沖縄キャンプ見学の
楽しいブログとは全く違うものなので
違和感を感じられるかもしれませんが
今回、是非訪れたかった場所なので
ご報告します。
その場所とは…
日本海軍司令部壕。
米軍の艦放射撃に耐え、
持久戦をするための地下陣地。
戦闘下でも見晴らしがよく、
通信に障害がない高台にあります。
まずは高台にある慰霊碑にお参り。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/c7/b4/j/o0480064012848573521.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/3d/3e/j/o0640048012848573560.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/a5/c0/j/o0640048012848573610.jpg?caw=800)
南方の戦地に向けた
海軍の司令部として、
大きな役割を果たしていました。
壕の入口、
105段の階段を降りていくと…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/d6/ac/j/o0480064012848573664.jpg?caw=800)
縦横に通路が張り巡らされた
壕内に続きます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/5a/bd/j/o0480064012848573679.jpg?caw=800)
壕内には、
司令官室、幕僚室、作戦室、
暗号室、信号室、発電室、
下士官兵員室など
様々な部屋があります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/0e/a1/j/o0640048012848573711.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/ce/c3/j/o0480064012848573736.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/11/16/j/o0480064012848573765.jpg?caw=800)
そして、私は、この空間に入って、
涙が出ました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/81/3a/j/o0640048012848573784.jpg?caw=800)
ここは、
沖縄戦で米軍の猛攻を受けた最後、
司令官だった大田實少将はじめ、
幕僚6人が、
壕内で手榴弾で自決した場所です。
手榴弾で自決した時の破片のあとが
当時のままはっきりと残っています
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/f3/06/j/o0482048012848573805.jpg?caw=800)
この自決直前、大田司令官は、
海軍次官に宛てて、打電しました。
(最後にその文章をご紹介します)
どんな思いだったか。
どんな状況だったのか。
想像を絶する悲しみと無念です。
鍬やツルハシで、
これだけの壕を掘りました。
沖縄県民も参加したとの事です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/ea/db/j/o0640048012849023012.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/b3/85/j/o0480064012849023032.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/7d/9c/j/o0480064012849023049.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/23/86/j/o0480064012849023070.jpg?caw=800)
トイレも換気もないこの地下深くで
何ヵ月間も過ごし
多くの兵士が亡くなりました。
戦後およそ70年。
しかし、この壕を訪れ、
その物言わぬ迫力に、
たった70年しか経っていないのか、
という気さえしました。
現在の日本に生きていると、
とても70年前、この場所で、
本当に起きていた事とは思えません。
想像を絶する苦しみと悲しみと
無数の命の上に成り立つ
今があるのだと
改めて感じます。
自決する直前、
大田司令官は海軍次官に宛てて、
次のように打電しました。
『沖縄県民かく戦えり』と。
沖縄県民が、いかに献身的に
作戦に協力したかを伝え、
そして最後に、
『県民に対し、後世、
特別の御高配を賜らんことを』と
訴えました。
大田少将が自決直前、
のちの沖縄のことに思いを馳せ、
県民の幸せを願ったこの想い…
日本の国土の
わずか0.6%である沖縄に、
基地の7割以上があるという現実。
果たして、現在の沖縄の姿は、
大田司令官の
思い描いたものでしょうか。
楽しいブログとは全く違うものなので
違和感を感じられるかもしれませんが
今回、是非訪れたかった場所なので
ご報告します。
その場所とは…
日本海軍司令部壕。
米軍の艦放射撃に耐え、
持久戦をするための地下陣地。
戦闘下でも見晴らしがよく、
通信に障害がない高台にあります。
まずは高台にある慰霊碑にお参り。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/c7/b4/j/o0480064012848573521.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/3d/3e/j/o0640048012848573560.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/a5/c0/j/o0640048012848573610.jpg?caw=800)
南方の戦地に向けた
海軍の司令部として、
大きな役割を果たしていました。
壕の入口、
105段の階段を降りていくと…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/d6/ac/j/o0480064012848573664.jpg?caw=800)
縦横に通路が張り巡らされた
壕内に続きます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/5a/bd/j/o0480064012848573679.jpg?caw=800)
壕内には、
司令官室、幕僚室、作戦室、
暗号室、信号室、発電室、
下士官兵員室など
様々な部屋があります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/0e/a1/j/o0640048012848573711.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/ce/c3/j/o0480064012848573736.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/11/16/j/o0480064012848573765.jpg?caw=800)
そして、私は、この空間に入って、
涙が出ました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/81/3a/j/o0640048012848573784.jpg?caw=800)
ここは、
沖縄戦で米軍の猛攻を受けた最後、
司令官だった大田實少将はじめ、
幕僚6人が、
壕内で手榴弾で自決した場所です。
手榴弾で自決した時の破片のあとが
当時のままはっきりと残っています
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140216/19/tanno-midori/f3/06/j/o0482048012848573805.jpg?caw=800)
この自決直前、大田司令官は、
海軍次官に宛てて、打電しました。
(最後にその文章をご紹介します)
どんな思いだったか。
どんな状況だったのか。
想像を絶する悲しみと無念です。
鍬やツルハシで、
これだけの壕を掘りました。
沖縄県民も参加したとの事です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/ea/db/j/o0640048012849023012.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/b3/85/j/o0480064012849023032.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/7d/9c/j/o0480064012849023049.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140217/00/tanno-midori/23/86/j/o0480064012849023070.jpg?caw=800)
トイレも換気もないこの地下深くで
何ヵ月間も過ごし
多くの兵士が亡くなりました。
戦後およそ70年。
しかし、この壕を訪れ、
その物言わぬ迫力に、
たった70年しか経っていないのか、
という気さえしました。
現在の日本に生きていると、
とても70年前、この場所で、
本当に起きていた事とは思えません。
想像を絶する苦しみと悲しみと
無数の命の上に成り立つ
今があるのだと
改めて感じます。
自決する直前、
大田司令官は海軍次官に宛てて、
次のように打電しました。
『沖縄県民かく戦えり』と。
沖縄県民が、いかに献身的に
作戦に協力したかを伝え、
そして最後に、
『県民に対し、後世、
特別の御高配を賜らんことを』と
訴えました。
大田少将が自決直前、
のちの沖縄のことに思いを馳せ、
県民の幸せを願ったこの想い…
日本の国土の
わずか0.6%である沖縄に、
基地の7割以上があるという現実。
果たして、現在の沖縄の姿は、
大田司令官の
思い描いたものでしょうか。