米ドルの課題と主要通貨の動向

米ドルのリスク要因: 世界の基軸通貨である米ドルは長年その地位を維持してきましたが、近年いくつかのリスクが指摘されています。まずインフレ動向です。2021~2022年にかけて米国のインフレ率は一時40年ぶりの高水準に達し、ドルの購買力低下が懸念されました​

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。加えて、米国政府の巨額債務もドルへの信認に影を落としています。米国の財政赤字は20年以上連続で拡大し、対GDP債務比率は2024年に第二次世界大戦直後以来の水準に達しています​

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。この結果、連邦政府の債務利払い費用は国防予算を上回る規模になっており、持続性を疑問視する声もあります​

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。実際、CFA協会の2024年調査報告では米国財政は「持続不可能」と考える金融専門家が77%にのぼったとされ、米国債への信頼低下がドル基軸体制を揺るがす可能性が指摘されています​

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。こうした懸念から、「ドル崩壊」のシナリオは一部で語られていますが、現状ドルは各国準備通貨の約58%を占め依然圧倒的であり​

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、米国経済の底力も相まって短期的にドルが急落・崩壊する可能性は極めて低いとの見方が大勢です​

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。それでも、長期的には「債務膨張の放置」や「投資家の信認喪失」がドル支配に終止符を打つリスクとなりうる、と専門家は警鐘を鳴らしています​

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国際的影響力の変化とデドル化: 米ドルの国際的地位にも緩やかな変化がみられます。冷戦後長らく世界各国の外貨準備の7割前後を占めていたドルですが、そのシェアは過去20年で徐々に低下しています​

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。IMFの分析によれば、各国中央銀行の外貨準備に占めるドル比率は1999年頃には約71%ありましたが、現在は約58%まで低下しました​

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。注目すべきは、このドル比率低下分をユーロや円など他の主要通貨が埋めたわけではない点です​

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。代わりに、豪ドルやカナダドル、中国人民元など「非伝統的」通貨のシェアが上昇し、各国が準備通貨の分散を図っていることが示されています​

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。特に人民元(RMB)は台頭著しい通貨の一つで、IMFによればドルシェア低下分の約4分の1は人民元の増加によって占められたとされます​

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。もっとも人民元の準備資産シェア自体は依然数%台に過ぎず、この伸びも直近では足踏み状態との指摘があります​

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。ユーロについては、2023年時点で国際的な使用比率が概ね19~20%と導入以来ほぼ横這いで推移し、世界第2の通貨の座を維持しています​

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。欧州中央銀行(ECB)はユーロの国際役割強化に意欲を示し、欧州域内の金融統合深化やクロスボーダー決済網の改善など戦略を進めています​

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。しかし足元では、地政学リスクの高まりにもかかわらずユーロや円の国際利用に大きな変化は生じていないとECB総裁ラガルド氏も認めており、状況次第では「国際通貨体制の亀裂」に備える必要があると警戒しています​

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。日本円と英国ポンドも外貨準備シェアで各数%程度と、主要通貨の一角ではあるものの規模は限定的です​

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。日本は長年の低金利政策から2024年に転換しつつありますが、金利水準が主要国より低い間は円建て資産の魅力は相対的に低く、国際通貨としての存在感も大きく変わっていません。一方で円は有事の安全資産とみなされる傾向があり、市場の不確実性が高まる局面では円高になるなど独自の動きを見せます。その意味で、日本円は規模こそ小さいものの国際金融システムで無視できない役割を担い続けています。

各国金融政策とドル依存: 世界経済における米ドルへの高い依存度は、各国の金融政策にも大きな影響を及ぼします。米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げや利下げは、ドル建て債務を抱える新興国の資本フローや通貨価値に直結し、「世界の中央銀行」として機能している面があります​

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。近年は米国の急速な利上げ(インフレ抑制のための政策)により2022年にドル指数が20年ぶり高値を付け、新興国通貨が軒並み下落するなど、ドル高・米金利上昇が各国にもたらす重圧が浮き彫りになりました​

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。ドル建て債務の多い国では利払い負担が膨らみ、外貨準備の目減りや債務不履行リスクが高まります。このため一部の新興国は、米金融政策の影響から自国経済を守るべくドル依存脱却(デドル化)の動きを加速させています​

