写真、今ではデジタル画像。
 その時、その一瞬を記録する。
 記憶やスケッチと違い、鮮明で半永久的に残る。
 もっとも、写真は江戸時代末期からだから、100数十年かな、今のところ。

 街中の、店頭にぶら下がったイノシシ、その時、その一瞬を記録したものの一つ。
 これはアルバムに保存するほどではなく、ネガフィルムとして保存してきた。
 風景や祭礼、街中のスナップなどがネガフィルムファイルや、HDに保存する。ネガファイルに、ベタ焼き写真を添えている知人もいる。俺はしてこなかった。

 家族の写真。焼き上がってきたものをしばし見つめ、家族によってアルバムに貼られる。
 新しい写真ができあがるたびにアルバムは開かれるが、古いものを見るのは希になる。

 そんな中で、アルバムにはなかった一枚の写真が出てくる。
 懐かしい、というより「こんなの、撮ったっけ?」というものも。
 しばし、話題になる。

 その写真が再び視界から消える。その時、その一瞬を記録したものがなくなる。
 ネガフィルム、デジタルメディアがあればいいが、それすらないものは永遠に失われる。
 まるで、その時、その一瞬を否定されたかのようだ。過去すらもか。

イメージ 1 ネガフィルムの管理が悪いためか、想い出の写真のネガフィルムが見つからない。あるのは、サンプルで焼いたキャビネ版が数枚。画像もその一つ、スキャンして保存した。
 「カケスの○ーさん」と言われかねない。カケスはドングリなんかが好きで、冬場に備えて地面や樹皮に貯える性質があるが、その貯蔵場所を忘れ、翌年それが発芽してしまうこともあるという。物忘れの代名詞みたいな鳥もかわいそうだが。
 俺の場合は、単なる管理不行き届き。あ、同じことか....
 「カケスの○ーさん」だが、大切にしていた本が見つかった。これは後日。