こんばんは。
1年程前からスピリチュアル関係の方々と知り合ったことでハマっている今日この頃です。
既にこのブログを初めて半年が経とうとしています。
さて、このスピリチュアル界隈では、やたら出て来る「瀬織津姫」。
私は古事記などのストーリーは一般的なレベルで知っているのですが、この「瀬織津姫」については全く知りませんでした。
「古事記」や「日本書記」でこの姫様の名前はなかったはずと思いますが。。。
一応、歴史好きなので(汗)、知らないとは。。。と思い早速調べてみました。
調べてみてもやはり「古事記」と「日本書記」にはありません。
ひょっとすると、歴史好きで注目されている偽書なんて言われている「先代旧事本紀」にあるのではないか?
或いは「竹内文書」に書いているのか?
調べようと思いましたが、この関係の書物は自宅にあるわけでもないので、ネット上で調べてみました。
「先代旧事本紀」にも「竹内文書」にもネット上で調べる限りはこの「瀬織津姫」は出てこないようです。
しかし出て来る出て来る色々な説が。
多すぎて、どれが真実に近いのかも全くわかりません。
しかし「瀬織津姫」のことが書かれている史書を見つけました。
二つあるようです。
まず一つ目が「大祓詞(おおはらえのことば)」です。
二つ目が「ホツマツタエ」だそうです。
「大祓詞」とは神道の神事で夏と年越しの毎年2回行われる行事のようです。
その「大祓詞」を唱えることで罪や穢れを祓い清めるんだそうです。
神道においては"祓い浄めを司る女神"として定義されているそうです。
水の神様とも言われるそうですね。
「ホツマツタエ」、これは神代文字の一種で何となく「カタカムナ文字」と良く似ていますが、全く異なる文字です。
神代文字は、漢字の伝来の前にあった日本古代の文字です。
「ホツマツタエ」では、天照大御神は男性神(古事記では女性神)は12人の后がおり、その1人が「瀬織津姫」なんだそうです。
その他の説では「瀬織津姫」は天照大御神の荒魂と言う説もあり、伊勢神宮の荒祭宮に祭られているとか。
この瀬織津姫が祭られている有名な神社は兵庫県にある「廣田神社」と「六甲比命神社」なんだそうです。
他にも「瀬織津姫」を祭っている神社はたくさんあるそうです。
説はその他にも色々あるようですが、気になったのは、
正史とされる「古事記」や「日本書記に」載せていないこと。
そして何故か明治政府がとある神社に圧力をかけ「瀬織津姫」の代わりに他の神をまつらせたりしていること。
私は、当初「古事記」「日本書記」に載せていないと言うことが判明した時点で、
ニギハヤヒ(饒速日命)と言うべきか、物部氏側の祖先と何か関係があるかと思っていました。
だから「先代旧事本紀」から調べないとわからないと。
実際に、そうではないかと言う説を唱えている人もいます。
かの有名な「神武天皇東征」で神武天皇が苦戦した長髄彦(那賀須泥毘古)の妹でもあり、
ニギハヤヒ((饒速日命)の妻であった登美夜毘売(とみやびめ)、あるいは三炊屋媛(みかしきやひめ)が「瀬織津姫」と言う説を唱えている人もいます。
これは恐らく真実ではないでしょう。
しかし合点がいく部分もあるんですよね。
何故なら、正史とされる「古事記」や「日本書記に」載せていないことから。
神として祭れないでしょう。都合が悪すぎる。
あと、スピリチュアル界隈で良く聞くもう一人の姫がいます。
「木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)」。本名「神阿多都比売(かむあたつひめ)。
この人は、古事記の中でも出てきます。
天照大御神の孫・ニニギノミコト(邇邇芸命)の妻です。
この話は面白いのですが、長いので割愛します。
近いうちに「瀬織津姫」が祭られている神社にでも行ってみようと思います。
そこでこの謎の「瀬織津姫」の何等かの伝承が残っているやもしれません。