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。例えばロシアは制裁を受けて以降、中国との間でルーブル・人民元決済を拡大し、サウジアラビアなど産油国も石油取引でドル以外の通貨受け入れに前向きな姿勢を見せ始めました。また中国は約40か国と自国通貨スワップ協定を結び、非常時でもドルに頼らず人民元で貿易決済や資金供給ができる金融網を整備しています​

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。こうした取り組みの結果、中国の貿易取引における人民元建て割合は10年前の20%から現在56%まで急増したとも報じられています​

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。デドル化の背景には地政学要因だけでなく金利差もあります。米利上げに伴うドル調達コスト上昇に対し、中国は緩和的な金融政策で臨んだため、約20年ぶりに短期資金調達で「人民元の方がドルより安価」な状況が生まれました​

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。これは各国企業が決済通貨を見直す一因ともなっています。もっとも、ドル支配体制からの転換には時間がかかるとの見方が一般的です。仮に米ドルの存在感が今後低下しても、それは人民元やユーロへの急激な一本化ではなく、複数通貨が共存する**「マルチポーラ(多極化)」な通貨秩序へのゆるやかな移行となる可能性が高いでしょう​

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。実際、世界経済フォーラム(WEF)の分析でも、金融網がブロックごとに分断されるような極端な変化は世界GDPを5%以上押し下げうる深刻なリスクであり、望ましいのは緩やかな進化的移行であって急激な断絶ではない**と指摘されています​

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。各国にとっても、自国通貨の安定と国際協調のバランスを取りながら、ドルへの過度な依存を減らしていく長期戦略が問われている状況です。

デジタル通貨・仮想通貨がもたらす変化

中央銀行デジタル通貨(CBDC)の進展: 現金に代わる中央銀行発行のデジタル通貨(CBDC)の開発が、世界中で活発化しています。2024年現在、世界134ヵ国(世界GDPの98%相当)がCBDCを何らかの形で検討しており、そのうち半数近い国が開発・試験段階に入っています​

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。先行事例としては、バハマの「サンドドル」やナイジェリアの「eナイラ」など既に正式発行されたCBDCも存在し、利用が徐々に拡大しています​

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。中でも中国はデジタル人民元(e-CNY)の実証実験で突出しており、2023年時点で累計取引額が約7兆人民元(約9,870億ドル)に達するなど世界最大規模のパイロットを展開しています​

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。関係者は「人民銀行(中国中央銀行)は1年以内にも正式発行に踏み切る可能性が高い」と見ています​

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。欧州でもECBが数年規模のデジタルユーロ実験に着手し、2028年頃までの発行是非判断を目指しています​

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。日本も2023年に日銀がデジタル円のパイロット実験を開始し、将来の発行に備えた検証を進めています(現時点では正式決定には至っていません)。各国がCBDCに注力する背景には、現金利用の減少やビットコインなど民間のデジタル通貨台頭への危機感があります​

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。CBDCを導入することで、決済の効率化や金融包摂(銀行口座を持たない人へのサービス提供)を図るとともに、民間暗号資産や海外デジタル通貨への主権侵食を防ぎたい狙いがあります。もっともCBDCにはプライバシーやセキュリティ確保、民間銀行への影響など課題も多く、各国とも慎重に実験と設計を進めている段階です。

ビットコイン・イーサリアムなど仮想通貨の成長と規制: ビットコイン(BTC)やイーサリアム(ETH)に代表される仮想通貨(暗号資産)は、この10年で無視できない存在に成長しました。2023年末時点で世界の暗号資産利用者は5億8,000万人を超えたと推計され、前年から34%増加しました​

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。特にビットコインは約2億9,600万人、イーサリアムは約1億2,400万人が保有するまで普及しています​

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。市場時価総額も一時は3兆ドル規模に達し、現在も1兆ドル超で推移するなど、一部では「デジタルゴールド」として資産ポートフォリオに組み入れる機関投資家も現れています。2023年には米国でビットコイン現物ETF(上場投資信託)の承認機運が高まり、価格が一時4万ドル台を回復するなどマーケットにも影響を与えました​

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。他方で、この急成長に各国当局は規制整備を迫られています。欧州連合(EU)は2023年に包括的な暗号資産規制枠組み「MiCA(マーケッツ・イン・クリプトアセット規則)」を施行し、事業者のライセンス制や投資家保護策を導入しました​

