5/1(水)

 

仕事後、帰宅して「この愛に生きて」第四話を観る。「別れて下さい、ごめんさない、許してください」とホテルで岸谷五朗に頭を下げる時の安田成美の声の震え。

 

ぼーっとしていると、このドラマの安田成美のことばかり考えてしまう。熱に浮かされたよう。クールダウンさせるために、ファンザで荒木太郎『未亡人の性 しっぽり濡れて』観る。

 

5/2(木)

 

仕事後、帰ってぐったりしながら山田太一「時にはいっしょに」を読みだす。一日一話分を目標に。

 

寝る前に「この愛に生きて」5、6話つづけて。ここからの鬼展開が本当に凄まじく、観た直後に寝たら悪夢を見て朝までうなされてしまった。夫と両親の前で自らの過失を告白してしまう安田成美と共に、私も呪われてしまったよう(この場面の、自分の意志というより何者かに憑りつかれたかのようにしゃべりだす彼女の芝居も衝撃的)。

いまおかさんの『れいこいるか』との共通点も興味深く感じた。たぶん、小さい子どもを持っている大人にとって、絶対に起こってほしくない最悪のことの臨界点がここにあるのだろう。

 

5/3(金)

 

仕事後、帰宅して読書。

 

「この愛に生きて」7話観る。文字通り抜け殻のようになって「堕ちていく」安田成美。しかし、どれほど捨て鉢になっても失われない張り詰めた実存的な美しさには、『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナの面影が重なり合う。

安田成美の狂おしいほどの美しさが、周囲の人間を突き動かし、「事件」を生み出す強力な磁場となって物語を駆動させていく。

60年代の日本映画ならいざ知らず、90年代のTVドラマというメディアの中でこれほど圧倒的な「女優」の作品が存在した事実に打ち震えている。