6/2(日)

 

この一週間、仕事しながら休み時間に野沢尚「映画館に、日本映画があった頃」読む。「北野武との仕事のことがなんか書いてあるかな」と数ヶ月前に古本屋で軽い気持ちで手に取ったのだけど、今の私にとって連載当時に執筆・放映された「この愛に生きて」について実作者の熱量に満ちた文章が読める本として光り輝いている。

「この仕上がりなら、例え数字の戦争に負けたって構わない。見ないお客の方がバカなのだ。」

 

脚本家デビュー作『V・マドンナ大戦争』のヒロインに当時18歳だった安田成美さんを推薦していた話も知らなかったし、それが『マリリンに逢いたい』『ラストソング』を経て「この愛に生きて」に結実した事実は美しい。未見の「リミット もしも、わが子が…」も観なければ。

しかしこの本の執筆された当時子どもが生まれたばかりだった野沢さんが、しきりに20年後子どもに誇れる仕事がしたい、とか将来のビジョンを語っているのを読むと胸が痛む。この時期の彼の繊細な感受性やロマンチズムが特に「この愛に生きて」の終盤に最も集約されているのだと思うけど…。

 

並行して、FODで野沢尚「親愛なる者へ」を毎日見て涙し、中島みゆき「浅い眠り」を口ずさむ日々である。愛妻家であり子どもを愛していた野沢さんにとって、「夫婦」や「子ども」が失われること、壊れることの苦しみは強迫観念のように反復しなければならなかったものなのだと思う。


VHSで「恋子の毎日Ⅱ」(88)観る。小林薫演じるやくざがマンション建設反対の住民運動に参加させられる、という物語自体が一作目より面白いのだが、なによりいいのが2年前の前作と大幅に異なるビートたけしの顔つきであり、芝居の質。フライデー事件を経て、明らかにこの人の中でやくざという存在への洞察が豊かになっている(傷害事件を経て人が成長する、ということを素直に肯定できない気持ちもあるが)。また、クライマックスのヤクザ事務所への殴り込みシーンのチンピラ役で寺島進さんが出ていることを確認できたのも収穫。ノンクレジットながら、翌年の『その男、凶暴につき』への重要な布石だろう。