2025年1月にドナルド・トランプ氏が米国大統領に就任し、4月には各国に対する大規模な関税政策を発表しました。 メキシコ向けにも例外ではなく、当初は高率関税を課す方針が示されたものの、その後一時的な保留措置が取られるなど、政策はめまぐるしい変化を見せています​reuters.com。本稿では、この状況を踏まえてメキシコに与える影響を多面的に分析します。短期(~1年)、中期(~3年)、長期(~5年)という時間軸で予測を行い、経済・貿易、雇用、移民、外交、安全保障といった優先分野ごとに影響を評価します。さらに、米墨間の主要貿易セクター(特に自動車産業、農業、製造業)への具体的な影響を詳しく分析し、最後にメキシコのビジネス関係者、知識人、学生、政府関係者が取るべき行動について具体的な提言を示します。

短期的な影響(~1年)

経済・貿易への影響(短期)

2025年4月2日、トランプ大統領は各国への包括的な関税政策を発表し、メキシコに対してはUSMCA(米墨加協定)適用の原産品を除く輸出品に25%の追加関税を課す方針を示しました​foley.com。従来、USMCA非適格品の対米関税率は2.5%でしたが、一気に25%へ引き上げられることで、対米輸出全体の約半分(推定3,000億ドル相当)が影響を受けることになります​foley.com。この強硬策は、メキシコ政府に対しフェンタニル(合成麻薬)密輸や不法移民対策の強化を迫る圧力手段として位置付けられました​foley.com。なお、メキシコが米国と協調して上記課題に取り組む場合、非USMCA適格品への関税率を12%に引き下げる措置も示唆されています​foley.com

しかし、この発表に至る過程で政策はめまぐるしく揺れ動きました。3月上旬には一度、メキシコおよびカナダ向けの関税適用を約90日間猶予するとの方針が示され、市場は混乱に陥りました​reuters.com(実際にはその後、中国など他国への関税強化に重点が移り、メキシコ・カナダ向けは従来どおり25%課す方針が維持されました​kiplinger.com)。こうした政策の不透明さにより、短期的にメキシコ国内では企業や投資家の先行き不安が高まり、為替相場ではペソ安が進行しました(関税示唆の報道を受けペソは対ドルで一時1.5%下落​am.jpmorgan.com)。輸出産業を中心に投資判断の先送りや生産計画の見直しが生じ、経済成長率の減速は避けられない情勢です。

外部機関の予測によれば、短期的影響は深刻で、景気後退(リセッション)に陥るリスクも指摘されています。例えば、フィッチ社は一律25%関税が実施された場合、2025年中にメキシコ経済がマイナス成長へ落ち込み、その影響で2026年までに実質GDPが3.0%ポイント押し下げられると試算しています​coatingsworld.com。また一部の強気な分析では、メキシコのGDPが二桁に及ぶ大幅減少を被る可能性すら指摘されています​pbs.org。Bloomberg Economicsは、仮に米国がメキシコからの輸入品すべてに25%の関税を課した場合、メキシコのGDPが最大で16%も縮小し得ると試算しており、特に自動車産業が深刻な打撃を受けると警告しています​pbs.org。こうした極端なシナリオも念頭に置かれるほど、短期の経済見通しには厳しさが増しています。

対米輸出の減少や生産縮小は、メキシコ国内のサプライチェーンにも波及し、企業収益の悪化と投資縮小を通じて内需にもマイナスの影響が及ぶでしょう。また、米国の追加関税は米国内の物価上昇(インフレ)圧力となって跳ね返り、結果的に米国の需要が減退すればメキシコ経済にさらなる向かい風となります。短期では、以上のように不確実性の高まりと需要低迷によって、メキシコは景気後退局面に入る可能性が高いと考えられます。

雇用への影響(短期)