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。これにより欧州は世界で初めて統一的なルールの下で暗号資産市場を発展させる方針を示しています。一方、米国では明確な包括法は未整備のまま、証券取引委員会(SEC)など既存当局が法律の範囲で強制執行を進める形です​

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。SECはリップル社に対する訴訟や大手取引所コインベース・バイナンスへの提訴など強硬姿勢を見せており​

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、業界との法的攻防が続いています(ただし2023年の判決でXRPトークンの二次流通販売は証券ではないと判断されるなど、業界側に有利な判例も出始めています​

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)。加えて同年、米裁判所がグレースケール社のビットコインETF申請拒否は不当との判断を下し、その後米国初の現物ビットコインETFおよびイーサリアムETFが2024年に承認されるに至りました​

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。これは仮想通貨が伝統的金融商品に組み込まれつつある象徴的な出来事です。アジアでは対照的に、中国が2017年以降ICO禁止、さらに2021年には暗号資産取引やマイニング(採掘)行為を全面禁止し​

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、国内市場を締め出しました。しかし中国はブロックチェーン技術自体は奨励しており、前述のデジタル人民元開発にも繋げています。

こうした各国の規制動向は、暗号資産の将来像を大きく左右します。規制強化は投機的な過熱を抑え健全な市場育成につながる一方、過度な締め付けはイノベーションを海外に流出させかねません。現在のところ世界的な潮流は「適切にルールづけして受容する」方向にあります。例えば欧州はMiCAで投資家保護と産業育成の両立を図り​

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、米国でも暗号資産を従来の証券や商品に当てはめて管理する枠組みが整いつつあります​

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。日本も2017年に改正資金決済法で暗号資産交換業者の登録制を導入し、早くから投資家保護を進めてきました。

金融システムへの影響と仮想通貨の役割: デジタル通貨の進展は、既存の金融システムに様々な影響を及ぼしています。中央銀行デジタル通貨(CBDC)は、銀行を介さず個人・企業が中央銀行と直接やり取りする仕組みを可能にするため、商業銀行のビジネスモデルに変革を迫る潜在性があります。また、クロスボーダー送金の効率化や決済コスト削減など、国際金融インフラの刷新にも繋がるでしょう。例えば、現在SWIFT網では国際送金に数日かかるところ、デジタル通貨を用いればリアルタイムで安全に決済できる可能性があります。これは貿易や送金ビジネスの様相を一変させる力を持ちます。一方、ビットコイン等の非中央集権型通貨の台頭は、中央銀行による金融政策の有効性にも影響しかねません。人々が法定通貨ではなくビットコインを価値の拠り所とし始めれば、極端な場合、中央銀行が金利操作で通貨価値をコントロールする伝統的手段が効きにくくなる可能性があります。もっとも現時点でビットコインの流通額は主要通貨に比べ微々たるものであり、そのボラティリティ(価格変動の大きさ)ゆえに法定通貨に取って代わるには至っていません。代わりに、ビットコインやイーサリアムは**「デジタル資産(デジタルゴールド)」としてポートフォリオの一部に組み込まれる傾向**が強まっています。米大手企業が準備金としてビットコインを保有したり、投資家がインフレヘッジに一部ビットコインを充てる動きがその例です。またイーサリアムのスマートコントラクト機能により、銀行を介さない融資・取引を行う分散型金融(DeFi)が興隆してきました。これは金融仲介コストを下げる一方、既存の銀行収益を侵食する可能性があり、銀行各社もブロックチェーン技術を用いたサービス開発に乗り出しています。

政府・中央銀行はこうした変化に対応すべく、CBDC発行だけでなくステーブルコイン規制デジタル金融の法整備を進めています。民間のステーブルコイン(法定通貨に価値を連動させた暗号資産)は決済手段として有望視される反面、裏付け資産や利用者保護の面で課題があり、各国で規制策が議論されています。総じて、デジタル通貨・仮想通貨は今後の金融システムにおいて法定通貨を補完・共存する形で役割を増すとの見方が有力です​

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。例えば、CFA協会の調査では「今後5~15年でドルは一部基軸通貨の地位を失い、複数の通貨やデジタル通貨が併存する体制に移行する」と予想する専門家が過半数を占めました​

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。これはつまり、国家が発行するデジタル通貨と民間発の仮想通貨が、それぞれの強みを発揮しつつ、新たな国際金融アーキテクチャを形作る可能性を示唆しています。

