このところ、といっても悲しいことに昔からだが、幼い我が子を殺してしまう事件を見聞きする。今朝もラジオで、関西の若い母親が、乳児を床に落として死なせたというニュースが流れた。少し前にもわが県でもあった。そこまで追い詰められるまで、さまざまなことがらや想いがあっただろう.
それは第三者にはわからない。知るよしもない。
望んでも子が授からない夫婦もいる中、大切な命を絶ってしまう。悲しく、切ない。
それは第三者にはわからない。知るよしもない。
望んでも子が授からない夫婦もいる中、大切な命を絶ってしまう。悲しく、切ない。
俺が住む秩父には「秩父34カ所観音霊場」の札所がある。室町時代から観音様に西方浄土をおすがりする巡礼たちがやってきていた。
安穏なるあの世をかなえくれるばかりではない。子授けや子育てにも
安穏なるあの世をかなえくれるばかりではない。子授けや子育てにも

その一つが、秩父市山田の札所4番金昌寺。山裾の境内には1200体の石仏が並び、中でも観音堂の右手にある通称「慈母観音」が有名。観音菩薩が乳飲み子を抱き、乳を含ませようとしている。その乳飲み子の右手は左の乳首をつまんでいる。授乳の日常風景そのもの.....。
乳飲み子を抱く観音像は慈しみあふれる姿で、いつ行っても心がいやされる。
寛政4年(1792)に奉納といい、江戸時代のもの。ところで、蓮台にはカエルが彫り込んであり「カエルは『ミカエル』。観音菩薩像に似せたマリア観音」と唱える人やら説があるのは承知している。が、俺は「へぇ、そうかい」。
だって「ミカエルは兵士の守り手、キリスト教軍の保護者であった」そうな(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。聖母マリアがキリストを抱いている姿、というが、乳飲み子を抱きかかえ、乳を含ませるのは万国共通だと思うけどね。
慈母観音の周囲には多数の絵馬がかけらて」れる。子を願う夫婦、その両親などの祈願者の気持ちが伝わる文面ばかり。中には、待望の赤ちゃんが授かり、お礼の言葉を書いたものもある。



これは、今でも通用する奉納額。今でも通用する、とは悲しい。
秩父市下吉田・桜井の札所33番延命山菊水寺。この観音堂内の右手壁面上に「子がえしのゑづ(絵図)」の奉納額が掛かっている。生まれたばかりの子どもの命をまさに絶とうとしている姿。その左手上には同じ絵柄でも、命を絶とうとしている女性の顔は般若と化している。江戸時代にあった嬰児殺しの悲惨な風習に対し、せっかく授かった子を闇に葬り去ることを諫めている、という。
秩父市下吉田・桜井の札所33番延命山菊水寺。この観音堂内の右手壁面上に「子がえしのゑづ(絵図)」の奉納額が掛かっている。生まれたばかりの子どもの命をまさに絶とうとしている姿。その左手上には同じ絵柄でも、命を絶とうとしている女性の顔は般若と化している。江戸時代にあった嬰児殺しの悲惨な風習に対し、せっかく授かった子を闇に葬り去ることを諫めている、という。
左上のゑの拡大。「子がへしをする人のこころのすがた」とある。
右下のゑの拡大。
お口直しに、楽しい石仏を。札所4番金昌寺の一体で、酒樽に乗って右手にとっくり、左手に持った大杯を頭にのせている仏様。笑顔が何とも言えない。
これも「酒断ち」という解釈があるとか。俺はやはり「あ、そっ」。
酒を断つのなら、もっと悲愴な顔になると思うけどね。
マリア様も、酒断ちも、人それぞれの解釈があると思うよ。
でも、慈しみの心はすべてにあって欲しいな。
友達のお嬢さんが9日に待望の出産。女児だった。今日、事務所であったとき「お、ばぁば。孫はどうだい?」と第一声。こぼれる笑顔にこちらも喜びをもらいました。