短期的な景気悪化は、メキシコ国内の雇用情勢を悪化させます。対米輸出産業(自動車、電子機器、農産品加工など)では生産調整や減産により労働者の一時解雇や新規採用凍結が起こる見込みです。特に国境付近のマキラドーラ(保税組立工場)地帯や、輸出志向型の製造業が集積する北部・中部の州(チワワ、ヌエボ・レオン、バハ・カリフォルニア州など)は雇用への打撃が大きいでしょう​pbs.org。ある試算では、米国による一方的な関税発動のみでもメキシコ国内の総雇用の約2.3%が失われる可能性があり、これは約140万人に相当するとされています​brookings.edu。さらにメキシコが対抗措置(報復関税)を取った場合には雇用減少が3.6%(約220万人)に拡大する恐れも指摘されます​brookings.edu

雇用喪失は特に技能を要する製造業労働者から非熟練労働者まで幅広く発生しうるため、失業率の上昇のみならず国民所得の低下という形でも影響が現れます。賃金水準についてのモデル分析によれば、関税発動によりメキシコの平均賃金は約4.5%以上低下する可能性があるとされ​brookings.edu、実質所得の減少が家計消費を冷え込ませる悪循環も懸念されます。短期的には政府による失業給付や企業支援策が求められますが、メキシコ政府の財政余力は限定的であり、十分な対策が取れない場合には失業の長期化とそれに伴う社会問題(貧困・犯罪増加など)に発展しかねません。

移民への影響(短期)

移民の動向にも短期的な変化が予想されます。米国が関税という強硬策を取った背景には、移民問題の深刻化があります。実際、2023年には米国南部国境での不法越境者の拘束件数が過去最多の約250万人に達し、亡命申請案件も210万件を超えるなど移民流入が記録的水準となっていました​am.jpmorgan.com。トランプ政権は就任初日から「移民保護議定書(MPP、いわゆる『残留メキシコ』政策)」を復活させ、亡命希望者を審理までメキシコ側に留め置く措置を再開するとともに、国境の非常事態を宣言しています​am.jpmorgan.com。このように米国が移民流入抑制へ動く中、メキシコ政府も関税発動を回避・緩和するため国境管理の強化や中米からの移民遮断に乗り出す可能性があります。

短期的には、メキシコは南部国境に国家防衛隊を配置するなどして中米からの移民キャラバンの通過を抑制し、米墨国境でも取締りを強化すると考えられます。その結果、米墨国境での不法越境者数は一時的に減少する可能性があります。しかし、米国に渡れなくなった移民がメキシコ国内に滞留し、治安・人道上の課題がメキシコ側で顕在化する懸念もあります。さらに、景気悪化による失業増加で経済的に困窮したメキシコ人自身が米国への移住や出稼ぎを志す動きが強まれば、移民問題は一層複雑化します。米国側が厳しい入国制限措置を敷いている短期においては、不法な手段で渡米を試みる人々が増加する可能性も否めません。総じて、短期的にはメキシコ発・経由の移民圧力が増大しかねない一方、米国の強硬措置で実現しない状況が続くため、両国境界地域の緊張と混乱が高まる恐れがあります。

外交への影響(短期)

米墨関係は短期的に緊張をはらんだ局面に突入しました。トランプ政権は大統領就任日にフェンタニル流入問題を理由に国家非常事態を宣言し、対墨関税発動を正当化しました​reuters.com。麻薬や移民問題でメキシコを名指しする形となり、メキシコ国内では主権侵害との反発やナショナリズムの高まりも懸念されます。しかしメキシコ政府は経済への打撃を最小限に留めるため、対立の激化を避けつつ米国と協調する姿勢を示しました。例えば、中国など第三国からの輸入品に19%の関税を課す措置を自主的に導入し(自国市場への安価な輸入品流入を抑えて米国産品を保護する狙い)、さらに対米投資誘致策「Plan Mexico」を打ち出すなど、米国の要求に歩み寄る姿勢を明確にしています​am.jpmorgan.com。これは米国が懸念する中国の影響力拡大に対抗し、メキシコがアメリカ寄りの立場であることを示す外交的メッセージとも言えます。