「グレートリセット」の構想とその実現可能性

グレートリセットの概要(WEF提唱の構想): 「グレートリセット」とは、2020年に世界経済フォーラム(WEF)が提唱したコロナ禍からの経済社会の大改革プランです​

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。パンデミックによる歴史的危機を機に、従来の資本主義を持続可能で包摂的な形に立て直すことを目指しています​

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。WEF創設者クラウス・シュワブ氏はその核心を3つ挙げています​

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。第一に「ステークホルダー資本主義」の推進です​

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。企業が株主だけでなく従業員や顧客、地域社会や地球環境といったステークホルダー(利害関係者)全体に責任を負い、長期的な価値創造を図る資本主義への転換を提唱しています。具体的には、企業経営に環境・社会・ガバナンス(ESG)の視点を組み込み​

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、利益追求と同時に雇用創出やCO2削減など社会的目標を達成しようという考え方です。第二に「よりレジリエント(強靭)で公正かつ持続可能な経済の構築」であり、気候変動対策やインフラ投資を通じて将来世代に耐えうる基盤づくりを進めることです​

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。この文脈でESG投資やグリーン復興が重視され、**グリーン成長・スマート成長・フェア成長(緑の・賢い・公正な成長)**がキーワードとされています​

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。第三に「第4次産業革命のイノベーション活用」です​

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。AIやIoT、ロボットなど急速に進展するテクノロジーを社会課題の解決に活かし、生産性向上だけでなく人々の生活向上につなげようというものです。例えばデジタル技術で医療や教育へのアクセスを拡充したり、クリーンエネルギー技術で持続可能性を高めたりといった方向性です。

シュワブ氏は「社会契約の再構築」も必要だと述べており​

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、雇用形態や福祉制度を現代に合わせて改革する重要性を説いています。コロナ禍ではテレワーク普及やベーシックインカム的な給付が各国で行われ、社会の在り方を見直す契機ともなりました。グレートリセットは、こうした変化を恒久的な前進に繋げ、世界全体で協調して危機を「より良い未来への転機」にしようというビジョン的な枠組みです​

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。2021年のWEF年次総会(ダボス会議)ではテーマに掲げられ​

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、各国首脳や企業トップも参加する議論が行われました。

政治・社会的観点と各国の対応: グレートリセットの実現には各国政府や国際機関、民間企業の協調行動が不可欠です。政治的には、EUやカナダなど比較的リベラルな諸国のリーダーがこの理念に共鳴し、自国の復興計画に組み込む例が見られました。例えばカナダのトルドー首相は2020年に「我々の機会はグレートリセットにある」と演説し、コロナ後の経済をよりグリーンで公平なものに再構築する決意を示しました(※発言が物議を醸し、国内外で賛否両論あり)。アメリカでもバイデン大統領が掲げたスローガン「ビルド・バック・ベター(より良い復興)」は理念面で通じる部分があり、実際2021~2022年に**巨額のインフラ・気候対策投資(インフレ抑制法など)**を可決して持続的成長への布石を打ちました。EUも次世代EU基金を創設し、加盟国にグリーン経済やデジタル化への投資を促しています。こうした政策はグレートリセットの目指す「サステナブル資本主義」に沿った動きと言えます。

一方で、政治指導者の中にはグレートリセットに否定的な勢力もあります。特にトランプ前米大統領やブラジルのボルソナロ前大統領など、右翼的・ナショナリスト的指向の強いリーダーは、WEF的な地球規模の協調路線よりも自国第一を優先しがちです。トランプ氏は在任中パリ協定離脱やWHO脱退表明など国際協調を軽視する姿勢を取り、グレートリセットの基盤となる「世界的連携」に逆行しました。また社会的にも、一部の陰謀論者がグレートリセットを「エリートによる統制の陰謀」とみなすデマを拡散し、市民の不信感を煽るケースも見られました​

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。これらはグレートリセットの実現に向けたハードルと言えます。

それでも、ESGやサステナビリティ重視の潮流は企業・投資家レベルで確実に広がっています。2020年時点で世界のESG投資残高は35兆ドルを超え、2025年には50兆ドル規模(全運用資産の1/3)に達するとの予測もあります​

