4/1(月)

 

朝から「101回目のプロポーズ」を2回分続けて。ドラマの内容関係ないが、まだ英語教育を受けてなかった小学校高学年の頃、チャゲ&飛鳥「SAY YES」を「性 YES!」という意味のヤリチンヤリマンの歌だと勘違いしており、茶の間でかかると実に気まずい思いをしたものさ。

 

午後、上田へ。電車の中で大谷能生「ツイッターにとって美とはなにか」を読む。アリオの1000円カットで髪切る。本屋に行ってユリイカ最新号の山田太一特集を買う。

 

上田映劇に行ってリドリー・スコット『テルマ&ルイーズ』観る。泣く。シネスコの本当のスクリーンで観る感動には新鮮なものがあった。ボロボロ泣く。優れた女性映画に止まらず、マイケル・マドセン、ハーベイ・カイテル、ブラピといった男優の美しさを見事に焼き付けた優れた男性映画だとも改めて思う。故に、彼女たちの選択を目の当たりにした時のハーベイ・カイテルの表情を(たとえ説明的になったとしても)観たかった、という思いもやはり残るのだった。

 

4/2(火)

 

仕事から帰ってFODで「101回目のプロポーズ」「この世の果て」を並行して観る。最初は「この世の果て」を観るためにFODに再加入したのに、気づけば「101回目のプロポーズ」をメインに夢中になっている。伝説の台詞が登場する(あまりにも有名なため、観ていない人はこの場面が「101回目のプロポーズ」に相当するラストシーンだと思っているのではないか)第6話。武田鉄矢は「ぼくは死にましぇーん!」ではなく「僕は死にません!」とはっきり言っていること、その後の浅野温子の「私を幸せにしてください」という、もはや主体的に言っているのか言わされているのかわからなくなっている声の震えに泣く。この回を演出してるのが山田太一の娘、宮本理江子であることに今回初めて気づいた。このドラマで描かれる外見コンプレックスを含む社会的弱者への眼差しは、「ふぞろいの林檎たち」ほか山田太一ドラマがなければ絶対にありえなかったと思う。このドラマの、愛なのか憎しみなのか、感情の濁流にもみくちゃにされる浅野温子の生々しい表情は、『バタアシ金魚』や『月光の囁き』といった90年代の日本の恋愛映画のヒロインの系譜に連なる。あまりにも「ネタ」扱いされるメジャーな作品ゆえに私はこの作品の真摯さに鈍感だったと思う。

 

4/3(水)

 

仕事から帰ると、数日前に下北沢古書ビビビから購入した「アダルト洋画チラシカタログ 1970-1988」が届いている。この本、店主の方が写真をTwitterにあげたのをみた瞬間に、店に直接電話をかけて購入交渉をしたのだった。伝えられた「5500円」という値段に一瞬ひるむも、これを逃したらたぶん一生後悔する、という直感を信じたのだ。

直観は当たっていた。とんでもねえブツだった…。

 

↑直接写真あげられないのでこれ見て下さい。

 

Twitterにあげたらプチバズリしてビビった。