➡ 実践力の基礎を身につけ,自信をもって教壇に立つことが出来ます!!
➡ 面接試験合格後も組織で生かせる!!
※対象 高校生
➡ 「他者」と〈新しい文化〉を〈共創造(co-creation)〉する能力を鍛える!!
※対象 保護者,こども,教育に関心のある方
➡ こどもも大人も明るく笑顔になれる!!
➡ 〈理論〉と〈実践〉とを交えた内容で分かりやすい!!
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生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。
此処の所,教員採用試験(正式には「教員採用候補者選考」。飽くまでも「選考」であって「試験」ではありません。両者間には大きな意味・種別上の異なりがあります。本ブログでは,便宜上,人口に膾炙した「教員採用試験」を用いておきます。)に関するブログ記事を綴る機会が増えています。必要性に駆られてなのですが。と申しますのも…。
今夏(各都道府県の教員採用試験本番直前まで),塾生様や受講者様のお蔭で多忙な毎日を過ごさせていただきました。「講座→塾生様や受講者様の添削指導→(自らの勉強を含む)講座準備→講座」を繰り返す日々だったのです。ですから,その間,確かに所謂「対策」を中心とする教員採用試験関係の書物,資料,ブログ記事及びサイト記事等を多読しました。
その最中からなのです。
私の脳裡に元来あった疑念・不安感・危機感などといった考えや感情が昂進し始めたのは。
- 「教員採用試験は「対策」するものなのか? 少なくとも「対策」を「対策」と呼ぶべきではないのではないか?」
- 「巷間の対策本,ブログ記事,サイト記事の数多くに完全に欠落しているものがある。そこを補わない限り,数多くの教員採用試験の受験主体が〈ニセモノの教員〉として教壇に立つことになる。しかし,一口に「補う」と言っても,それが受験主体の〈個〉に帰属(由来)する問題であることから,一朝一夕に解決できるものではない。」
- 「数多くの受験主体は教員採用試験言説の権威性に完璧に屈服している。それを助長する受験産業界などの環境がある。」
- 「こうした教員採用試験の受験界が存続する限り,まず犠牲になるのは乳幼児・児童・生徒だ!!」
「乳幼児・児童・生徒が犠牲になる!!」と思うと矢も盾もたまらなくなるのが私の本性です。人世には様々な〈思い〉が渦巻いていることは,この年になれば百も承知ですが,教員としての初任者の時代からその終焉まで,自らのことは捨て置いて,(元々高校の教員でしたので,「乳幼児・児童」ではなく)生徒を優先に教職に勤しんだ私です。別に美談を仕立てようとしているのでありません。そのことは数多くの教え子たちが証明してくれると思います。
「(プラトンの)「教育愛(educational love)」なくして,教師と呼べず。」(by 「鍛地頭-tanjito-」)
※ 筆者注:「教育愛」の意味については後述しています。
「当塾「鍛地頭-tanjito-」の直近の仕事は,教員採用試験言説を〈相対化〉し,「教員採用候補者選考」本来の意味・意義を〈再確認〉した上で,乳幼児・児童・生徒の輝かしい未来のために,保護者のために,地域社会のために,そして受験主体のために,〈ホンモノの教師〉を目指す人材を輩出することにある。」
このように考え,微力ながら,現在の当塾にできる範疇というところで,まずはSNSを中心に(当塾オリジナルの)〈教員採用試験論〉を発信することにしたのです。
冒頭から誠に恐縮ではございますが,上記見出しについてのコンテンツ(情報)は種々の教員採用試験対策の参考書やブログ及びサイト記事等を参考にされたら良いと思います(笑)。それらには,概観して,次の事柄が記述されているようです。
- 教員採用試験における「場面指導」の今日的意義
- 「場面指導」の類型区分
- 「場面指導」で必要とされる能力
- 「場面指導」で合格点以上を取るためのストラテジーとしての練習方法 など
先述したように,本ブログで上述の事柄について触れない理由は,次のとおりです。
【参考】
