニシアターパンフデザインのセンスの延長線上にある)を購入。ヴィンテージで金子修介「咬みつきたい」パンフ(成美さんの素晴らしいスチールが掲載されている…これは買ってよかった)。神保町シアターに今度の「90年代邦画特集」のパンフをもらいに行く。『ラストソング』がスクリーンで見られる日までへこたれてはならない…。神保町シアター前のエロ本屋で野沢尚『私たちが好きだったこと』所収の「シナリオ 97年10月号」を220円で見つける。サンクルカフェで「素顔のままで」シナリオ読みながら寝る。

お茶の水のユニオンへ。山本俊輔 佐藤洋笑「永遠なる「傷だらけの天使」」、藤木TDC「醜聞聖書」購入。

 

20時過ぎ、ゴールデン街西瓜糖に行く。上條さん、途中から来た児玉くん、中山くんと飲む。「もうほとんど映画に興味が持てない」「こんなに大衆的な文化(テレビドラマ)を探求しているのに、どんどん孤独になっていく気がするのはどうしてなんだろう…」と愚痴ってしまう。

中山くんに連れられ、草野さんの働くビリーに行く。インスタでつながっている草野さんが気を利かせて「安田成美」というフレーズを振ってくれたのが運の尽きで、上條さんの店ではセーブできていた想いが溢れて涙声になってしまう。もう真人間には戻れないのだろう。人並みの幸せなんか、もう僕にはないんだと宣言。そんな宣言されてもみんな困っただろうけど。

 

歌舞伎町の金太郎に泊まる。