娘の20歳の誕生日まで後数時間。
20年前の今頃…分娩台で赤川次郎読んでました。
7/24 出産予定日
7/06 37W3D
陣痛はそれなりにあったけど、まだまだ余裕。
『今日はまだ産みません。7月7日になってから産みますから病室でいます。』
と宣言してたんですが
「3指開いてるし朝までには絶対産まれるから、夜勤になる前に点滴いれさせて。」
兄1号 15分
39W4D 2,895g
吸引分娩
兄2号 10分
37W4D 3,165g
陣痛促進剤(点滴)
羊水混濁(+)
本人が『産まれる!』と自覚してから出産までの時間。
『陣痛だから痛くて当たり前』
我慢の限界がわからない危険人物
兄達の時、切迫流産&早産で5ヶ月近く入院してたので看護師さんはほとんどみんな顔見知り。
日勤→準夜 引き継ぎ前に分娩室に移動してライン確保。
痛みを逃しつつ陣痛の合間に文庫本3冊読みました。
23時過ぎ
「産まれそう?」
『まだ3分くらいだから寝てもいいですか?』
「電気どうする?」
『消灯(笑)』
「普通の妊婦さんなら大変な時間帯ですよ。何かあったらすぐにナースコール押してくださいね。」
7/7 0:30過ぎ
『すみません。破水したみたいです。』
「素晴らしい。準夜と深夜の引継終わったところ。助かるわ~」
破水を確認してもらって、分娩室においてあるポータプルトイレを使って分娩モード。
0:54 Dr.到着から5分で出産。
37W4D 2,980g
「たんぽぽさん、我慢しすぎ。やっぱり分娩室でラインいれててよかったわ♪」
痛みに強いわけじゃないって分かってくれてます。
イレギュラーな痛みだと具体的に訴えれるんだけど、痛くて当たり前の場面だと『痛い!』って言えないのよね。
ハーボニー治療で【○W●D】と記載しながら、
『マタニティーライフみたい』
と思ってました。
3人とも切迫流・早産だったので、【○W●D】週数が増えるのは大きなイベントでした。
先日の特許申請で取り寄せた娘の戸籍をみて
出生日、届出日とも【平成8年7月7日】
「日にちが7と8しかない!」
先輩が驚いたそうです。
「いつ産まれるかわからないから、早めに名前考えておいてね。」
INCUに入るのにも名前が必要だし、
「お世話するとき、名前で声がけした方が生命力↑するの。」
万が一の【死亡届】を出すための名前を考えるのは辛すぎるから…という、配慮も。
兄2号の時、お隣の分娩室で悲しいケースがありました。
兄2号の誕生は15:34でしたが【死亡診断書】の作成が優先されたため届出日は翌日です。
出生届の提出は、夜間・土日祝、365日24時間いつでも、どこの市町村役場でも受理してもらえますが、祝祭日・年末年始・夜間の届出の場合、出生届の預かりのみで、届出した書類は、休み明けに戸籍担当者が審査した後、提出した日付で受理されることになります。
15:37に生まれた兄1号は当日の受付です。
病院から役場まで車で15分。
今考えれば凄すぎ!
15:00に『まだ生まれないかも』と、公衆電話からとうさまのポケベルにメッセージをいれ、
15:15まで、ベッドに座って保険関係の書類を書いてたことの方が【すごすぎ!】
娘の誕プレ。
全てアルコールです。
ラムネは二日酔いに効くらしいです。