記憶にある世界の変貌 | 晴耕雨読 -田野 登-

晴耕雨読 -田野 登-

大阪のマチを歩いてて、空を見上げる。モクモク沸き立つ雲。
そんなとき、空の片隅にみつけた高い空。透けた雲、そっと走る風。
ふとよぎる何かの予感。内なる小宇宙から外なる広い世界に向けて。

昨日、11月13日、
先週、浦江塾で話していただいた
山神 務(天神亭 神山)君と歩きました。

 

朝、起きると頼んでいたメールが届いてました。
◇今日、まち歩きの大阪あそ歩、
 「石畳路地の郷愁に誘われて大和田街道をゆく」コースに
 参加してきました。
 ガイドが、幼馴染の田野登君がします。
 半世紀も前に住んでいた、鷺洲、海老江界隈のコースです。
 当時はあまり意識もなく、友達とウロウロしていた界隈ですが、
 時の流れと言うのは、激しいもので、
 記憶にある、工場、電車道等々が大きく変貌しているのには驚きました。
 しかし、一歩裏道に入るとまだまだ昔からの長屋等が残っており、
 ついつい友達の家ではと、表札を確認している自分に気が付きました。
 時代に応じて変わることも必要かもしれませんが、
 その反面少し寂しい思いがしてくるのは、仕方のない事かもしれません。
 淀川の横に中津運河が流れていましたが、
 埋め立てられてペンペン草がぼうぼうでした。
 昔の鉄の橋は残っていました。
 今はなき 運河になおも 残りたる 橋を渡りて 過ぎし日思う

 

以下、田野による書き込み。
「記憶にある、工場、電車道等々が大きく変貌している・・・」
ボクたち団塊の世代の尻尾が幼かった昭和30年代、
街は喧噪に満ち、ほうぼうで異臭も放ってました。
学校の教科書には「煙の都大阪」なんぞあり、
校歌では「煙は高く空を覆い、鷺洲の里は賑わえり」と
声を張り上げて歌ってました。

 

メールにある「中津運河」は、危険な場所として鷺洲小学校では
近づくことも禁止されてました。
それが八阪中学に入って海老江も校区になって
少し世界が広がりました。
その運河が「ペンペン草が茫々」です。
写真図1 中津運河に架かる橋からの海老江の町

 

路面電車がノロノロ走った阪神北大阪線が廃止されたのは
昭和50(1975)年で、あれから40年。
沿線で植民地風の不思議な建物であった、
線香の孔官堂の建物跡地には
*セイワパレス福島セントラルガーデン といった
14階建てのマンションが建ったのは
2004(平成16)年10月のことです。
 *セイワパレス福島セントラルガーデン:
     :https://www.mansion-note.com/mansion/1097584
写真図2 線香の孔官堂の建物跡地のマンション

 

かつての農村で周縁部に位置した
福島区は、*あるマンション販売の宣伝によれば
大阪市中心6区(中央区・北区・西区・福島区・天王寺区・浪速区)の
一つであるようです。
 *あるマンション販売の宣伝:「リバーガーデン福島 木漏れ日の丘」
  http://fukushima850.jp/concept/index.html

 

今日、製薬会社の工場、研究所の施設が壊され、
新しい街に変貌しつつあります。
大日本住友製薬工場のあった場所は
地元、野田阪神北に本社のある
阪神電鉄が取得し、大型ショッピングモールが出来るとか。
写真図3 大日本住友製薬跡地

この際、大日本製薬であった時代の、正負交々の遺産を
払拭したかったのか、往時のシンボル的な建造物の「記念館」は
跡形もなく消し去りました。
「煙の都大阪」を謳歌した「近代」の清算なんでしょう。

 

旧大和田・梅田街道を挟んで斜向かいの
シオノギの研究所跡は下見から丸2週間経って
解体工事が進行し、中央正面棟も壊されました。
写真図4 シオノギの研究所跡

背後にあって
今まで見たこともなかった高層マンションが透けて見えます。
この光景は暫くのことのようです。
シオノギの研究所跡には
「リバーガーデン福島 木漏れ日の丘」という高層マンションが
建設されるようです。

 

前出の同マンションHPには、次のとおりの記事があります。
◇ 「梅田」を生活圏に、
 トレンドエリアとして人気の「福島」、
 そして毎日のお買い物をサポートする「野田」の生活利便施設も満喫できる。

 

うまく、この地域の地名をあしらっています。
さらに敷地内に「野田藤パーゴラ」を設けるとあります。
◇藤の名所だった福島区野田にちなみ、
 藤棚をしつらえました。
  春には、長くしだれる見事な藤を観賞できます。

 

この往時の自然景観をコンセプトに取り込む発想もまた
昭和30年代後半、
あのシンプルでモダンな研究所が
スモッグで
見えなかった時代を
塗り替えようとする思潮なのでしょうか?
少々、切ない思いもします・・・・。

 

きっと「記憶にある世界」は
時代の要請に応えて
更新し続けるものなのでしょう。

 

究会代表 田野 登