第1章:積み重ねた20年と、成功の実感(2025年3月末)
2025年3月下旬。東京・練馬区のマンション。高橋直人(45歳)は、夜のリビングでワインを片手にパソコンの画面を眺めていた。評価損益画面には、プラス800万円の数字。彼の目には静かな満足感が浮かんでいた。
「よし、これで信用建て分をいれて3,700万円まで来たか…」
日経平均は史上最高値を更新、米国の半導体株も絶好調。2024年から始めた信用取引もうまく回り、彼はこの上昇相場を“経験と読み”で見事に乗りこなしていた。
本業も安定していた。営業企画課長として部下4人を率いながら、数字と向き合う日々。家庭では、専業主婦の妻と二人の子どもがいて、週末には郊外のショッピングモールでのんびりと過ごす時間もあった。
「投資も、仕事も、家庭も。全部バランス良くやれている」
直人は、そう思っていた。少なくとも、あの日までは。
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第2章:4月2日、全てが音を立てて崩れた日
2025年4月2日、午前8時。通勤電車の中、スマホを開いた直人の目に、赤文字の速報が飛び込む。
「トランプ大統領、関税引き上げを突如発表。対象はアジア・欧州の主要品目」
一瞬、心臓がドクンと鳴った。だが、これまでも市場の“ノイズ”は何度もあった。「一時的な調整で終わるはず」そう思っていた。
ところが、その日の日経平均は歴史的な下落を記録。直人の保有銘柄も次々とストップ安。特に信用建てで買っていた成長株10銘柄のうち6つが値幅制限に達し、売ることもできない状況に。
夕方、証券会社から電話が鳴る。
「高橋様、申し訳ありませんが、明日までに追証400万円の入金が必要です…」
耳を疑った。今の現金残高では到底支払えない額。退職金に手を付ける? 子どもの学資保険? 頭が真っ白になる。パニックになり、チャートを睨みながら夜を過ごした。
第3章:自信が崩れ落ちた日々と、広がる影
その週末、高橋家の食卓は重苦しかった。妻がそっと聞く。
「最近…なんだか様子が変だけど、何かあった?」
直人は返事ができなかった。信用取引のことは、家族には話していなかった。守るべき家族に、不安を与えるようなリスクを隠していたことに、自分でも罪悪感を覚えた。
追証の一部は、泣く泣く学資用に積み立てていた預金を取り崩して充てた。信用建てポジションの大半は強制決済。気づけば評価額は1,800万円台へと半減していた。
会社でも集中力を欠き、部下の提案を上の空で聞いてしまう。上司から「最近どうした?」と声をかけられた時、思わず言葉に詰まった。
「……全部、うまくいっていたはずだったのに」
自分の経験、積み上げてきたものへの自信が砕け散った瞬間だった。
第4章:静かな気づきと、学びの始まり
4月のある日曜日。何をする気にもなれず、ふと手に取ったのは、娘が図書館で借りてきた一冊の本だった。
『心の静けさを取り戻す、はじめてのマインドフルネス』
普段なら素通りしていた類の本だった。しかしなぜか、その日だけはページをめくってみた。呼吸に意識を向けるワークや、「いま、ここ」に集中する感覚。
——読めば読むほど、自分の“焦り”や“執着”が見えてきた。
「これまでの投資も、仕事も、“勝ち続ける”ことばかり求めていたんだな……」
それから直人は、夜のスマホを見る時間を減らし、朝の15分だけ瞑想をする習慣を始めた。
さらには、偶然知った地元の禅寺の週末座禅会に通うようになり、住職の言葉が心に染み入った。
「波があるからこそ、海は美しいんですよ。株も、人生も。」
直人はようやく気づいた。
資産を増やすことに夢中で、「今ある豊かさ」に目を向けていなかったことに。
第5章:再出発。そして、新しい幸せのかたち
それから数ヶ月。資産はすぐには戻らなかった。だが、焦りは不思議なほど消えていた。
信用取引口座は閉じ、今は現物株とインデックス投資中心にゆるやかに再構築中。相場に振り回されることが減り、**“投資は手段、人生は目的”**という新たな視点を持てるようになった。
家族との会話も増えた。思い切ってすべての経緯を妻に話したとき、彼女は少しだけ怒ったあとで、こう言ってくれた。
「……正直に話してくれてありがとう。あなたが元気で、家族が一緒にいれば、それでいいのよ」
仕事でも、無理に完璧を目指すのをやめ、部下に任せる部分を増やした。すると、若手がのびのび動き出し、部の雰囲気も良くなった。
2025年の年末。家族で伊豆に小旅行へ行った帰りの車中、娘がふとこう言った。
「パパ、最近すっごく楽しそうだね」
「そうかな?」と笑う直人の目には、かつての焦燥感はもうなかった。
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エピローグ:真の資産とは
高橋直人は、資産の半分近くを一時的に失った。だが、それ以上に得たものがあった。
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家族と過ごす何気ない時間のありがたさ
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今この瞬間に意識を向ける心の静けさ
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自分を責めすぎない許しの感覚
お金はまた増やせる。でも、心を整える術を持った人間は、何があっても崩れない。
そのことを、このショックを通じて学んだのだった。
今、彼の手元には、ゆっくりと回復しつつある資産と、以前よりもっと穏やかな笑顔がある。
そして今日も朝の静かな時間に、深く一息を吸い込む。
「大丈夫、これが人生だ。」