加えて、メキシコ新政権(※2024年末に就任)も内政上、米国との全面衝突は避けたい思惑があります。短期的には外相や閣僚がワシントンD.C.を訪問し、水面下の交渉で関税措置の猶予や緩和を引き出そうとする動きが見られました。実際に3月には一時的な関税適用停止が実現し​reuters.com、カナダとともに交渉の猶予期間を獲得したことはメキシコ外交の一つの成果といえます。もっとも、これはあくまで一時凌ぎに過ぎず、依然として関税問題は日米間の火種として残りました。短期の外交関係は「表向き協調・内心緊張」という微妙なバランスとなり、メキシコ政府は米国の要求に一定程度応じつつ、自国の国益を守る綱渡り外交を強いられています。

安全保障への影響(短期)

安全保障面では、麻薬密輸と国境治安の問題が米墨関係の最優先課題としてクローズアップされました。トランプ政権が関税発動の理由に挙げたフェンタニルの流入は、米国の深刻な薬物乱用危機と直結しており、メキシコもこれに応える形で短期的に麻薬取締の協力を強化するとみられます。具体的には、麻薬カルテルに対する一斉摘発作戦の展開や、米国当局との情報共有の拡大、不法武器取引の取り締まり強化などが進められるでしょう。メキシコにとっても麻薬組織の壊滅は国内治安改善に資するため、ここで協力姿勢を示すことは双方に利益があります。

ただし、米国の一部にはメキシコ国内のカルテル掃討に直接的な軍事関与を求める強硬論もあり、短期的にはこの点で緊張が走りました。メキシコ政府としては自国の主権を守る立場から、米軍等の越境介入は断固拒否していますが、関税という圧力を背景に米国が対策不十分と見なせばさらなる措置を示唆する可能性も否定できません。従って、メキシコは自主的に国軍・警察を投入して国内の麻薬生産拠点の摘発や主要犯罪者の逮捕・引き渡しを進め、米国に対して一定の成果を示す必要があります。短期的には安全保障分野での米墨協調が急速に進む半面、メキシコ国内では「米国の言いなり」になることへの不満もくすぶりかねない状況です。このジレンマに対処しながら、メキシコ政府は国内の治安維持と対米関係の維持に努めることになるでしょう。

中期的な影響(~3年)

経済・貿易への影響(中期)

中期(今後3年ほど)の視点では、初期ショックからの適応と再編がキーワードとなります。関税発動直後の2025年は経済が落ち込むものの、その後メキシコ経済は現状に適応しようと様々な調整が進むでしょう。まず、企業レベルではサプライチェーンの再構築が本格化します。追加関税の対象となった製品について、メーカー各社は原材料や部品の調達先を見直し、可能な限り北米(米国・メキシコ・カナダ)域内で調達を完結できるよう切り替える努力を行います。これはUSMCAの原産地規則を満たすことで関税を回避・軽減する狙いがあります。例えば、自動車部品や電子部品で従来中国や東南アジアから輸入していたものを、メキシコ国内生産や米加からの調達に切り替える動きが予想されます。こうした対応には時間とコストがかかりますが、中期的には輸出産業の地域内相互依存が一層強化され、結果として北米経済圏内での垂直統合が進む可能性があります。

また、中期的には**海外からメキシコへの投資流入(ニアショアリング)**が顕著になる展開も考えられます。トランプ政権の関税政策では、メキシコは他国に比べれば若干有利な扱いを受けました。他の多くの国が二桁台後半から50%近い高関税を課される中で、メキシコはUSMCAのおかげで一定の輸出枠が守られているためです​foley.com。このため、高関税で打撃を受けたアジア諸国(例えば台湾に32%、ベトナムに46%、韓国に25%の関税​foley.com)の企業が、アメリカ向け輸出の生産拠点をメキシコに移す動きが出る可能性があります。実際、各国合計で約3,800億ドル相当の対米輸出を行っているこれらの国々にとって、メキシコに生産拠点を置きUSMCAルール下で関税ゼロで米国市場にアクセスする方策は魅力的です​foley.com。このニアショアリング現象により、メキシコ国内の製造業や物流への新規投資が増加し、中期的には経済成長を下支えする要因となり得ます。