公立の小・中学校の通常の学級において、学習面又は行動面において著しい困難を示す児童生徒が6.5%程度の割合で在籍していることが文部科学省の調査において明らかになったところである。(同調査では、学習面(「聞く」「話す」「読む」「書く」「計算する」「推論する」の少なくとも一つの領域)で著しい困難を示す児童生徒が4.5%程度の割合で在籍していることも明らかになった。)また、発達障害の可能性のある児童生徒の多くは、通常の学級に在籍していることから、通常の学級における教科指導において、発達障害の可能性のある児童生徒が学習上つまずくことなく、学習を理解できるよう、つまずくポイントを意識した授業づくりなど学習面における支援が求められている。
発達障害の可能性のある児童生徒に対する教科指導法研究事業:文部科学省(初等中等教育局特別支援教育課),特別支援教育について 1.趣旨,登録;平成30年9月
要するに,「場面指導」を「バメンシドウ」としてしか考えていないから,このようなことが生起するのだと思います。
広島県東広島市黒瀬町から臨む朝の空(撮影 住本小夜子,2019.9.10)
そこで,「場面指導」が「バメンシドウ」でない理由を申し上げるため,以下に「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力等を簡単に述べることにいたします。そして,それを以て,教員採用試験の「場面指導」に関する概論的な対策とさせていただくことにします。
因みに,なぜ「簡単に述べる」のかという点について付言しておきます。それは, 「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力(また,技術)等は,「自己」や「自然」,「神仏」等を含む「他者」との繰り返される〈対話〉により,〈自己の内なる《自己(他者)》〉から炙り出されてくるものであって,その《オリジナリティー》を身を以て習得しないと,身にならないものだからです。
〈対話〉は「自己」を「了解・到達不能のありのままの《自己(他者)》」に近接させ,〈自己の内なるボイス〉と出逢う《旅》に誘います。したがって,〈対話〉は個別(=例えば,「受講者様個々―当塾スタッフ」間)に営まれます。ですから,決して普遍化・権威化して「学校現場における一つ一つの指導場面」に必要とされる考え方や能力(また,技術)等を語ることはできないのです。ー繰り返しますが,「学校現場における一つ一つの指導場面」に共通する本筋(≒セオリー)はあります。―
【関連記事】
☝ 〈対話〉について
「当塾への入塾をお考えの皆様に 先輩受講生からのアドバイス」(塾長Instagram,2019.8.28)
☝ 〈自己の内なるボイス〉について
「学校現場における一つ一つの指導場面(=「場面指導」)」に必要とされる指導の態様は,本来,個人的な特徴(個人差)があるものです。本筋(≒セオリー)さえ踏まえていれば,山の登り方はいくらあっても良いのです。教職員一人一人が多様な山の登り方をしながら,目指すは頂上の一点。その頂上には,抽象的な言い回しですが,〈「児童生徒を良くしたい。」と切に願う熱き思いと一人一人の児童生徒の成長〉があるのです。また,そうした教職員の多様な山の登り方を以て,〈組織性・協働性(組織的な指導)〉と言うのです。
ですから,本来,一律な対策(練習)で「場面指導」を乗り切れるものではないのです。「場面指導」は 「学校現場における一つ一つの指導場面 」をテクストとして切り取った一つのピースなのですから。つまり,「場面指導」で採り上げられる(一つの)素材(出題)に対する強み/弱みは個によって異なり,素材(出題)によって個の強み/弱みも異なってくるものです。それでいながら,どのケースであっても本筋(≒セオリー)を外してはならない。だから,敢えて述べれば,そこに教員採用試験における「場面指導」の〈意義〉があると考えられるのです。
もう少し分かりやすい例を挙げてみましょう。
児童生徒の生徒指導上の問題行動に対して,強面のA先生は大きな声で,(当該児童生徒を決して傷付けることのない)激烈な言葉を以て,B先生は物腰柔らかにおっとりした言葉遣いで,C先生はネチネチと論理的に指導します。しかし,このように指導の態様は異なっても,三先生はそれぞれ「毅然とした態度で粘り強く丁寧な指導を行う」本筋(≒セオリーの一つ)は外していないのです。そこには「当該児童生徒を良くしたい。」との熱き思いがあります。
前述したことは,こういうことです。この場合,例えば,B先生に常にA先生のように児童生徒を指導してくださいとお願いして,事が成就すると思われますか?
