日本で生まれたお正月のお祭りの歴史を深川七福神巡りから紐解いた | 朝の散歩に9コース

朝の散歩に9コース

毎朝、福生市の多摩川の土手の公園を廻る9コースの散歩を楽しんでいる老人です。この散歩でスマホで撮った写真を基にして、種々のブログを書いています。

お正月の気分の抜け始めた1月10日に山の会の企画で都心の深川七福神巡りを行ってきた。江東区の深川は江戸時代に商業の町とし栄ており、その中心の町が深川で、神社仏閣が沢山そんざいしており、これらの神社とお寺に祭られている七福神を廻るのであるが、私は、この祭りがどのような理由でいつ頃に生まれたのかなどをこのイベントが終了してから、興味を持って調べてみた。七福神は日本の恵比寿とインドの大黒天、毘沙門天、弁財天と中国の福禄寿、寿老人、布袋の神々の信仰を寛永寺の天海大僧正が七難を消滅すれば,福が来ると唱え始めたと言われている。その後徳川家康が狩野探幽に描かせた宝船に乗せた七福神が評判になったことが急速に庶民の間に浸透したとのこと。この船には宝と米俵を乗せ、縁起が良く、新年を表わす季語としてもつかわれている。特に江戸時代の後半には、これらの祭られた七つの神々を祭られたお寺や神社を廻り、天下泰平の行楽と郊外散策を兼ねて始まったとのこと。この行事は、明治から現在まで継続され、この七福神巡りは全国各地で、特にお正月の行事として、盛んに実施されている。特に、人気ランキングでは1位が大阪七福神で2位が谷中七福神となっている。このように、この七福神巡りの祭りは、日本が独自に造り上げたものであるが、それらを構成する神々が、日本とインドと中国の発祥地から出来上がっていることも興味がある。このことを考えると先日の深川七福神巡りは、改めて、楽しい行事であることを再認識したのである。この巡りで立ち寄った食堂での深川めしは美味しかったのはさらに思い出となった。