こうした調整を経て、中期にはメキシコ経済は緩やかな回復基調に入る可能性があります。2026年前後には、初年度の落ち込みから持ち直し、GDP成長率はプラス圏に戻っていることが期待されます。もっとも、関税発動がなかったシナリオと比較すれば成長の遅れは否めず、依然としてGDP水準はベースラインを下回っているでしょう。一部試算では、関税措置により5年間でメキシコのGDP累計が1.7%押し下げられるとされています​am.jpmorgan.com。中期3年時点ではその影響の半分程度が現れていると推測され、関税なき場合に比べ1%弱のGDP減となっているかもしれません。しかし、この程度の下押しにとどまるならば、経済は対応策の効果もあって安定を取り戻しつつあると言えます。

一方で、2026年にはUSMCAの再評価(6年ごとの見直し審査)が控えています​am.jpmorgan.com。このタイミングは米墨加3国が貿易協定の存続条件を再確認し、必要な調整を行う重要な機会です。メキシコ政府は、トランプ政権下での関税紛争を沈静化させるためにも、2026年の協議で追加関税措置の撤回や緩和を引き出すことを目指すでしょう。例えば、自動車産業の現地生産拡大策やエネルギー政策見直し(米国が問題視していたメキシコのエネルギー分野の政策​am.jpmorgan.com)など、米側の懸念に対応する譲歩を示す可能性があります。その代わりに関税の恒久停止やUSMCA体制の強化を取り付け、中期以降の貿易環境を安定させる戦略が考えられます。

雇用への影響(中期)

中期的な雇用情勢は、一旦悪化した後の部分的回復が見込まれます。関税発動直後に急増した失業者の一部は、時間の経過とともに他産業への転職や、輸出産業の回復に伴う再雇用によって職を得るでしょう。特に、前述のニアショアリングによって新規進出した海外企業の工場や、国内調達拡大に対応する部品メーカーなどで新たな雇用が創出される見通しです。例えば、新設の自動車部品工場や電子機器組立工場では、地元で数百人規模の雇用が生まれるかもしれません。また、既存企業も生産ラインの変更や品質管理強化のために技能労働者の採用や訓練を進める可能性があります。

しかし、こうしたプラス要因があっても、中期で雇用が完全に元通りになるとは限りません。企業は関税コスト増に対応するため自動化投資や合理化も進めており、人員削減によるコスト圧縮を図る動きも出ています。そのため、生産量が回復しても以前ほど労働力を必要としない場合もあり得ます。特に輸出型製造業では労働生産性向上が急務となり、省力化への投資が加速する可能性があります。結果として、失業率はピーク時から低下に転じるものの、関税発動前の水準まで完全に戻るには時間を要するでしょう。

雇用の質にも中期的影響があります。賃金水準は景気回復とともに多少持ち直すかもしれませんが、労働市場の緩みの影響で一度下がった賃金を元に戻すことは容易ではありません​brookings.edu。交渉力の弱い労働者層では低賃金のまま再雇用される例もあり、実質所得の回復の遅れが懸念されます。また、産業構造の変化に伴い求められる技能も変わってきます。中期的には、メキシコ政府や企業は労働者の再教育(リスキリング)や職業訓練プログラムに力を入れる必要があるでしょう。輸出産業で職を失った人々が新たな成長産業(例えば医療機器製造やITサービスなど)にスムーズに移れるよう、教育機関と連携した取り組みが重要となります。

移民への影響(中期)

中期的に見ると、メキシコから米国への移民圧力は依然継続する一方、その様相は短期とは変化してくるでしょう。メキシコ経済が徐々に安定を取り戻せば、純粋に経済的理由で米国への移住を試みる人の数は短期より減少する可能性があります。国内において新たな雇用機会が創出され、賃金も持ち直してくれば、人々が故郷に留まる動機付けが強まるからです。特に輸出産業が盛んな北部地域で雇用が戻ってくれば、これら地域から米国への労働移動は減る可能性があります。

しかしながら、中期でも移民問題が解決に至る見通しは立ちません。 米国側は強硬な入国管理策を継続している可能性が高く、不法移民に対する抑止力は維持されるでしょう。結果として、依然として多くの人々が合法的な手段で米国へ渡れず、メキシコ国内や国境付近に留まる状況が続くと考えられます。メキシコは人道的観点から、国内に滞留する中米出身の移民・難民に対する支援を強化せざるを得ないでしょう。また、自国民の米国への合法的な就労機会を増やすため、米国とワークビザ枠拡大や出稼ぎ労働プログラムについて交渉する可能性もあります。例えば、農業や建設業に従事する季節労働者の受け入れ枠を拡大することで、不法越境の代替策を用意する取り組みが考えられます。