教員採用試験の「場面指導」対策として,仮に画一化した,一問一答(正解有り)型の「練習」ばかりを行っていたとしたら,あなたはA先生のように児童生徒を指導するよう求められたB先生になってしまっているのではないですか? しかも,その本筋(≒セオリー)を知らないとしたら…。教員採用試験の受験主体である皆様の中に,「場面指導」に不安や苦手意識等を持っている方がいらっしゃるとしたならば,恐らく,原因の一つはここにあるのです。
ただし,次のような反論が聞こえて来ます。
「「場面指導」では本筋(≒セオリー)が分かっていれば,それで良いのではないのか!?」
そうであるならば,文字化できる解があるわけですから,筆記試験として虫食い問題にするか,それをそのまま記述させると良いのではないですか? それをしないのはなぜなのでしょうか? しかも,これまた管見による限り,その本筋(≒セオリー)について説明した文章に遭遇したことはございませんが…。抑々,本筋(≒セオリー)が頭に入っているからと言って,千差万別で緊急対応を数多く含む教育事象に,誰もがそのように簡単に対応できるものでないことは,筆者の29年間にも及ぶ長い教職人生が証明するところですよ。それでいて,/だからこそ,「場面指導」は教員採用試験の試験項目なのです。
つまり,「場面指導」は 「学校現場における一つ一つの指導場面 」 のテクストとして切り取られた一つのピースであり,飽くまでも 「学校現場における一つ一つの指導場面 」 での〈指導〉のフレーム中にあって,「バメンシドウ」ではないのです。万一,「場面指導」を「バメンシドウ」と捉え,「教員採用試験」の有する言説の権威性下で,その呪縛から逃れられず,自己を解放できていなかったとしたならば,自ずから教員としての〈資質〉を問わなければなりません。厳しい言い方ですが。ただし,受験主体が将来出会うであろう,また現在眼前にいる児童生徒のことを考えれば,厳しい言い方になるのも当然のことです。
山ともみじの風景(提供 photoAC)
定式化した戦略的な思考で突っ走るな!!
「まずは方法ありき」と言った考え方を捨てろ!!
「学校現場における一つ一つの指導場面」において,固定概念の呪縛で成り立つストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけに突っ走って陥穽に嵌った教員はわんさかいるのです。特に若い教員がそうです。そうしたストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考が成立するためには(特に若い教員の中で欠ける者が多い)〈人間関係形成能力〉の台座が必要です。 教育活動のあらゆる領域で〈生きて働く知識〉も必要です。〈コンプライアンス〉も必要です。〈経験〉も必要です。勿論,教科指導力,生徒指導力等々,〈教員〉として身に付けておかなければならない一通りの〈指導力〉も必要です。〈組織性・協働性〉も必要です。〈ファシリテーションを兼ね備えた創造性〉も必要です。〈思いやり(恕)〉も必要です。必要なものは枚挙に遑がありません。 「学校現場における一つ一つの指導場面」では,一人の教員の〈総合力(=総合的な人間力)〉が試されていると言って過言ではないのです。
【関連記事】
「第1章 【「地頭(総合的な人間力)」を鍛える教員養成】」(当塾教員採用試験合格道場ーオンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」)
その上で,〈 総合力(=総合的な人間力) 〉の中で最も必要であり,最も大切なものは何かと言えば,それは,
「まずは児童生徒ありき」
児童生徒に向けた熱き〈教育愛〉なのです。
教育愛 きょういくあい educational love
プラトンによれば,教師が生徒に対していだくべき愛情をさし,教師はこの愛に導かれて生徒をより高い真,善,美の世界に進めるべく努力する。このたゆまぬ努力こそが教育にほかならないとされる。つまり,人間の教育的行為の本質であり,原動力であって,教員養成の基本はこの教育愛の自覚と深化にあるとされるゆえんである。
コトバンク:教育愛(読み)きょういくあい(英語表記)educational love ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説,出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,下線は筆者による。以下同様。
教育愛 きょういくあい Erzieherische Liebe ドイツ語
