山登りは小学生のころから楽しんできました。小4の時、理科部に入っていて植物採集で三峰山に登ったのが最初だったと思う。標高1000mを超す山は最初、その次は武甲山、標高1304mだが、当時は1336m。低くなったのは石灰岩採掘からでした。
で、高一の夏休み、雲取山の手前にある白岩小屋で何日も何日も過ごしました。同級生が手伝いに入っていたところに転がり込んだんです。山の居候人生のスタート。居候だって働いたんだ。おっきな水桶を背負って水場を往復。桶に水を満杯にしないと、水が動いてバランスを崩す。その時知った山の知恵。
甲武信小屋、雲取山荘も写真の師に同行して行きました。18歳の時。以来、二つの山小屋で居候に。故郷へ転勤になってからは、山仲間のAさんとよく行ったものです。
甲武信小屋では半ば小屋番同然。当時のオーナーはカネさん、こと千島兼一さん。ふもとで民宿をしており、近くの若い衆を小屋番に入れていました。後輩でもあるその助っ人に。
正月、カネさんがやってきた。小屋に入る前に、小屋周辺を点検。我々の山小屋管理に遺漏がないかを調べた。そして管理人の部屋に。「おい、これはなんだ」とストーブの前の白樺製のリクライニングチェアー。「いいだんべ」と俺たち。カネさん「おい、大事な板をつかったな」とお小言。
「ま、ま」と砂糖湯を出した俺。カネさんは酒は飲まず、砂糖湯が好き。俺とAさん=たつ兄いは一番安いニッカの水割りをごくり。日々の報告。
そのチェアーが役立つことに。神奈川の女子高生が足をねんざ、下ろすときにそり代わりにしたのです。その残骸は今でも千曲川の水源近くの原生林にあり、通るたびに青春時代を思い起こします。

カネさんを挟んでたつ兄い(右)と。画像加工なし
俺はちょうど日陰だったから
そのカネさんも入院中。たつ兄いはおととし山より高い所に逝ってしまった。それより早くがんで亡くなった相ちゃんのところへ。一昨年暮れ、たつ兄いの遺骨を富士山が見える甲武信岳山頂のすぐ南に散骨した。その2年前には相ちゃんの散骨をしたところへ.....

ここでたつ兄いと相ちゃんと酒を飲んだものです。雨でも雪でも一時間以上。今の管理人の徳さんの娘が「おじさん、カレー用の肉だけ持ってこい、って言われたから」と登ってきたことも。ふた昔以上の正月の撮影。俺が持つのはウィスキーの小瓶
ある人が書いてました。回顧と懐古のことを。このところ懐古のほうが多いと悔悟してます