さらに中期には、メキシコは地域的な移民協力にも力を入れるでしょう。中米諸国との間で開発援助や経済協力を進め、移民の「送り出し国」での雇用創出や治安改善を支援することで、根本的な移民圧力の軽減を目指す方向です。これらの取り組みは一朝一夕に成果が出るものではありませんが、中期的な戦略としてメキシコが主導的役割を果たす可能性があります。

外交への影響(中期)

中期の外交関係は、衝突の緩和と現実的な妥協へと向かうことが予想されます。関税問題で緊張した米墨関係も、両国にとって長期対立は望ましくないため、時間の経過とともに対話による解決を模索する動きが強まるでしょう。例えば、メキシコが麻薬取締りや移民抑制で具体的な成果(麻薬押収量の増加や不法越境者数の減少など)を上げれば、トランプ政権は「メキシコが十分協力している」と内外に説明しやすくなり、**関税引き下げ(25%→12%)**といった譲歩を行う可能性があります​foley.com。その結果、2025年後半から2026年にかけて追加関税率が実際に引き下げられれば、表面的には米墨関係は安定を取り戻し、緊密な協力関係が演出されるでしょう。

さらに、2026年のUSMCA見直し協議において、包括的な妥協が成立するシナリオも考えられます。例えば、メキシコが米国産遺伝子組み換え(GM)トウモロコシの輸入規制問題やカナダの乳製品市場アクセス問題など、USMCA下で懸案となっている事項で譲歩する代わりに​am.jpmorgan.com、米国側は関税政策を修正して北米貿易圏の結束を再確認する、といった合意です。このような合意が実現すれば、北米地域の経済協定内で問題を解決するルートが示され、以後の米墨関係は以前のNAFTA/USMCA時代と同様に安定軌道へ戻るでしょう。

中期の外交ではまた、メキシコは対米依存のリスク分散にも動き出します。関税問題を契機に、米国一国に経済運命を握られる危うさが浮き彫りになったためです。欧州連合(EU)との自由貿易協定の強化や、アジア太平洋地域との経済連携(CPTPPなど既存の協定の活用)の模索が進むでしょう。特に南米諸国との貿易促進(例えばブラジル・アルゼンチンとの農産品取引拡大)や、日本・韓国などアジア経済圏との投資・技術協力強化など、外交の多角化戦略が取り入れられると考えられます。ただし、中国との経済関係深化については、米国が神経を尖らせている分野(5Gインフラや戦略資源開発など)では慎重さを維持するでしょう。メキシコ外交は、中期において米国との関係修復に努めつつも、新たなパートナーシップを開拓するバランス外交を志向すると言えます。

安全保障への影響(中期)

中期的な安全保障協力は、ある程度制度化・常態化すると予想されます。米墨両政府は関税問題を契機に開始した麻薬・治安協力を継続し、これを両国関係の柱の一つとして据える可能性があります。具体的には、フェンタニル対策での合同タスクフォース設置や、情報機関間のホットライン開設、国境地域での合同パトロール計画などが考えられます。これらにより、メキシコ国内の麻薬ラボ摘発件数が増加し、対米フェンタニル供給網の寸断といった一定の成果が出始めれば、トランプ政権も対墨批判のトーンを和らげるでしょう。その結果、関税発動の大義名分であった非常事態宣言の解除や緩和に繋がる可能性があります。

また、安全保障分野で信頼関係が深まれば、米墨間の他の協力領域にも波及効果が期待できます。例えば、国境をまたぐ組織犯罪対策(人身売買や資金洗浄の取り締まり)や、中米地域のギャング対策プログラムへの共同支援など、より広域的な治安協力が議題に上るかもしれません。メキシコとしては、治安改善は自国の利益にも適うため、これら協力には前向きに取り組むでしょう。