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。巨大資産運用会社ブラックロックも企業に対し「気候リスクを投資判断に織り込む」と宣言するなど、民間部門での意識変革が進行中です。グレートリセットの理念に含まれる**ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI, 全国民の最低所得保証)**についても、各国で実証実験や制度導入の検討が行われています。スペインは2020年に約300万人を対象に最低所得給付制度を開始し​

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、フィンランドでも2017~2018年に試験的なUBI給付を実施しました。その結果、雇用への明確なプラス効果は確認されなかったものの、受給者の幸福度や生活満足度が向上したことが報告されています​

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。このようにUBIは容易ではないにせよ、社会保障の重要な選択肢として議論の俎上に乗っています。

総じて、グレートリセットは**「現行の資本主義をアップデートし、人類と地球の長期的繁栄を両立させる」**という大義を掲げています。その実現可能性については意見が分かれますが、少なくともパンデミック以降、各国政府や企業が従来よりも気候変動や社会格差に真剣に取り組み始めたのは事実です。WEFの呼びかけによって一時的に盛り上がった運動も、ウクライナ戦争や景気減速などでややトーンダウンしました。しかしESG投資の拡大や国際的な気候枠組み強化など、部分的にはリセットの思想が浸透しつつあるとも言えます。今後、その構想がどこまで実を結ぶかは、次に述べるような世界情勢とタイミングに大きく左右されるでしょう。

世界情勢と金融システム変革のタイミング

グローバルな金融システムの変革は、経済要因だけでなく地政学的な世界情勢にも強く影響されます。ここ数年で顕在化した主要な国際イベントが、変革のタイミングやシナリオにどのように作用するかを整理します。

ロシア・ウクライナ戦争の影響: 2022年に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、世界経済と金融秩序に多大な衝撃を与えました。米欧日はロシアに厳しい経済制裁を科し、これに対抗してロシアはエネルギーや穀物の輸出制限で応じたため、世界的なエネルギー価格・食料価格の急騰とインフレ加速を招きました。各国中央銀行はインフレ抑制のため利上げを余儀なくされ、2022年には米欧の金利が急上昇し金融市場が動揺しました。この戦争はまた、ドル主導の国際決済網(SWIFT)からロシアを締め出すという前例のない措置につながり、ロシアは迅速に中国やインドなどと自国通貨建て決済を拡大する方向に舵を切りました。これは結果的にデドル化を加速させ、ドル覇権への挑戦を現実化させる一因となっています​

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。事実、ロシアと中国の貿易に占める人民元建て決済は急増し、他の新興国も「いつ自国が制裁されドル資産を凍結されるか分からない」として代替手段の模索を強めています​

atlanticcouncil.org

。また欧州はロシア産エネルギーへの依存を痛感し、脱ロシアを進める中でユーロ建て取引や代替エネルギー源確保を模索する動きも出ました。ロシア戦争が長期化すれば、世界は西側 vs 中露という二極ブロック化が進み、金融システムも二分化するリスクがあります。その場合、現在のドル中心体制にも大きな変革が迫られるでしょう。

中東(イスラエル・パレスチナ)情勢: 2023年10月に勃発したイスラエルとハマスの武力紛争は、中東地域の緊張を一気に高めました。この対立そのものは地域紛争ですが、エネルギー市場を通じて世界経済に波及し得ます。中東戦争が拡大し主要産油国が巻き込まれる事態になれば、原油供給不安から原油価格が1バレル=100ドル超に急騰しインフレが再燃する恐れがあります​

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。実際、ハマス攻撃直後には原油が10%以上値上がりしました​

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。これは辛うじて鎮静化しつつあった各国のインフレ率を再び押し上げ、中央銀行の金融引き締め長期化や景気減速を招きかねません​

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。また中東情勢の不安定化は投資家心理を冷やし、安全資産である米国債や金への資金シフトを促します。金価格は2023年末に史上最高値を更新しましたが、その背景には中国など新興国中央銀行が制裁リスクに備えて金準備を積み増す動きもありました​

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。中東で大規模戦争が発生すれば、グローバルな資金フローが一変し、石油ドル体制にも影響を与える可能性があります(例:主要産油国が交戦状態となればドル建て石油取引継続が困難になるなど)。もっとも現時点では、関係国の外交努力により最悪のシナリオ(イランや米国の直接介入による地域大戦)は回避されており、金融市場への影響も一時的な範囲に留まっています。とはいえ中東は世界のエネルギー供給の要であり、この地域の不安定化は常に世界金融システムを揺るがす潜在リスクです。

