井原西鶴*『日本永代蔵』の
「世界の借家大将」に
「掛鯛」の由来が
「世界の借家大将」たる「藤市と申す人」から
3人の聞き手に語られるくだりがあります。
*『日本永代蔵』:暉峻康隆訳註『日本永代蔵』
1967年初版、角川文庫
引用文中の(注)は、
該書に記述されているとおりのものです。
◇借屋請状之事、
室町菱屋長左衛門殿借屋に居申され候
(注)藤市と申す人、慥に千貫目御座候。
広き世界にならびなき分限我なりと自慢申せし。
(注)藤市:京都市中京区御池ノ町に住した藤屋市兵衛。
長崎商いで成功した万治・寛文頃の金持。
その始末咄は諸所書に散見している。(町人考見録)
『日本永代蔵』の意図について該書の解説には
次の記述があります。
◇…副題も「新長者教」であるように、
新時代の致富道を描いて提供するというのが、
その意図である。
京都室町の借家に住していながら
大金持ちとなった藤屋市兵衛を
取り上げる、このくだりも
成功譚の物語と思って読むことが求められます。
この「世界の借家大将」の末尾近くに
年中行事の由来を
藤市が語って聞かせる場面があります。
該書に記されていない「 」を会話の箇所に付けます。
◇藤市出でて、三人に世渡りの大事を物語して聞かせける。
一人申せしは、
「今日の七草といふ謂は、いかなる事ぞ、」と尋ねける。
「あれは神代の始末はじめ、増水と云ふ事を知らせ給ふ。」
又一人、「(注)掛鯛を六月まで荒神の前に置きけるは、」と尋ぬ。
「あれは、朝夕に肴を喰はずに、
これを見て喰うた心せよと云ふ事なり。」
「増水」は「雑炊」のことです。
懸案の「掛鯛」ですが、
該書の(注)は以下のとおりです。
◇元日に塩小鯛一双の口に縄を通して向い合わせに結び、
竈の上に吊して荒神に供え、六月一日にこれを食する。
荒神は竈神。
元日の塩鯛を縄に掛けて
荒神に供える旨、記しています。
その恰好は二尾「向い合わせ」です。
文楽劇場の正月飾りの作り物は
この「掛鯛」を模して
睨み合っていると解釈されます。
この藤市の答えの妙は、
掛鯛を見るだけで食うた気分に浸れというところです。
この段では「始末」の大事を唱えています。
このカタリが致富道を描くのに
用いられたまでですから、
当時の都市生活者一般の習俗であろうはずは
ありません。
それと知っても
子どもの頃のわが家での
じっと我慢の「睨み鯛」の風習に
通底する都市生活者の
多分に世知辛い知恵を重ね合わせてしまいます。
子どもの頃のわが家では
六月を俟たずして、羹にして食したものです。
尾頭付きの真っ赤な
鯛を骨までしゃぶることには、
籠められた呪力を
身に被ることで
健康を祈る意味でもあったのでしょう。
新いちょう大学校の第4講は1月17日(火)です。
「大阪のお正月」の講義をします。
年明け早々、ウォーミングアップしました。
大阪民俗学研究会代表 田野 登