第二次世界大戦中にドイツ海軍潜水艦隊司令 カール・デーニッツ少将(後に海軍総司令官)が考案した、複数の潜水艦(ドイツではUボート)が協同して敵輸送船団を攻撃する通商破壊戦術の一つである。
群狼作戦は、潜水艦による通商破壊戦を行った。
ウルフパックまたは、狼群戦術と呼ばれ連合国軍を恐れさせた。
その主役であるUボートが日本海軍でドイツから譲渡されていた潜水艦「呂500」。
戦後に米軍に処分されて海底に沈んだ潜水艦「呂500」を探すという。
以下産経ニュースより転載
第2次大戦中、技術交流の一環としてドイツから譲渡され、戦後に処分されて海底に沈んだ旧日本海軍の潜水艦「呂500」の探索を、九州工業大などでつくる調査チームが若狭湾で始める。
調査チームによると、呂500はナチス・ドイツの潜水艦Uボートで、全長は約76メートル。
1943年に広島・呉港に入港後、練習艦として使われたが、終戦後の1946年4月に連合国軍総司令部(GHQ)が技術漏えいの防止などを理由に若狭湾で処分したという。
天候が良ければ18日から探索を開始し、21日までの予定で実施する。
同チームは米軍の記録や、沈没船の目撃情報などを基に、音波を用いて海底を調査。
船体の影が見つかれば、遠隔式の無人潜水機で撮影し、確認を進める。
(産経ニュース)
呂号第五百潜水艦は、もともとはドイツ海軍の IXC 型潜水艦 U-511 である。
日本で同型の潜水艦を量産し、インド洋海域でイギリスに対する通商破壊戦に使用させるという作戦で使用するために、ドイツのヒトラー総統が帝国海軍に無償譲渡した2隻の潜水艦の内の1隻である。
U-511は技術交流の一環として日本に無償譲渡されることとなった。
U-511としての最後の出撃は、日本への航海となった。
通常の乗員の他に、東京へ向かう新任のドイツ大使ハインリヒ・ゲオルク・スターマーやベルリン駐在日独伊三国同盟の軍事委員の野村直邦海軍中将、ドイツ人科学者や技術者が搭乗した。
1943年5月10日、フリッツ・シュネーヴィント艦長の指揮の下、ロリアンを出航した。
大西洋を通り喜望峰を回りインド洋に入った。
インド洋にて米商船2隻を撃沈し、U-511は90日の航海を終えて呉に入港した。
1943年9月16日に日本海軍の艦籍に入り、「呂号第五百潜水艦」と命名された。
本籍を呉鎮守府とし呉鎮守府警備潜水艦に定められた。
日本では、実戦には投入されず、対潜訓練隊(後の第五十一戦隊)で訓練目標として使用された。
ソ連の参戦に伴い樺太へ出撃することとなったが、舞鶴で待機中に終戦を迎えた。
1945年11月30日に除籍され、1946年4月30日に米軍によって若狭湾で海没処分された。