6/15(土)

 

早朝起きて6:50発佐久インター南のバスに乗る。バスの中で今野勉ほか「お前はただの現在にすぎない」読みながら爆睡。

約三時間後練馬で降りて西武池袋線経由で東横線に乗ってそのまま横浜の放送ライブラリーへ。所定の時間内に効率よくみられるように、事前に手帳に書き込んでいたコードを打ち込んで、「並木家の人々」第一話を見る。冒頭からやや風邪気味の成美さんが「お兄ちゃん、今度のお見合いよそうと思うの」とぶつぶつつぶやきながら歩くところから引き込まれる。当然だが、シナリオ集で読んで想像していた何倍も成美さんがいい。ニッキー・ホプキンスの音楽のダサさにはびっくりしたけど…。でもサントラもほしい。

続いて、これも現在ではここ以外で見るチャンスのない「ヴァンサンカン・結婚」第一話見る。冒頭、小林稔侍の胸に顔を埋めて甘え、別れ話を切り出されて泣く成美さんという、あんま見たくなかった感じの画から始まる。91年の作品だが、2年前の「同・級・生」と同じく菊池桃子と共演。しかも菊池桃子が心底いやな女の役で、高校時代以来久々に再会した成美さんを貶めるためにグイグイ食い込んでくる(安田成美さんの役名が「朝子」なのだが、その飼い猫の名前が「ヨル」だときいて「バッカみたーい」とあざ笑う)。一話を見た限りだと、演出はあまりケレン味のない代わりに洗練されてもおらず、二年前の「同・級・生」より古いドラマにも見えなくもない(ただ、成美さんが胃カメラを呑まされるシーンの、奇妙なエロティシズムは忘れ難い)。一話のラスト、出会って数回でいきなりプロポーズした石黒賢と成美さんがどうなるかは正直そんなに気にはならないが、これだって全話見たいに決まってる。今の私にとって、どんな安田成美さんのイマージュも重要だから。

「愛していると言ってくれ」で、「あなたの描いた絵は、私にとってはどれも大事なの」と豊川悦司に涙ながらに訴える常盤貴子の気持ちが今すごくよくわかる。

 

放送ライブラリーを一回出て、駅中のローソンで昼食買ってベンチで食べる。少し歩けば中華街もあるのに、天気だっていいのに、僕は4時間もかけて横浜まで来て、ただモニターの前に座ってる…。

 

ライブラリーに戻って、山田太一ドラマ「兄弟」「三人家族」の第一話をそれぞれ見る。

そのあと、76年の東芝日曜劇場「なつかしき海の歌」観る。

 

↑この四人がこんなに仲良く並ぶ画は本編には一瞬もありません…。

 

全身全霊を賭けて駆けずり回る加山雄三の叫びと、それでも救うことが出来なかった、薄暗いスナックの片隅のテレビを見つめる浅田美代子のらんらんとした瞳の輝きに打ちのめされる。

山田太一先生がすごいことは前から重々知ってはいたのだが、そんな人間でも「いくら何でもこんなに凄いのかよ」と動揺させられる。「高原へいらっしゃい」や向田邦子「家族熱」も手掛けた福田新一の演出も本当に無駄がなく素晴らしい。CMを抜かしたランニングタイムは75分ほどに過ぎない。なのに、これほど、深く、やるせなく、しかも重層的に人間を描くことは可能なのだ。人はそのことに驚いたり、希望をもったり、あるいは絶望したりもっともっとするべきなんだと思う。

 

ふらふらになりながら、渋谷へ。イメージフォーラムで発券する。いつも行ってたエクセルシオールが混んでて入れず。しかたなく青山ブックセンターで時間をつぶす。

 

18:30イメフォで『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』。上映直前に、僕のすぐ近くの席に哀川翔が普通に座ったんでびっくりする。映画を観ながら、Vシネで調子に乗っているときの哀川翔特有の「ヒャヒャヒャ」みたいな笑い声がたまに実際に本人が座ってるところから漏れ聞こえてくるから、もうそれだけで感無量。映画自体は初見。想像していたような何でもありのキワモノでは全然なく、今となっては格調すら感じさせる素晴らしい不条理劇。これほど切れ目なく濃厚な映画の画面が連続する作品が、本当にビデオスルーでよかったのか、というか本当にビデオで見ただけで価値がわかるものだったのか。スクリーンで一回しか見てない僕にはよくわからない。

 

「なつかしき海の歌」はたぶんテレビにしか出来なかった表現の極点であり、『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』は映画にしか出来なかった表現の(あくまでひとつの、だけど)極点なのだと思う。この二つにこの日出会えて、良かった。

 

終わって、また東横線で横浜方面に向かう。明日も朝から放送ライブラリーに行くため、適当なネットカフェを見つけて(どこだったか思い出せない)泊まる。