中国の経済・地政学的影響: 中国は世界第二の経済大国として、金融システム変革の行方を左右する存在です。経済面では、2023年の中国経済は成長率5.2%と政府目標を達成したものの、期待ほどの力強さはなく不動産危機やデフレ圧力、地方債務問題が顕在化しました​

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。もし中国経済が失速すれば、世界全体の成長が鈍化し、金融市場もリスクオフに傾くでしょう。一方で地政学面では、米中対立や台湾海峡の緊張が潜在リスクです。仮に台湾を巡る米中衝突のような事態になれば、サプライチェーン断絶や資本市場の分断など現在の金融システムが前提とする米中協調の枠組みが崩壊しかねません。これは最悪の「ハード」シナリオを誘発する火種です。また中国は自ら主導する国際秩序づくりにも注力しています。BRICS拡大や上海協力機構、AIIB(一帯一路に関連するインフラ投資銀行)などを通じ、ドル圏に代わる金融ネットワークの構築を進めています​

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。例えばBRICS諸国はドルに依存しない新たな国際決済システムや共通通貨の検討を重ねています​

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。2024年のBRICSサミットではSWIFTに代わる決済網や各国通貨による決済拡大が議論されました​

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。専門家からは「実現は容易でない」との見方が多いものの、一部ではこの動きを軽視すべきでないとの指摘もあります​

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。特に中国とインドが主導する形でロシア産原油を自国通貨で購入する実績ができたことは、今後産油国イランなどにも広がる可能性があり、注目されています​

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。総じて、中国は既存システムの挑戦者であり、成功すれば多極化の核となり、失敗すれば世界経済に混乱をもたらす両刃の剣と言えるでしょう。

米国政治(トランプ政権など)の影響: 世界金融システムに対する米国の影響は絶大であり、米国の政治動向も変革のタイミングに影響します。ドナルド・トランプ氏は在任中「米国第一主義」を掲げ、従来の国際協調路線から逸脱する政策を取りました。例えば中国との間で貿易戦争を繰り広げ関税障壁を相互に引き上げたほか、同盟国との通商交渉でも一方的な譲歩を迫りました。これはグローバルな貿易・金融のルールを動揺させ、各国がドル以外のオプションを検討する契機ともなりました。またトランプ政権下では米連邦債務上限問題が政治駆け引きに利用され、米国債デフォルト懸念が浮上する場面もありました。もし仮に米国債の信頼性が損なわれれば、ドル体制の根幹が揺らぎかねません。2024年の大統領選挙でトランプ氏(あるいは類似の保護主義的指導者)が再び政権を握れば、国際協調による漸進的なリセットは停滞し、代わりに不安定で予測不能なショック主導の変革が起きるリスクがあります。逆に米国が同盟国と協調し国際機関の枠組み強化に動けば、より秩序立った形でシステム変革が進む可能性が高まります。米国自身も巨額債務と利上げによる利払い負担増という難題を抱えており、その解決策としてインフレ誘導による債務圧縮(いわゆる財政のリセット)が囁かれる状況です​

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。米国の政策如何では、穏やかな調整か急激な破綻か、世界の金融システムの運命を大きく左右するでしょう。

以上の世界情勢を踏まえ、グレートリセット(金融システム大変革)が起こりうる3つのシナリオを考えてみます。

  1. マイルド(穏やかな変革シナリオ):
    大きな破局的事件を伴わず、徐々に現行システムが改革・調整されていくシナリオです。例えばウクライナ戦争が外交交渉で収束し、中東や台湾などの地政学リスクも顕在化しない場合、世界経済は混乱を回避できます。この下では各国が協調して段階的な通貨多極化債務問題のソフトランディングを図り、時間をかけて新しい金融秩序へ移行していきます。ドル支配はゆるやかに後退し、ユーロや人民元を含む複数通貨体制が整っていくでしょう。突然のシステム崩壊は起こらず, CBDCや規制改革を通じて10年単位でリセットが進行します。WEFも指摘するように**「漸進的進化」が望ましい形**であり​

