サンダーバーズ | 戦車のブログ

戦車のブログ

戦車のことなど書いてます。
アメンバー・メッセージ、ペタは受け付けていませんので御了承下さい。
ブログの内容・文章・画像を許可無く無断転載を禁じます。
悪質な場合は著作権侵害となりますのでご注意下さい。

 

 

私もサンダーバーズを千歳基地で観たことがある。

 

特別に予行から観ることができたのは良い思い出である。

 

サンダーバーズ(Thunderbirds)は、アメリカ合衆国空軍に所属するアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チームで、正式な部隊名はThe United States Air Force Air Demonstration Squadronである。

 

 

 

アメリカ空軍の非公式な曲技飛行チームであったスカイブレーサーズ(Skyblazers)を発展解消させたものとして1953年6月1日に発足した。

 

 

現在の本拠地はラスベガス・ネリス空軍基地(アメリカ合衆国ネバダ州)である。

 

2008年10月運用中の航空機はF-16、白、青、赤のトリコロール配色と機体下部に描かれたフェニックスのペイントが特徴で、アメリカンスタイルと呼ばれる6機編隊でのアクロバット飛行を行う。

 

 

旧来よりアメリカ海軍のアクロバット飛行チームブルーエンジェルスとライバル関係にあり、共に世界で高レベルのアクロバット飛行技量を誇る。

 

近年ではF-16を使用して、ぎりぎりまで2機を近づける飛行が多く披露されている。

 

飛行中の両機間の距離は世界最短となり、ネバダ州で披露したこの飛行はギネスブックに登録された。

 

 

  • 1953年
    • 6月1日、アリゾナ州ルーク空軍基地で新規結成。
    • 6月8日、空軍関係者を対象としたデモンストレーションを行う。
    • 7月19日、初の一般公開デモを実施。
  • 1954年1月から2月、初の海外ツアー(南米)。
  • 1956年、ホームベースをネリス空軍基地に移転。
  • 1957年、南米・カナダツアー。
  • 1959年11月から12月、初の極東ツアー。このツアーに限り、板付基地に海外展開していたF-100Dの塗装を変更して使用。
  • 1961年4月、初の墜落事故(パイロットは殉職)。

 

  • 1963年、初のヨーロッパ・北アフリカツアー。
  • 1964年5月、初のデモ中の事故(パイロットは殉職)。この事故の数日後別の部隊でも墜落事故が発生し、F-105B全機が飛行停止。 使用機材をF-100Dに再度変更。
  • 1969年、使用機材をF-4E に変更し、塗装が従来のメタル・青・赤から白・青・赤に変更される。これはF-4Eの外板が数種類の金属を使用しており、部分毎に色調が異なるのを隠すため。
  • 1974年、第一次オイルショックの影響で使用機材をT-38Aに機種転換。
  • 1982年、ネリス空軍基地の西側にある訓練空域において事故。フォーメーションの4機とメンバー4名を喪い、チーム解散説が流れる。

 

  • 1983年、「72時間以内に実戦投入できる状態に出来る」という条件付きで使用機材をF-16Aに機種転換。
  • 1992年、使用機材をF-16C(ブロック32)に機種転換。
  • 1994年8月10日、アメリカ空軍三沢基地で展示飛行を実施、日本で一般公開の展示飛行は35年ぶり。またこの時に初めてブルーインパルスと競演した。
  • 1997年 ネリス空軍基地で執り行われたアメリカ空軍50周年記念エアショウ(ゴールデンエアタトゥ)でブルーインパルスと二度目の競演、なおブルーインパルスにとっては、初めての海外展示飛行だった。
  • 2001年 この年9月下旬から西太平洋ツアーが予定され、来日が予定されていたが、アメリカ同時多発テロ事件の影響により中止された。
  • 2003年 9月14日、アメリカ空軍マウンテンホーム基地(アメリカ合衆国アイダホ州)のガンファイター・スカイズで墜落事故(負傷者一名)。
  • 2004年 10年ぶりの西太平洋ツアーを実施したが、その中で日本(三沢、百里、浜松)で予定されていた展示飛行は全て悪天候で中止となった。
  • 2009年 F-16C(ブロック52)に機種転換。
 

 

1971年秋以降日本には来ていないブルーエンジェルスとは違い、サンダーバーズは日本での展示飛行の機会も多い。

  • 2009年秋、5年ぶりの『西太平洋・東アジアツアー』が実施された。前回は悪天候で展示飛行を行わなかったため、15年ぶりの展示飛行となった。
    • 9月30日 - 『西太平洋・東アジアツアー』の一環でアメリカ領・グアムのアメリカ空軍アンダーセン空軍基地で展示飛行予定だったが、台風のため延期され10月7日に行われた。
    • 10月15日 - 『西太平洋・東アジアツアー』の一環で日本・北海道千歳市の航空自衛隊千歳基地で展示飛行。
    • 10月17日 - 『西太平洋・東アジアツアー』の一環で日本・静岡県浜松市の航空自衛隊浜松基地で展示飛行。
    • 10月18日 - 『西太平洋・東アジアツアー』の一環で日本・青森県三沢市のアメリカ空軍三沢基地で展示飛行。

 

 

 

初期からジェット戦闘機を使用して各地のショーを回っていた。

 

 

初代の使用機はF-84であった。

 

 

サンダーバーズは1964年に1年間だけ、F-105 サンダーチーフを使用したことがあった。

 

しかしF-105の巨大な機体、高い翼面荷重はアクロバット飛行には不向きであった。

 

また、1964年5月に事故を起こしたことから、再びF-100を使用機に戻した経緯がある。

 

 

 

F-100に次いで使用された機種はF-4 ファントムであった。

 

しかしF-4も機体が大きすぎてアクロバット飛行には不向きであった。

 

こうしたことからF-4もわずか4年間の使用でT-38に代わった。

 

 

 

T-38はアメリカのアクロバット飛行チーム初の練習機(それまでは実戦機であった)となった。

 

T-38は空中給油が出来ない機体である都合上から、エアショー会場への展開は常に給油のため経由地が多くなり、また海外派遣も不可能になってしまったものの、燃費と機体性能は良かった事からF-4以上の機動力を見せつけた。

 

 

1982年1月に、T-38は一度に4機が墜落するという前代未聞の大事故を起こした(「ラインアブレスト」と呼ばれる、4機が横一列に並んだ隊形でのループ中にリーダー機がトラブルで引き起こしが出来ず、追従した3機もろとも墜落した)。

 

 

そうしたことからT-38は使用打ち切りとなり、サンダーバーズ自体も活動停止の危機に陥った。

 

しかし1年後の1983年に復帰し、機種はF-16 ファイティング・ファルコンに代わった。

 

現在でもF-16が継続使用され、サンダーバーズの歴代使用機の中でも長老機となっている。

 

F-16は今後もしばらくの間サンダーバーズの使用機として活躍することになる。

 

ボーイングではアメリカ空軍が練習機として採用したT-7A レッドホークをF-16の後継機として見込んでいる。