万緑の浦江・大仁路報告―大仁篇 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

2024年5月25日(土)、

大阪あそ歩の浦江・大仁コースをガイドしました。

今回も阪俗研の会友でもある高橋秀幸さんからの

「実況」レポートを載せます。

レポートは2回に分け、今回は、大仁篇とします。

 

◆5月25日 田野先生がご案内する大阪あそ歩

 「校歌に歌われた田蓑島」に参加しました。(中略)

 1966年(昭和41年)ビートルズが日本に来た2~3日後に、

 通天閣よりも高い大阪タワーがオープンした。

 しかし展望性が欠けていた。

 1969年にはホテルプラザが真横に開業し、時代はスモッグの時代に入る。

 1970年に万博があり、その時代は公害で展望も効かなくなって来た。

 この近くの大仁・浦江などは工場街で煙突だらけの時代とお聞きする。

 行基さんが掘削した白鷺島堀川跡を東に向かい、

 大淀中学校横の大広歩道橋に登り周りを眺める。

 真下を南北に走る道路。

 ここがある時代の海岸線だった。

 舟が発掘されたのも大淀中学校の鷺洲遺跡。

 この辺りは、古い時代交易が盛んだった事が分かる。

 今回も楽しく凄く勉強になる街歩きでした。

 

以下、田野による書き込み。

当日、ご覧に入れました写真・錦絵等の資料も無しで

記憶だけで、良くぞ、ここまでまとめ上げていただきました。

今、ボクは当日の資料と対照して綴ります。

 

大阪タワーは「工場街で煙突だらけの時代」の只中の

1966(昭和41)年に建設され、

1997(平成9)年頃までは展望は営業されていたようで、

タワーは、その後も解体されずにありました。

生前、父がお世話になった特別養護老人ホーム「グリーン野田」での花見は、

毎年、浦江の八坂さんの参道で、

浦江公園から大阪タワーを眺めていました。

写真図1 浦江公園からの東の眺め 撮影は2008年4月

今回のツァーでは、大仁八阪神社に参りました。

「大仁」は、親たちは「ダイニン」と撥音を入れて呼称していました。

大仁八阪神社には「大仁八阪神社御社殿復興記念碑」が建っています。

写真図2 大仁八阪神社復興記念碑 

この記念碑には建碑の年月日は刻まれず

「大仁八阪神社御造営奉讃会会長勲四等 平川久一」とある碑です。

その「沿革」の冒頭の王仁公祀址発見の件は、次のとおりです。

漢数字は算用数字に書き換え、適宜、改行します。

◆紀元12世紀建久年中約700年以前当地域ハ摂津国西成郡大仁村ト呼称サレ

6世紀513年百済国聖王ヨリ我朝ニ献セラル五経博士ノ文章博士タリシ

王仁公ノ所縁ノ地ナリシナリ

天変地異700年ノ星霜ヲ経テ之ノ地ヲ開墾中ノ里人埋没セル大ナル祀趾ヲ発見シ…

 

6世紀「王仁公ノ所縁ノ地」であった、この地「摂津国西成郡大仁村」に

鎌倉時代の建久年中に開墾中の里人が「埋没セル大ナル祀址」を発見したとの

祭祀の端緒が刻まれ、速素戔嗚尊を鎮守とした経緯に至ります。

いっぽう幕末から明治にかけての絵師・長谷川貞信の錦絵

浪花百景ノ内 大仁邑一本松の社」の冒頭は以下のとおりです。

ルビは省略します。

大仁村は浪花より尼崎への往還にて此地の北に王仁天皇の社あり

 此うしろに古松の大木一株あるをもつて世俗一本松の社といひて(以下略)

下向して北梅田スカイビルに向かう折、

 

「浪花百景ノ内 大仁邑一本松の社」の図像と重ねながら

大仁八阪神社をワンショット。

写真図3 大仁八阪神社の南東からの眺め

     撮影:2024年5月25日、髙橋秀幸阪俗研会友

「大仁村」には「だいにむら」のルビが振られ、

湯桶読みしますと「おおニン」。

王仁天皇」には「わうにんてんわう」のルビが振られていますが、

論語を伝えたとされる「王仁博士」の「王仁」は「ワニ」と読みます。

「だいにむら」の地名から「王仁博士」の祭祀址の伝承が生じたと考えます。

 

レポートにある「行基さんが掘削した白鷺島堀川跡」とはボクの空想ですが、

「行基年譜」の記事に「堀四所」の「比売島堀川」

白鷺島堀川」「次田堀川」

「大庭堀川」に挙げられる堀川の一つです。

写真図4 「行基年譜」の記事

「白鷺島」ならぬ「鷺洲遺跡」は、次の写真に見えます。

この写真は、亡父と梅田スカイビルの空中庭園に行った際、撮った写真です。

写真図5 梅田スカイビルの空中庭園からの眺め 撮影:2006年5月

「舟が発掘されたのも大淀中学校の鷺洲遺跡」とある大淀中学校は、

右下の黄土色に見えるグラウンドのある所、「空想白鷺島堀川」は、

中央の木立「浦江公園」に向かう道路です。

 

ゴールの梅田スカイビルでの髙橋秀幸会友によるワンショット。

写真図6 梅田スカイビル

              撮影:2024年5月25日、髙橋秀幸阪俗研会友

 

この後、今年の9月6日(火)に「先行まちびらき」をするという、

「グラングリーン大阪」の南西端の一角に梅田のお墓のあった話や、

「梅田の牛の藪入り」といった長閑な梅田道での行事をお話ししました。

初夏の万緑の下、ボクの街歩きに一行、

お付き合いしていただけ楽しい時間を共有できました。

 

究会代表

大阪区民カレッジ講師

大阪あそ歩公認ガイド 田野 登