もっとも、メキシコ国内的には、対米従属への警戒感が中期になっても残存します。長期間にわたり米国の要請に従って麻薬対策を行う中で、一部では「米国の代理戦争を戦わされている」との不満が出る可能性があります。治安作戦の過程で人権問題や無辜の市民への影響が生じれば、政権批判にも繋がりかねません。従ってメキシコ政府は、対米協力をしつつも自主性を強調し、治安対策における国民の理解を得る努力が必要です。中期的には、関税問題が落ち着くにつれて安全保障協力だけが残り、これが米墨関係の安定装置となる一方、国内政治上の微妙な課題として管理されていく状況が予想されます。

長期的な影響(~5年)

経済・貿易への影響(長期)

長期(約5年先)では、メキシコ経済は関税ショックを経た新たな均衡状態に達していると考えられます。まず、関税措置そのものがこの期間持続するのか、それとも途中で解除・緩和されるのかでシナリオは大きく異なります。ここでは主に関税が数年間継続したケースを念頭に置きつつ、将来的な解除の可能性も含め展望します。

関税が数年にわたり継続した場合でも、メキシコ経済は徐々に適応して持続的成長を回復している可能性が高いです。ニアショアリングによる投資増加や輸出産業の効率化により、2027~2030年頃には年率2~3%程度の安定成長軌道に戻っているかもしれません。上述したように、5年間で累計GDPが1.7%押し下げられるとの試算もありますが​am.jpmorgan.com、裏を返せば 「関税が続いてもGDPの減少はその程度にとどまる」とも解釈できます。この程度の差であれば、メキシコ経済は長期的視点では潜在成長力を維持しているといえるでしょう。

長期的には、産業構造の転換と高度化が進みます。関税によって相対的に不利となった分野は縮小または事業再編を余儀なくされましたが、他方で新たなチャンスも生まれました。例えば、自動車産業ではガソリン車から電気自動車(EV)へのシフトが加速し、メキシコの工場はEV部品やバッテリー組立など新分野に対応することで競争力を維持している可能性があります。また、エレクトロニクス製造分野では、対米輸出拡大を図る多国籍企業の投資で生産能力が飛躍的に拡大し、メキシコが一部ハイテク製品の主要生産拠点になっているかもしれません​semianalysis.com(実際、サーバーなどの完成品組立では既にメキシコが大きな役割を果たしています​semianalysis.com)。このように他国から生産拠点を引き寄せる動きは、長期的な産業発展にプラスとなり、メキシコの製造業はより高付加価値・高生産性の方向へとシフトしているでしょう。

さらに、長期ではメキシコの貿易相手の多角化がかなり進展していると考えられます。米国向け輸出の伸びが制約される中、企業は新興市場や近隣の中南米市場、欧州市場への輸出開拓を進めました。その結果、2030年頃にはメキシコの輸出に占める米国向け比率は現在の80%以上から低下し、例えば70%程度まで下がっているかもしれません。その分、南米諸国や欧州連合、アジア向け輸出が増え、輸出品目も多様化しているでしょう。これはメキシコ経済のレジリエンス(耐久力)の向上につながり、仮に米国との間で再度貿易上のトラブルが起きても、以前ほどのダメージを受けにくい体質になっていると期待されます。

他方で、2029年には米国で政権交代が起きている可能性があり、仮に新政権がこの関税政策を撤回すれば、メキシコ経済は追い風を受けて急回復するでしょう。高関税下で抑え込まれていた輸出が一気に解き放たれ、対米輸出がブーム的に増加することも考えられます。ただし、長期にわたる関税で失った米国市場でのシェアを取り戻すには時間がかかりますし、その間に代替供給者が定着しているケースもあります。例えば、自動車部品でメキシコ製が米国メーカーに敬遠され他国製や国内製に置き換わっていた場合、関税撤廃後もすぐには元の取引関係に戻らないかもしれません。したがって、長期的には関税政策が解除されても、残された傷跡の回復にはなお数年を要する可能性があります。

総じて、長期のメキシコ経済は苦難を経験した分だけ強靭さと多様性を増していると予想されます。関税という外的ショックを契機に、産業界は効率化と市場開拓を進め、政府も経済政策のかじ取りにおいて教訓を得ました。結果として2030年前後には、メキシコは従来以上に開放的かつ競争力ある経済として、北米のみならず世界経済の中で重要な地位を占め続けているでしょう。

