遅まきながら、
『永遠の0』
年末年始のお休みに読みました。

読みながら、何度も涙がこぼれました。

ラバウル、ガダルカナル、ミッドウェー…
どんな戦いが行われていたのか

桜花、カミカゼアタック…
どんな事が行われていたのか


この様なことが、
いえ、これ以上の、

壮絶で、悲惨で、不条理な現実が、

あまた起きていたのかと思うにつけ、
涙が止まりませんでした。


そして、昨夜、映画も観に行きました。

原作を読んだ後でしたから、

ああ、あのセリフが活かされてない、とか
あの設定が変えられている、とか
原作にないこのシーンが入っている…
などとよぎり、
正直、本ほどは泣けませんでした。

ただこれは、本を映画化する時は、
どんな作品であれ、そうだと思います。

どうしても、
何万字という文字で書かれたものを、
二時間や二時間半の中に、
全て入れる…というのは、難しいですよね。


とは言え、

実際に映像化されると、
やはり、胸に迫るものがありました。

例えば、戦闘機に乗った若い兵士の視界が、
当然映像化されている訳ですが、

そうすると、つい先日、私が、
年末年始のお休みで飛行機から見た眺め…

きらきら光る美しい海面や、
離陸着陸時に見る陸地の景色…

それらは、今この平和な時代、
飛行機の窓から眺める景色だからこそ、
ああ、綺麗だねと思えますが、

70年前の戦闘機に乗った
日本の若い兵士達は、

このような景色を、零戦の窓から、
ミサイルが飛び交う乱戦の中で
命をさらして見ていたのだな…と思うと、
ぐっと涙がこみ上げました。


今日は番組にも、『永遠の0』について、
本を読まれた方、
映画をご覧になった方、
様々なご意見が寄せられました。

中には、
今回の本には、例えば、
現地の人々がどうなっていたかなどは
描かれておらず、
「あれではきちんと戦争が描かれていない」
というご意見もありました。

また、そういったご意見を受けて、
戦争は、一方の側にとっては、
「大義」であり「正義」であったとしても、
反対側の立場からすれば、悪の所業である、
というお便りも寄せられました。

本当に貴重な多くのご意見、
どうもありがとうございました。

その上で感じたのは、

歴史に対する知識の量、
認識なども人それぞれで、
立場が違えば、視点も異なる訳で、

本でさえ、
そういったもの全てを一度に盛り込むのは
困難でしょう。

だからこそ思うのは、

どれか一つの見方、
ある側からだけの描き方を
鵜呑みにするのではなく、

あらゆる角度から知る…という事が、

戦後生まれの私としての
真摯な態度なのではと感じています。


様々な立場・視点で書かれた書物や資料を、
自分なりに消化しながら、

あの戦争は何だったのか、
何が起きていたのかを考えていく事が、

戦争で亡くなった全ての方々への、
せめてもの、
今を生きる者の
責務なのではないでしょうか。

















Android携帯からの投稿