3/11(月)

 

気が滅入って死にたくなりながら目を覚ますと、山崎ゴジラのオスカー受賞の報を知り、気が滅入って二度寝する。

 

確定申告のために市役所に行ってから、上田へ。電車の中で中島らも『人体模型の夜』読む。何という名文。

 

午後、TOHOシネマズ上田で金子修介『ゴールド・ボーイ』観る。冒頭の岡田将生の殺人場面のチープな火サス感には「えーこれ大丈夫?」と不安になったけど、それ以降はもうただただ息をのんでいるうちに終わっていく。これは金子さんに相応の規模の傑作を撮らせたい!というアジア規模の人々の善なるフォースが結集した先に生まれた傑作だろう。僕が保育園から小学校に上がる合間に公開された『ガメラ 大怪獣空中決戦』によって(円谷英二をのぞけば)初めて覚えた日本の映画監督の金子さんが、30年近い時を経て再びこうして代表作を生み出したことが感慨深い。

しかし、子どもたちの芝居を含めこれほどの達成をしている作品なのに、舞台となる沖縄の生きた言葉の再現を完璧に放棄している事実は、やはりはっきりした瑕瑾と言わざるを得ないと思う。とはいえ、もしかしたらこれはこの内容と「沖縄性」が密接に見えてしまうことを回避したいという作り手の想いと、ロケ協力している沖縄側の想いが一致した故の選択なのかもしれぬ。特に沖縄の人の感想が読みたいと思う。これって、どう思いますか?

 

 

3/12(火)

 

朝から出勤。休み時間中島らも「たまらん人々」読む。職場の人に『ゴールド・ボーイ』ささやかな布教活動。

 

帰ってまともなことをしようとするも、酒を飲んで眠くなってだめだった。

東京で貧乏生活を送っていた時の方が、生活の不安とか理不尽な社会への怒りとか、まだなにがしか自分を奮い立たせる原動力があったのだが、この田舎では何のモチベーションも見いだせない。この一年で体重が20キロも増えた。毎日二日酔いでゲロ吐きながら、中年太りしていく自分の肉体的変化に戸惑いながら、友も彼女もいない中で不愉快に年を重ねていく。

 

自分が幸せになる努力を捨ててはならない。自分の人生がこのへんなもんだろう、と見切りをつけて生きてはいけない。不幸になるなら、失敗するなら、もっと徹底的になるべきだ。

 

3/13(水)

 

朝から出勤。休み時間に中島らも「子どもの一生」を読む。

 

帰って、やっぱりなんのやる気も出ないので、先日佐久のブックオフで何故か見つけて驚愕した沖縄の伝説のニューウェーブバンド「六人組」のCDを聴き続ける。これは買って本当に良かった。

こういう驚きに不断に出会い続けるためには、私は生きなければならない。死んだら驚けないから(意外にそんなことないのかもしれないが)。