雇用への影響(長期)

長期的には、メキシコの労働市場は大きな調整を経て新たな均衡状態に至っているでしょう。関税ショックで一時的に失業した労働者の多くは、5年の間に何らかの形で再就職先を見つけたと考えられます。特に若年層や技能労働者は、新規参入した外資系企業や成長産業に吸収され、キャリアの方向転換に成功した例も多いでしょう。また、地域的には、北部の輸出産業地帯で失われた雇用の一部は、国内向け産業の発展やインフラ投資プロジェクトなどによって補われているかもしれません。

2030年頃には、全国の失業率は関税発動直後のピークから低下し、平時の水準に近づいている可能性が高いです。労働需要は回復し、賃金も徐々に上昇基調に戻っているでしょう。ただし、賃金水準を関税発動前と比較すると、依然として実質で数%程度低い水準に留まっているかもしれません​brookings.edu(一連の関税ショックで最大7%程度賃金が低下したとの推計もあります​brookings.edu)。この「失われた賃金」の挽回にはさらに長い時間が必要で、労働者の生活水準はその分押し下げられた状態が続きます。特に低技能労働者層では、不安定雇用や低賃金労働に甘んじざるを得ない人々もおり、所得格差の拡大が長期的な社会問題として残存する可能性があります。

一方で、長期にわたる産業変化に対応して、人材育成や教育改革も進んだことでしょう。工科大学や職業訓練校では、新興産業に適合したカリキュラムが導入され、次世代の労働力はより高度な技能と適応力を身に付けていると期待されます。海外企業との連携による研修や留学の機会も増え、グローバルな視野を持つ人材が育っているかもしれません。これは将来のメキシコ経済にとって大きな財産であり、人的資本の質的向上は長期的な副次的成果と言えます。

移民への影響(長期)

5年後の移民動向は、短期・中期に比べれば安定化していることが期待されます。メキシコ国内の経済・雇用情勢が改善し、国民が母国で生活基盤を築きやすくなれば、経済移民として米国を目指す人の数は減少に転じているでしょう。特に、米国との関係改善や関税撤廃が実現していれば、両国間で合法的な人の移動に関する協議も進み、ビザ枠拡大や期間労働プログラム整備など前向きな対策が取られている可能性があります。そうなれば、メキシコ人が無理に不法な手段で国境を越えなくても、合法的に出稼ぎに行ける道が開け、移民問題はより管理可能な形へシフトするでしょう。

また、長期的にはメキシコ自体が受入国としての役割を果たす場面も増えているかもしれません。経済成長と治安改善により、中米から逃れてきた人々がメキシコ国内で定住や就労の機会を見出すケースも考えられます。メキシコ政府は国際機関や米国の支援を得て、難民申請者の受け入れ制度を整備したり、彼らの社会統合を支援したりしている可能性があります。これにより、北上する移民の一部がメキシコで足止めされるのではなく、建設的にメキシコ社会の一員となる道筋が模索されているでしょう。

もっとも、地政学的要因や気候変動による移住圧力は依然存在するため、移民問題が完全になくなることはありません。 中南米の経済格差や政情不安、災害による生計困難などが続く限り、人々はより良い暮らしを求めて移動を試みます。長期的課題として、メキシコは域内諸国と協調しつつ、こうした根本原因にアプローチする開発援助や外交努力を継続する必要があります。米国との協力も、取り締まり一辺倒から、送出国での経済開発支援や難民受け入れの国際的分担など包括的な方向へシフトしている可能性があります。要するに、長期では移民問題は短期ほどの急性の危機ではなくなっているものの、依然として地域全体で取り組むべき慢性的課題として残存すると考えられます。

外交への影響(長期)

5年後の米墨関係は、大きな転換点を迎えている可能性があります。ひとつは、2028年の米大統領選挙の結果によって政策方針が変化しているケースです。もし政権交代があり、新大統領が関税政策を転換した場合、米墨関係は劇的に改善しうるでしょう。追加関税が撤廃され、両国はUSMCAの下で改めて自由貿易体制を堅持することを確認し、摩擦のあった移民・麻薬問題でも協調路線が再構築される見通しです。その場合、2025年以降の数年間は「嵐の時代」として振り返られ、2030年頃にはかえって両国の結びつきが強まった状態に戻っているかもしれません。