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    、このシナリオでは極端な経済混乱を避けつつ改革を実現できます。人々の生活への影響も比較的緩慢で、インフレや失業の変動は緩やかに抑制されます。例えば基本的な金融サービスは従来通り維持されつつ裏側でデジタル通貨への置き換えが進み、企業も徐々にESGやステークホルダー重視へ経営方針を転換していく、といったイメージです。
  2. ニュートラル(中程度の衝撃シナリオ):
    一定のショックや危機を契機に、現在のシステムがある程度荒療治的に再編されるシナリオです。例えば米国の財政危機が顕在化して債務上限問題がこじれ、一時的に米国債の信認が揺らぐような事態が起きるかもしれません。または、欧州の金融機関で大規模な破綻が起こり連鎖危機となる可能性も考えられます。しかし各国当局が協調して迅速に対処すれば、2008年のリーマン危機程度の混乱で食い止めることも可能です​

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    。このようなショックが発生した場合、各国は従来の延長ではなく新たな制度設計を迫られます。具体的には、主要通貨国による**「新ブレトンウッズ会議」の開催や、IMFの特別引出権(SDR)の役割拡大などが検討されるでしょう。結果としてドルと他通貨の相対的地位調整(為替レートの大幅な切り下げ・切り上げ)が行われたり、国際機関主導で各国の債務再編や通貨スワップ網の拡充が実施されるかもしれません。社会への影響はマイルドシナリオより大きく、一時的な景気後退や金融市場の混乱は避けられませんが、政府・中央銀行の介入で秩序は保たれます。例えば一部の銀行が国有化されたり、一時的な資本規制で取り付け騒ぎを封じ込める措置などが取られる可能性があります。最終的には、危機対応を通じて今後の持続可能な金融枠組みへの移行**が成し遂げられます。ドルは依然重要な地位を占めるものの単独の覇権ではなくなり、各国はマルチカレンシー体制の下で新たな均衡を図ることになるでしょう。
  3. ハード(劇的なシステム転換シナリオ):
    複数の大規模危機が連鎖し、現在の金融システムが急激に崩壊・再編を余儀なくされる最悪のシナリオです。例えば米中の軍事衝突や核戦争級の衝撃、もしくは主要経済圏でのハイパーインフレ・通貨崩壊などが同時期に発生するケースです。この場合、従来の国際協調は機能不全に陥り、各国は非常手段で自国経済を防衛する動きに出ます。極端な場合、ドルの信認が急落して通貨危機が発生し、各国中央銀行は緊急に新通貨制度を模索することになるでしょう。銀行休業や預金封鎖、為替取引の停止など、戦後の預金封鎖のような措置が取られる可能性も否定できません。国際貿易は一時的に決済手段を失い大混乱となる恐れがあります。各国政府はIMFやBIS(国際決済銀行)と協力し、金やSDR、あるいは主要国のCBDCを基にしたグローバルな緊急決済通貨を創設するかもしれません。例えば主要国が参加する「デジタルSDR」のような国際通貨単位を発行し、それに各国通貨をリンクさせる形で新秩序を構築する、といったシナリオです。または、ドルに代わり複数の地域基軸通貨(デジタル人民元・デジタルユーロ・デジタルドルなど)が併存し、それぞれのブロック内で経済を回す形になる可能性もあります。いずれにせよ、非常に短期間に劇的な転換が起きるため、その間の経済的損失は甚大です。WEFの試算では、金融システムの極端な分断は世界GDPを5%以上押し下げるとも言われます​

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    。これはリーマン危機時以上の痛手で、人々の生活にも失業や資産喪失など深刻な影響が及ぶでしょう。社会不安が広がり、政治体制にも動揺が走るかもしれません。最終的に新秩序が形作られるまでに相当の時間を要し、その間に各国間のパワーバランスも大きく変わる可能性があります。

以上の3シナリオはあくまで可能性の幅を示したものですが、現実にはこの中間のケースも含め連続的です。重要なのは、急激な変化ほどコストと混乱が大きいため、国際社会としてはできる限りマイルドな移行にとどめる努力が求められる点です​

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。実際、現在進行中の出来事――ロシア戦争や米中対立、パンデミックからの復興策――の帰結が、どのシナリオに近づくかを左右するでしょう。例えばウクライナ戦争が早期終結し米中関係も安定すればマイルド路線に寄与しますし、逆に対立が深まり各国がブロック経済化すればハードシナリオに近づきます。私たちとしては最善を願いつつ、最悪にも備える姿勢が必要だと言えます。