俺の宝物に、ネガフィルムの前身、写真乾板があります


 
写真乾板(しゃしんかんぱん、Photographic plate )とは写真術で用いられた感光材料の一種で、光に感光する銀塩の乳剤を無色透明のガラス板に塗布したものである。日本語では単に乾板と呼ばれる場合も多い。
1871年にイギリスの医師マドックスが発明し、1878年には工業生産されるようになり、箱入りで購入し好きな時に現像できるため短期間で写真湿板を駆逐した。より便利に扱うことができて破損しにくい写真フィルムの登場によって一般用としては昭和初期に市場からほぼ姿を消したが、天文学などの専門的な分野では1990年代まで用いられていた。(ウィキペディアから)


写真乾板は、秩父市内の旧家の当主が撮影したもので、没後に土蔵の整理をした際出てきたものです。ご家族から「写真が好きなあんたにあげるから、何かの時に使って」と託されたものです。
 大半は手札判で、今でいうサービスサイズ的なものでしょう。写っているのは家族のスナップが多かったです。キャビネ版は風景が大半で、「これは」という場所がありました。
そのうちの何点かを順次公開していきますね。もっとも、すでに萩平らさんぽ展で公開したものですが。
 
 ここで公開していく写真を撮影した年代は大正11年(1922年)10月26日前後、と特定しました。
 秩父神社門前の写真右側、宮前家の黒板塀などに紅白幕と思しき幕が掛けれています。道生町の通りをけん引される中近の山車、そして秩父往還を中町方向からの旗行列からでした。千束峠下の農家軒先には国旗が掲げられています。
 
 これらから、秩父宮雍仁(やすひと)親王殿下が、初めて秩父にお越しになった際、郡市民の奉祝行事を写した写真と特定しました。
イメージ 3(資料写真)
秩父宮殿下(左から二人目)がお越しになった時、秩父神社を御参拝され、境内に集結した秩父夜祭の山車6基をご覧になっています。今後アップする、道生町をけん引される中近の山車(傘鉾)は神社に向かうものと思われます。軒には提灯、紅白幕があります。これは神社門前や矢尾百貨店前の写真に共通しているからです。
 
これがガラス乾板をスキャニングした写真
イメージ 1今の矢尾百貨店前から、中町方向を写したものです。奉祝の旗行列、軒には紅白幕が下がってます。行列が流れて写っているのは、当時のガラス乾板の感度が低く、シャッタースピードも遅くなったからです。
右の白い建物は秩父警察署。中央の防火、防風を兼ねたカシの木は一部現存してます。
 
 
ほぼ同じ場所から写した現在です。
 
イメージ 2