パラダイムシフト(提供 photoAC)
当塾「鍛地頭-tanjito-」は広島県を拠点にオンラインで幅広く活動を展開する〈ガイダンス・カウンセリング〉の相談ルームを持った新型の〈Private school(私塾)〉です。
主な業務の一部門である【教員採用試験合格道場―オンライン教員養成私塾「鍛地頭-tanjito-」】では,教職歴29年の教育界のエキスパート(元教員人事・学校管理・生徒指導・学習指導・教育研究等担当)とこころのカウンセラー(メンタルケア心理士®)が〈教員〉の養成をサポートいたしております。
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生きる自分への自信を持たせる「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。
今回のブログは,今夏,教員の本務者を目指し,教員採用試験を受験するため,当塾で学ばれた受講者F様のお話です。「お話」と申し上げても,それは単なる逸話(エピソード)ではありません。F様との〈学縁〉※1が当塾に深遠なる〈学び〉を授けてくださった,さらに申し上げれば,当塾が成長する上で甚大なるエポックメーキングとなったお話なのです。
F様には衷心より感謝を申し上げる次第です。
なお,本ブログの内容全般については,F様のご承認がございます。
重ねて,F様には厚くお礼を申し上げます。
上述(本ブログの冒頭,背景色がピンク色の囲み)のご感想を受講者のF様から頂戴した時,正直なところ,胸中から込み上げてくる,滾る血潮を感じました。当塾のオンライン面接試験対策講座※2の一幕(7回目の講座終了時)です。学問に誠実で,勤勉なF様のお言葉であったが故に,余計に血潮は滾ったのです。
「(F様と)一緒に勉強できて良かった。これを〈学縁〉と言わないで,何と言うのだ。」
「よし!! もっともっと,自らが持っている〈経験〉や〈実践知〉,〈理論〉を(受講者様と)共有しよう!!」
「毎回,全受講者様固有の指導計画を編み,全力で講座を展開してきた。やってきて良かった。」
様々な思いが胸中を去来しました。
何故にこれまで私が感動し,身を震わせたのか?
それは当塾の講座が教員採用試験での合格を副次的なものと考え,「乳幼児・児童・生徒を第一に考えることのできる教員養成」を基本理念とし,来る日も来る日も講座(個別指導)を展開しているからなのです。
このことについてもう少しだけ触れておきます。(詳細については,次節「2 教員採用試験の〈ホンモノの勉強法〉―開始時期―」(現在,執筆中。未投稿。)で記述いたします。)
当塾の講座では現実的に学校現場で生起している教育現象に基づき,総合的な知見や思考力・判断力・表現力・俯瞰力をフル稼働させ,言わば「探究学習」張りに解決しなければならない実践的な筆者作成のオリジナル教材を用いているのです。
こうした教材により,じっくりと時間を掛けて育成される教育的な総合力は,主に知識量を問う一次試験が求める能力(広義の意の学力)を遥かに上回り,かつ,含有するものであって,つまり,総合力の育成は一次試験の容易なクリアを意味していると言えるのです。
しかしながら,数多くの教員採用試験受験者は,そこに気づいていない。また,教育的な総合力を養える「場」もない。しかも,偏差値教育を受けてきた受験者たちである。だからこそ,数多くの者は教員になるための学習(=教員採用試験対策)のスタートに立ち遅れ,短期間のニワカ対策で試験の突破だけを考えるようになるのです。大学受験の時のような気持ちと対策法を引っ提げて。
そこには,乳幼児・児童・生徒を第一に考える当塾の基本理念に通底する思考性は微塵もないのです。そこにあるものは,普遍主義・自我中心主義のパラダイムというフレームから自らを解放することのできない,否,それにさえ気づいていないと思われるエゴイズムなのです。—「自分が教員採用試験に合格すれば,それで良い。」—
それでも,そうしたエゴイズムを抱えたまま,教員採用試験に合格する者は合格するのです。(勿論,中には乳幼児・児童・生徒を中心に考える人たちもいるでしょう。)したがって,そこに現状の教員採用試験というシステムの歪みを見出すことができるのです。その結果,合格を果たした数多くの初任者が教壇に立つのです。
先生の周りに集まる小学生5(提供 photoAC)
しかし,F様は違っていました。
○教員採用試験(対策)と(学校)現場での(教育)研究との乖離の中で自己の行き場を失っていたが,「鍛地頭-tanjito-」の考え方・やり方に(自己の)行き場を見つけることができた。
