埼玉県秩父。関東山地の一角、秩父盆地にあります。
江戸時代なかごろ、江戸で修業した歌舞伎役者「初代 坂東彦五郎」が秩父に戻り、若者たちに歌舞伎を伝えた。芸を磨いた若者たちによって、いくつもの一座が結成され、関東はもとより越後まで公演に行ったといいます。
その一座も昭和初期には消滅。役者たちから演技を教わった素人が伝承してきたのが「小鹿野歌舞伎」や「秩父歌舞伎」で、12月3日の秩父夜祭の屋台芝居などで披露されてきました。

[昔ながらのたたずまいで曽我対面]
その一座も昭和初期には消滅。役者たちから演技を教わった素人が伝承してきたのが「小鹿野歌舞伎」や「秩父歌舞伎」で、12月3日の秩父夜祭の屋台芝居などで披露されてきました。

[昔ながらのたたずまいで曽我対面]
秩父には分かっているだけでも27の歌舞伎舞台があります。ほとんどが神社の境内で、朽ちるのを待つのが多いようです。
その中で、建てられたのは明治初年という秩父市寺尾の萩平浅間神社境内「萩平舞台」は建築当時のたたずまいを残しています。間口五間(九・〇八m)、奥行き三間半(六・三六m)の一部茅葺(かやぶき)、藁葺(わらぶき)寄せ棟の建物。
中央に廻り舞台、役者が舞台下から登場するせり上げの切り抜きや床照明を繰り出す穴など、舞台装置が完備しています。昭和55年、埼玉県の有形文化財に指定された唯一の歌舞伎舞台となっています。
中央に廻り舞台、役者が舞台下から登場するせり上げの切り抜きや床照明を繰り出す穴など、舞台装置が完備しています。昭和55年、埼玉県の有形文化財に指定された唯一の歌舞伎舞台となっています。

[子ども役者の曽我兄弟]
ここでの芝居は昭和六年以降中断しましたが、平成元年に屋根が茅に葺き替えられ、平成三年十一月村芝居が復活しています。実に60年ぶり。その後中休みがありましたが、萩平歌舞伎舞台保存会が秩父歌舞伎正和会の協力で村芝居を再開、今年で12回目になります。

[刃傷の場面]
10月18日に村芝居が行われ、秩父歌舞伎正和会が「仮名手本忠臣蔵三段目足利館 松間刃傷之場」と「仮名手本忠臣蔵三段目足利館 進物の場」2幕を披露。地元の小中学生が「吉例曽我対面 工藤館之場」と「白浪五人男」を演じています。
周辺の農家の納屋や土蔵の壁、農道をギャラリーとした「萩平さんぽ展」も開かれました。絵画や写真、陶芸、音楽演奏、はては「辻斬り」でなく居合抜刀道などたさいなものでした。刈り取られたばかりの田んぼで行われた女子中学生の野点が人気だったようです(これは、俺が舞台説明中で撮れなかった)

[納屋がギャラリーのさんぽ展]
来年は、事前にこのブログでお知らせしますね。