コトバンク:教育愛(読み)きょういくあい(英語表記)educational love 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説,出典 小学館
被教育者の成長可能性に向けられた教育者の人格的徳性の一つである。日常の教育活動において教育者は、被教育者の背信行為に幾度となく直面し、そのつど挫折(ざせつ)感にとらわれる。しかし教育活動はその本質において、そうした教育者の教育的・人格的挫折を契機として成立する。したがって教育者は、被教育者の背信行為をもって、被教育者に対する信頼を失ってはならない。むしろ自己の挫折の集積こそ教育活動をより実りあるものとする契機と受け止める必要がある。被教育者の成長可能性に自己を賭(か)けるという冒険的行為の繰り返しのなかに、教育愛とよばれる教育者の徳性が形成される。教育愛は、自己と他者に対する不動の信頼の念と挫折の可能性を予想して成立するものである。[田代尚弘]
『新堀通也著『教育愛の問題』(1971・福村出版)』
これで,「場面指導」が ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけの「バメンシドウ」では乗り切れない理由がお解りになったことと拝察します。さらに,もう一つの左證を挙例しておきます。
上表は「平成32年度 広島県・広島市公立学校教員採用候補者選考試験実施要項」(広島県教育委員会・広島市教育委員会)の「5 選考試験の内容等 (1)選考試験の内容 一般選考・障害のある者を対象とした特別選考・グローバル人材を対象とした特別選考【外国人留学生等】」に基づき,筆者が作表したものです。一県のみのデータ(例)ではありますが,寡少のデータながら各「試験項目」に様々な「主な評価項目」が設定されていることが分かります。
上表をご覧になって,ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考だけで「場面指導」をクリアできると思われますか? 万が一,「上表には「場面指導」という「試験項目」がないではないか!?」とおっしゃる方がいらっしゃいましたら,種々の教員採用試験対策の参考書やブログ及びサイト記事等をご覧になってください。「場面指導」はいろいろな「試験項目」の一部に組み込まれていると書いてありますから。
ある一定の〈総合力(=総合的な人間力)〉,就中熱き〈教育愛〉に闕如している教職員は往々にしてトラブルの元になります。児童生徒も,保護者も,当の教職員も,時には地域社会も,そして学校も〈辛いこと〉になるのです。教育行政と学校で管理職を経験した者(筆者)の痛切な思いです。このようなことからも,教員採用試験に「場面指導」が課される理由が髣髴としてきませんか?
これ以降,筆者の全くの主観で〈語ります〉。
得てして, ストラテジーや「まずは方法ありき」といった思考性に富む教職員は,熱き〈教育愛〉を持って教育活動に勤しむ教職員を冷めた眼差しで見つめ,蔑む傾向にあります。この辺りの諸事情にここでは深入りしませんが,児童生徒が立派な大人になって,嘗ての恩師とプライベートで杯を交わす際,その場に同席しているのは往々にして熱き〈教育愛〉を持って教育活動に勤しんだ教職員であるようです。
まあ,当たり前のことですけどね。
「では,具体的にどのようにすれば,(教員としての)〈総合力(=総合的な人間力)〉を身に付けることができるのですか?」…a
本ブログ記事をお読みくださった数多くの受験主体等であるあなたはそのように思われるのではないのかと拝察申し上げます。
「まずは,何はともあれ,当塾のプログラムを受講され,許される期間,スタッフとの〈対話〉に勤しんでください。」
これが当塾からの飾り気のない回答です。
無論のこと,「a」のご質問に対して,当「BLOG「鍛地頭-tanjito-」」の中で,今後,具体的な回答を申し上げるつもりではございます。例えば,肝心の「本筋(≒セオリー)」について詳述しておりませんからね。
ですが,来年,教員採用試験の受験をお考えでしたら,一刻も早く,当塾との〈対話〉行為を営まれる方が 〈総合力(=総合的な人間力)〉を身に付ける上で効率的で効果的であると考えます。その際,次の受講者様及び塾生様の当塾の指導に対するご感想を参考にされてみてください。
2019年度プレ塾生合格体験記(原版)
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※ 本ブログは教員採用試験における「場面指導」について私見を述べたものです。予めお断り申し上げておきます。
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