久しぶりに下界で年越し。理由?せがれたちが言うように『自業自得』。
で、元旦の夕方、初詣。鎮守の秩父神社。午後5時近くとあって、参拝者は少ないと思っていたが、さにあらず。相当数の人たちが拝殿前に並び、お参りするのに少々時間がかかった。あの「子育ての虎」の彫刻をデジカメや携帯電話で写す人が見られた。

鎮守の初詣を前に、菩提寺大浜の円福寺に墓参。秩父七福神の福寿大黒天が祀られている。

【当山は平量山円福寺と号し、本尊阿弥陀如来、観音勢至両菩薩を安置し、秩父初開の真言密教の道場とされたものであります。降って、平将門弟平将平公を開基とし、畠山重忠父重能公を中興開基とする寺で真言宗智山派に属しております】

鎮守の初詣を前に、菩提寺大浜の円福寺に墓参。秩父七福神の福寿大黒天が祀られている。

【当山は平量山円福寺と号し、本尊阿弥陀如来、観音勢至両菩薩を安置し、秩父初開の真言密教の道場とされたものであります。降って、平将門弟平将平公を開基とし、畠山重忠父重能公を中興開基とする寺で真言宗智山派に属しております】
平将平(たいらのまさひら)公のお墓。将平公は承平天慶の乱の主役、平将門(たいらのまさかど)公の弟にあたる。将門公は、戦に敗れたあと、秩父の城峰山に逃れた、と伝説が始まる。 将平公の墓は五輪の塔で、部位からみて下から2番目の「水」を表わすらしいものが残るだけとなっている。五輪の塔は五つの石を積んだもので、下から「地・水・火・風・空」を表すという
中興開基の畠山重忠(はたけやまのしげただ)公のお父さん、重能(しげよし)公の墓。やはり五輪の塔だが、一部が残るだけ。畠山氏は平将門公と同じ桓武平氏の平良文(たいらのよしぶみ)公の末裔で、秩父氏の棟梁。木曽義仲の蜂起の時、平家に属した重能公は弟の小山田有重公とともに義仲軍を相手に、北陸を転戦している。 墓参は我が家の墓とともに、お二人の墓をお参りするのが俺の習わし。
今日も、恒例の二か所の初詣に出かける。いつもは、5日前後なるが、今年は早い。途中、福袋を物色するか。
今日も、恒例の二か所の初詣に出かける。いつもは、5日前後なるが、今年は早い。途中、福袋を物色するか。