日々生きていると、
大きな失敗から
日常の小さな気づきまで
様々な
自分の短所・欠点に
出会いますね。
意識していないと
その時その場では
気づかないにしても、
気づいた時には
すでに自分に
責める言葉を投げかけていたり
いつの間にか
「自分は〇〇(ネガティブな言葉)な人間(性格)だ」
などと認識を固めています。
今でこそ
その瞬間に
「あ、いま自分にがっかりしちゃってたわ」
とか
「また自分を責めてしまった・・・」
と気が付くようになりましたが
こうしてブログを書きながらも
自分に対して
どんな
「〇〇(ネガティブな言葉)な人間だ」
と認識しているかを
考えてみると、
みるみる
色々な言葉出てきます。
もしも、
私が自分の長所を尊重して
短所を悪者にしないで
生きていたとしたら
どんな自分を歩んでいるだろうか。
だれにでも
長所と短所があり
得手不得手があり
それが当たり前だし
それが
この宇宙の真理
というか
当然なことだと思えれば・・・
陰陽で考えれば、
長所があるのは
短所があるおかげ様
であり、
光と影のように
一つが存在するためには
もう一つも必ず存在する。
コインには
表しかない
ということはなく
必ず
裏がある。
短所を知り
短所を感じることにより
より長所や得意なことを
見つけることが出来る。
でも
その短所で
自分を追い詰めなくても
良いのですよね。
「意識は拡大レンズ」
という言葉を
教えてもらったことが
あります。
人間の特性というか
宇宙の真理として、
意識したことが
どんどん
自分の現実を創る。
短所に
変に意味づけすることなく
ただただ
特性として
受けとめることが
できれば、、
自分を責める言葉や
卑下する気持ちに
長く振り回される事は
なくなるのかもしれません。
今度、自分を
罰したり決めつける瞬間に
また出会ったら
このことを思い出したいと思う。
「あ~私こういうところもあるよね😊」って。
要するに
「私はこのままで良いんだ」と。💕
そして、もうひとつ。
そんな短所を
薄めたり、変えたりしようとする
代わりに、
長所や得意なことに
目や心を
向けてみる。
それ(長所や得意なこと)こそが
人生への「ギフト」
だと感じてみる。
十人十色
とか
みんな違ってみんな良い
とか
ありきたりで
野暮な言葉
のような気がしますが、
もし、
みんながみんな一緒だったら。
この世は
無意味な世界になる。
慣れ切った言葉ですが
その意味を
今一度感じてみると
不変的で
ものすごく
パワフルな言葉
な氣がしています。
世の中は
一人の例外なく
別々の人間
なのだからこそ、
成り立つ。
生きる意味がある。
人生を歩む価値が出てくる。
そう思うと、
長所も短所も含め
「私」という人間にも、
他の人と同じように、
まぶしいくらい輝いている
ように見える人とすら
同じように、
「私」という人間にも
このままで
「価値がある」。
これは
感覚だけではなく、
論理として
そう成り立つ
ことだと思います。
他にどんな惑星があるか
知り得ませんが、
この地球にきた意味
人生を体験する意味
がここにある
氣がします。
私は
人のことが
まぶしく見えている時、
それもまた
自分を卑下している時
だったりします。
見れば見るほど
「すごすぎる(自分とは違いすぎる)」
とか
「私には無理」
とか
どんどん自分の可能性を
思考を使って
自分で閉ざしてゆく。
やがて
心まで
閉ざされてゆく。
自分と他人は違う
ということを解かっていれば
このような事には
陥らない。
他人を正解にしない。
長所や得意なことが
必ず私にも在る
と、
知る。理解する。
常々
そう想えていれば
今すでに満ちた状態
で居ることができますね。
極論、
そのようにあれば
どのような現実が訪れても
ちゃんと自分に戻れる。
そんな氣がします。
満ち満ちた人。
心が満たされている人。
そんな人間になりたいと思う
この頃です。
ということで、
今日は
ツラツラと想うままに
書き出してみました。
結果、
自分への戒め
みたいになりました。😅
ノートに書き出すのも良いけれど
ブログに書き出すと
体裁が良いのもあってか
振り返る機会が
ありますね。
ノートだと
だんだんと殴り書きになっていき(笑)
読み返すこともないので。
今日も
最期までお読みいただき
ありがとうございます✨