一方、仮にトランプ政権が継続または類似の通商強硬策が続いていた場合でも、長期的対立は双方に不利益であることから、どこかで現実的な妥協が図られている可能性が高いです。例えば、米墨加3カ国で新たな貿易協定(USMCAの改訂版)の締結や、安全保障協力に関する二国間条約の策定などを通じ、包括的な関係再定義が行われているかもしれません。その中でメキシコは、自国の産業保護と米国の懸念解消のバランスを取った譲歩を提示し、米国も関税措置を正式に停止して経済関係を正常化させる、といった大局的な和解に至る可能性があります。時間は要しましたが、最終的には米墨両国が新たな信頼関係を築き直し、協調に回帰するシナリオです。

長期の外交では、メキシコはこの間に培った多角的外交関係を引き続き発展させているでしょう。例えば、中南米で民主主義や経済開発を推進するリーダーとしての地位を確立し、地域協定(USMCAや中米統合機構等)内で存在感を高めているかもしれません。また、欧州やアジアとも安定した関係を保ち、「米国の裏庭」から「世界の一員」へと外交の幅を広げています。ただし、米国との関係は依然最重要であり、2030年に至っても米墨間の人的・経済的結びつきは切っても切れません。5年間の軋轢の記憶は残るものの、両国民の相互理解と経済的相互依存は再び前向きな方向へ進み、戦略的パートナーシップとしての米墨関係が維持・強化されていることが望まれます。

安全保障への影響(長期)

長期的な安全保障面では、米墨協力の成果が具体的な数字や事例となって現れている可能性があります。例えば、米国に流入するフェンタニル量が2025年と比べて大幅に減少し、米国の薬物過剰死者数が減少に転じていれば、これは両国協力の賜物と評価されるでしょう。メキシコ国内でも、麻薬カルテルの勢力が幹部の逮捕や資金洗浄経路の遮断によって削がれ、治安指標が改善しているかもしれません。そうなれば、もはや米国が関税という経済カードを切らずとも、安全保障上の課題は協調によって対処可能であることが証明されます。両国は今後もパートナーとして犯罪・テロ対策や防衛交流を続け、北米地域の安定に共同で当たる成熟した関係を築くでしょう。

また、この5年間でメキシコは自国の治安機関改革や司法制度強化を進め、麻薬や汚職に対する国内の抵抗力を高めました。米国も単に要求するだけでなく、資金・技術面でメキシコを支援し、例えば捜査当局への先進監視機器の提供や、米国内での需要削減策(依存症対策など)に力を入れるようになりました。つまり、需要と供給の両面から麻薬問題に取り組む包括戦略が形成されている可能性があります。さらに、サイバー犯罪対策やエネルギー安全保障(石油・電力インフラの保護)など新たな協力分野も広がり、北米の安全保障協力はより多層的なものになっているでしょう。

とはいえ、麻薬取引というのは完全になくなることはなく、闇市場は形を変えて存続します。長期にわたり強圧的な取締りを続けた反動として、犯罪組織が地下に潜行し巧妙化するリスクもあります。そのため、成功に見える状況下でも気を緩めることなく、継続的な協力と監視が求められます。また、安全保障協力の副次的影響として、人権侵害の問題や治安部隊の腐敗防止といった課題も表面化しているかもしれません。メキシコは長期的安定のため、法の支配を強化しつつ経済発展との両立を図る難しい課題に直面し続けるでしょう。

総括すると、5年後の安全保障分野では、米墨間の関税を巡る対立はもはや過去のものとなり、代わりに協調的な安全保障パートナーシップが両国関係を支える重要な柱となっている可能性があります。この協力関係は北米地域の安定と繁栄に寄与し、さらにはメキシコが地域の秩序維持に積極的役割を果たす自信と能力を獲得するという、長期的に見て望ましい結果をもたらしているかもしれません。