丹南文化編集室ae? - たんなんFM -2ページ目

恩返ししなくては・・・はじめての旅?受験の想い出 - 越前市国高小学校教諭 川端宏明

今でこそこんな仕事をしていますが,高校生活3年間は勉強なんてあまりしたくなくて・・・。そんな状態だから3年生の冬には、『受かる確率が限りなくゼロに近い大学受験』という現実が当り前のように待っていました。そんな私でもイっチョ前の受験生のように受験会場の近くにホテルを取り、前日に下見なんぞに出かけたりしました。


ホテルに到着すると、翌日に控えた受験のことで頭一杯・・・どんよりとした気分。ホテルに一人で泊まるのも初めて・・・という不安感も手伝ってか悲壮感は増すばかり。それでもなんとか気を取り直し最寄り駅に向かうバス乗り場へ。バスの出発時間までにはまだ少しあったのですが、バスのドアは開いていたのでとりあえず乗って、運転席の真後ろに座って待つことにしました。(たくさんの人に囲まれるのが嫌でとても後ろの座席には座れなかった・・・)
しばらく待っていると「兄ちゃん」と声をかけられました。運転手さんでした。
「兄ちゃん、受験生か?○○大学受けるんか?」と。小心者の私は一言返すだけが精一杯「・・・はィッ・・・。」その後どんな会話を交わしたのか・・・よく覚えていません。覚えているのは優しそうな人だな、という印象だけです。出発時間が来て20分ほどで目的地の駅に着きました。お金を払おうと財布を取り出すと、「兄ちゃん,それはいらんで。」と運転手さん。戸惑っている私に微笑みながら、「お金はいらん。その代わり明日頑張ってこいよ!」と・・・。一人でいる不安、受かる確率の低い受験に対する不安、そして何よりも、自分の未来への不安・・・。その時のその言葉は、そういったたくさんの不安で押しつぶされそうになって暗く沈んだ私を温かく包みこんでくれたのでした。涙が出ました。きっと周りの人にはおかしな若者に映ったでしょう。涙ぐみながら「ありがとうございます!」と何度も頭を下げいっこうにバスを降りようとしない若者・・・。
しかし,今となって思えば,この出来事が私にとって大きな転機だったのです。


町行く子どもたちに「おはよう」と声をかけるだけで不審者として通報されかねない今のこの時代。安全には代えられないとはいえ,人の温かさ,優しさといった大切なものが失われていくようでなりません。損得など抜きにして,ただ相手を想い,人が人に素直に声をかけ,温かさを共有することができる。そういった社会をつくっていくためには何が必要でしょうか?あの時声をかけられなかったとしたら,私は今でも厳しい現実から目を背け続け,ずっと逃げ回っていたかもしれません。少なくとも今の私はなかったでしょう。
運転手さんの励ましも空しく,その大学には落ちてしまいました。しかしあれから十数年たった今,こうして教壇に立って,大切なものを子どもたちに少しでも伝えようと,日々悪戦苦闘しています。少しは運転手さんに恩返しできてるかなぁ・・。

其の六 背割り水路 - ラピュタ創造研究所 井上和治

武生・蔵の辻には江戸時代からの背割り水路が残っている。背割り水路とは背中合わせに建っている町屋の裏側境界を流れる排水路のことである。蔵の辻の背割り水路は、大塚呉服店の石蔵とラピュタの間を起点に西進し、民家の床下を潜った後、蔵の辻の東屋後ろで直角に右に折れて今度は暗渠化して北進し、チャーミーバーの店先をかすめて竹香堂書店と水野歯科医院の間に続いている。この先、水路は本興寺の外縁を廻ってさらに北進を続けるが、その行き着く先は知らない。
蔵の辻のこの背割り水路は、江戸時代、排水路であると同時に、武家屋敷群と商家群の境界でもあった。もっと言うと、武士と町人の階級の境界でもあった。現在の蔵の辻の広場は、武士側であり、そば処蔵の辻やチャーミーバーは町人側だったことになる。
元来、機能的に排水路であったこの背割り水路を、大正六年一月、堀江庄五郎を筆頭発起人とする蓬莱・幸・有明地区の有志が、表川用水を引き込んで用水路にしようという運動を起す。その時の記録控えによると、「相当以前から用水引き込みを画策してきたが実現しなかった。ところが最近、表川用水組合がまとまった金が必要となったので、寄付金六百参拾参円を関係住民から集め、内参百円を組合に支払うことによって多年の計画を成就することができた。」とある。そして、表川用水から分水の条件は、「木材板一枚堰トシ、堰高河底ヨリ七寸ヲ超ユベカラズ」と記されている。    
こうして、しみず化粧品店前で表川用水から分水した用水が現在のラピュタの前に新設された水路を流れて大塚呉服店の石蔵のところに達し、先述の背割り水路に流れ込んでいたのである。私の小さい頃、昭和三十年代、この背割り水路にはとうとうと水が流れ、メダカや小魚が泳ぎ、水草がよく流れてきていた。大雨の後には亀さえ見つけることができた。
ところが昭和三十年代後半になって表川用水が暗渠化されると、この背割り水路への分水が物理的に不可能になって水は流れなくなり、水路は悪臭漂うドブと化した。
蔵の辻を整備開発する際に、昔の町用水を偲んで広場に沿って南北に水路が設けられた。この水路の水源は、東屋横にある井戸風地下ポンプからの揚水である。この水は、暗渠化された元の背割り水路にそって流れた後、大きな松の木の下のポンプ小屋から再び最上流へ戻され循環している。
蔵の辻に来て蔵を見たついでに足元の背割り水路も見ていただけると幸いである。


