沖縄キャンプ見学の
楽しいブログとは全く違うものなので
違和感を感じられるかもしれませんが
今回、是非訪れたかった場所なので
ご報告します。


その場所とは…

日本海軍司令部壕。



米軍の艦放射撃に耐え、
持久戦をするための地下陣地。

戦闘下でも見晴らしがよく、
通信に障害がない高台にあります。

まずは高台にある慰霊碑にお参り。






南方の戦地に向けた
海軍の司令部として、
大きな役割を果たしていました。


壕の入口、
105段の階段を降りていくと…



縦横に通路が張り巡らされた
壕内に続きます。


壕内には、
司令官室、幕僚室、作戦室、
暗号室、信号室、発電室、
下士官兵員室など
様々な部屋があります。












そして、私は、この空間に入って、
涙が出ました。


ここは、
沖縄戦で米軍の猛攻を受けた最後、
司令官だった大田實少将はじめ、
幕僚6人が、
壕内で手榴弾で自決した場所です。


手榴弾で自決した時の破片のあとが
当時のままはっきりと残っています

この自決直前、大田司令官は、
海軍次官に宛てて、打電しました。
(最後にその文章をご紹介します)

どんな思いだったか。
どんな状況だったのか。
想像を絶する悲しみと無念です。



鍬やツルハシで、
これだけの壕を掘りました。
沖縄県民も参加したとの事です。








トイレも換気もないこの地下深くで
何ヵ月間も過ごし
多くの兵士が亡くなりました。



戦後およそ70年。

しかし、この壕を訪れ、
その物言わぬ迫力に、
たった70年しか経っていないのか、
という気さえしました。


現在の日本に生きていると、
とても70年前、この場所で、
本当に起きていた事とは思えません。


想像を絶する苦しみと悲しみと

無数の命の上に成り立つ
今があるのだと

改めて感じます。



自決する直前、
大田司令官は海軍次官に宛てて、
次のように打電しました。

『沖縄県民かく戦えり』と。

沖縄県民が、いかに献身的に
作戦に協力したかを伝え、

そして最後に、


『県民に対し、後世、
特別の御高配を賜らんことを』と
訴えました。


大田少将が自決直前、
のちの沖縄のことに思いを馳せ、
県民の幸せを願ったこの想い…



日本の国土の
わずか0.6%である沖縄に、
基地の7割以上があるという現実。



果たして、現在の沖縄の姿は、
大田司令官の
思い描いたものでしょうか。