詩子です。

2月に神奈川県川崎市多摩区南生田に転居しました。
10月に思い立ってからわずか4ヶ月の間に
成年後見人になり、家を売り、家を買い、
広ちゃんも一緒にメトロポリタンホテルに二泊三日して仮住まいなしで
移動と言う映画並みにアクロバットな引越しをし、
美しい自然の素敵な環境にホッとして
荷ほどきも頑張って、ところが広ちゃんが初めての肺炎になり、
そして乗り越えて、あぁよかったと思ったら、
ゆらゆらと大地が揺れ
日本地図が変わってしまいました。

広ちゃんが使えるお風呂にとINAXのシャワードバス付きにリフォームする手はずで
解体したのに新しいお風呂が届かず、ちょっと不便な日々です。
内窓は工場が壊れてしまったらしく、違う会社に発注し直しました。

ゆらりゆらりと揺れつづけたあの時間、食器棚を抑えながら
来るべき時の到来に覚悟を決めました。
地球に育まれる人生の当然起こり得る出来事だと思います。

幸い地震は静かに通り過ぎてゆきました。
この大き過ぎる出来事の全体像を思う時、普通の人々の引き起こす狂気が
一番怖いと想定し、数日間外出しなくてよいための備蓄をしました。

また、本当に長期の停電が起きてしまえば、ミキサー食が作れず、
口にできるものはわずかです。下手に口にしてまた肺炎になっては
ドクターの手をわずらわすことになります。
ひろちゃんのために粉ミルクを一つ、お米、牛乳、卵、小麦粉、ヨーグルトなどを買いました。
そして本当に外出はしませんでした。
ドクターへの連絡も控えました。

そろそろ冷蔵庫に隙間が出来て来ました。
スーパーに行くとたくさんの食材がありました。
けれど相変わらず空の棚もあります。

在宅で介護をすると言うことのきわどさ
を感じ取れない人々が大半を占める日本で、
私は家族を護り続けることにこれからも執念を燃やします。

備蓄とは目的を果たしてこそ価値がある。


社会は査定に始まり査定に終わる。

幸福の極みという点が示されないと
不幸の度合いを測ることが出来ないのが社会だと思います。
私が徹底的に救える可能性があるのは
家族として生まれ合わせた人々ぐらいだと分かっているから
隣人の不幸に手を差し伸べることは難しい。
けれど、この生き方の先に不幸の極みの点を幸福の点へと近づける道が拓けていると確信します。

あえて、私は断言したい。
家族は迷惑をかけるためにある。
家族への迷惑を嫌って他者に依存する発想は根本的に間違っている。
だからこそ家族は必要だし、大事だし、貴重。
そして家族を構築することは困難と苦労の連続。
でも、人生を護り合うための必需品こそ、家族。

その根本的なことと向き合わず少子化対策などしても意味がない。

独り、病院介護で被災し、暴力的な移動で人生を終えることになった
無名の長寿者達の哀れさから視線をそらさないことこそ追悼だと思うのです。