ラピュタ創造研究所
井上和治

オバマ新大統領誕生で注目を集める日本企業 - 益茂証券 鯖江支店 谷口文康

 11月4日に米大統領選挙が行われ、民主党のバラク・オバマ上院議員が第44代大統領に選出されました。今回、新大統領に課された問題としては金融危機への対応や米国景気を立て直すことが求められています。またオバマ新大統領の政策目標のひとつに環境対策も挙げられています。具体的な内容としては、温室効果ガスを2050年までに1990年比で80%削減することや、再生可能な新エネルギー開発のため、今後10年間で1500億ドルを投資することなどです。現在、主要各国の京都議定書の目標達成状況は、ほとんどの国々で達成が難しい状況となっています。ただ、温室効果の原因となる二酸化炭素の排出量が多い米国において環境に配慮した政策を掲げているオバマ氏が新大統領に決定したことにより、今後、米国の温室効果ガス一層の削減に向けた動きが期待されそうです。また今回の米国の新大統領の決定は日本の環境関連企業にとって追い風となる公算が大きいです。日本は環境分野において世界的にも高い技術力を有しています。日本は太陽電池の販売量でこそドイツに世界1位の座を明け渡しましたが、生産量は依然として世界1位の座を守っており、世界における日本の技術の高さを証明しています。また太陽電池のみならず、高い安全性が求められる原子力発電においても日本企業は高い技術を誇っており、世界的にも注目を集めそうです。株式市場において環境関連銘柄は今年7月の北海道洞爺湖サミット後に調整が続いていましたが、今回の新大統領の誕生で業績拡大期待から再度注目が集まる可能性があります。太陽電池、原子力発電、風力発電、水処理、電気自動車、リサイクルなど環境技術は様々ですが、そのような観点から銘柄を発掘してみてはいかがでしょうか。


益茂証券株式会社 鯖江支店
〒916-0053 鯖江市日の出町2-1
TEL 0778-52-8600 FAX 0778-52-5152
URL http://www.masumo.co.jp
E-mail info@masumo.co.jp

王山古墳群 - 鯖江市産業観光ボランティアの会

 国指定文化財の王山古墳群は鯖江台地南端の独立丘陵上にあり、弥生時代後期(三世紀)から古墳時代中期(五世紀)のもので総数五十一基の墳墓が確認されています。
 丘陵の尾根筋には方形の墳墓が並んでいます。このうち一、三、四、七号墓は、墳丘墓(方形周溝墓と呼ばれ弥生時代後期の墳墓で、一辺が八~十二メートル、高さ一~二メートル前後の規模を有し、埋葬はいずれも中央に長さ三メートル前後の穴を掘り、箱形の木棺を納めたもの)です。
 丘陵の斜面には古墳時代の円墳が認められます。
 王山に墳墓が造られた頃は、村から国へと地域が統合されていく激動の時代です。北陸地方の制圧については、「古事記」「日本書紀」に記述されている「四道将軍」が有名です。その中の一人大彦命が北陸の地に派遣され、深江の逢山で神に祈り平定したとあります。
 昭和四十二年に国指定史跡に指定されて以来保存整備が続けられて来ましたが本年、四月から一般公開がなされました。市外からの観光客は皆、「JRの駅から歩いてすぐのところにこんなすばらしい古墳公園があるとは!」と口をそろえて賞賛してくださいます。


鯖江市産業観光ボランティアの会
参考資料(越前鯖江五万石 ふるさと史跡紹介)

三つ子+1 子育て母ちゃんの奮闘記6

母の気持ちがやっと分かった時の話。


ママの母はこんな文を書いているという娘(私)を知らない。と思う(?)
だから、正直に書くんですが・・・(^^;)


子ども達の通う保育園には、子ども達だけで行く終園旅行がある。
千円ほどお小遣を使ってよいというルールがあるらしい。


「ママにおみやげ買ってきてあげる~」と出かけた3人。


結局娘だけが、ママにお土産❤
男2人は自分のおもちゃ・・・・やっぱりね(T0T)


娘がくれたお土産は、ペンケースと匂い袋。


昔々、小学校の修学旅行で買ってきたお土産の小銭入れ。
母は、使わないでタンスにしまい・・・それっきり。
私は、何で使ってくれないのか不満で。


それから、20年程。
「ママ、何で使ってくれんのや~」と娘。


あのね。やっと分かった。


もったいなくて(*^^*)