○「鍛地頭-tanjito-」の良いところは教員採用試験のノウハウだけを教えるのではなく,大切な理念(筆者注:「まず乳幼児・児童・生徒ありき」)を失っていないところだ。
○教員採用試験が終わっても,「鍛地頭-tanjito-」で学びたい。
「当塾の基本理念を理解してくださる方にお会いできた。」
「当塾の基本理念を洗練された自らのお言葉(冒頭の背景色がピンク色の囲み及び上記の「受講者F様の述懐」)で見事に表現してくださった。」
当塾の講座に出会われる以前,F様には「「子どもに●●の力を身につけさせるために,【私が】◎◎の手立てで,子どもを変える」という意識」が強くおありになったようです。—実は,このF様の言表はかなりご謙遜なさった言述(行為)の結果だと,筆者は思っています。講座の中で営んだF様との〈対話〉から,そのことはよく分かります。—要するに,この言述は,当塾に出会う以前のF様が「教師主導型の教育言説」が有する権威性から解放されていなかったことを物語っていると言えます。「【私が】」とあることが,その最たる左證です。
しかし,筆者が鑑みるに,恐らくF様は「私(=F様)は児童・生徒主体の教育を行いたい。」と無意識裡に思われていたのではないでしょうか? 「了解・到達不能の《他者(=自己)》」※3はそのように意識していたはずなのです。ですが,他者は知らず,自己は知っていると思っていたはずの「自己」※4はいつの間にか「教師主導型の教育言説」に回収されてしまっていたのです。そのため, 「了解・到達不能の《他者(=自己)》」 が抱いていた「児童・生徒主体の教育を行いたい。」との意識は了解・到達不能のフィールド(領海)の深海に封印される結果となったと考えられるのです。そのことは後述の「「あ,そうか。『子ども主体』の教育を僕はしたいんだ。」」との言述から分かります。
それでいながら,F様は「『子ども主体』の教育」を行いたいと思う(仮想の)「自己」と「対話」しているつもりになっていらっしゃったのではないかと拝察されるのです。 そのように述べるのも,「子どもに●●の力を身につけさせるために」は一瞥すると「子ども(乳幼児・児童・生徒)」が主体となっている(教育)と見える/思えるからなのです。ところが,実際,「自己は知っていると思っていたはずの「自己」 」は「教師主導型の教育言説」の有する権威性に回収されていた。これが「自己」の内奥に潜む言説の持つ権威性の恐ろしさというものです。
F様にとって〈他者〉として存在した当塾は,F様との〈対話〉によって, 了解・到達不能のフィールド(領海)の深海に眠る「児童・生徒主体の授業を行いたい。」との意識の封印を解き放ったのです。— 「了解・到達不能の《他者(=自己)》」 に邂逅したわけではありません。—その際のキーワードは「(まず)子ども(乳幼児・児童・生徒)ありき」でした。「F様—当塾」間で頻繁に繰り返される〈対話〉のコンテクストの中で, F様が語られる「(まず)子ども(乳幼児・児童・生徒)ありき」 の言表は輝きを増していきました。それは事実です。その輝きが封印を解き放ったのです。
「子どもに●●の力を身につけさせるために」と「『子どもありき』」。言表上は「ほんのちょっとの違い」のように見えます/思えます。両者共「乳幼児・児童・生徒が主体の教育」のように見える/思えるのですから。しかし,前者の教育は「【私が】◎◎の手立てで,子どもを変える」のです。「【私が】」。このように「教師主導型の教育/子ども(乳幼児・児童・生徒)主体の教育」と二項対立の構図で捉えるとき,当塾という〈他者〉を介して「『子どもありき』」の言表と〈対話〉したF様には「コロンブスの卵のようなパラダイムシフト※5が起こった」のでした。
「あ,そうか。『子ども主体』の教育を僕はしたいんだ。」
それ以降,F様は「教師主導型の教育(系統学習)」と「子ども(乳幼児・児童・生徒)主体の教育(問題解決学習)」との止揚(aufheben)さえも模索され始めたのです。こうして,F様の内で,それまでに比して高次の〈新しい教育〉のステージが幕を開けたのでした。
F様の真に乳幼児・児童・生徒を〈思いやる〉お心が,F様ご自身をF様にとっての〈新しい教育〉のステージに誘ったのだと思います。物事を捉えるための多視点をお持ちになり,学問に誠実なF様だからこそ,自己変革を成し遂げられたと拝察いたします。
F様の益々のご発展とご健康を衷心よりお祈り申し上げる次第です。
講座の様子と受講者様のご感想
〔註〕
※1 学問とのご縁,学ぶ者同志のご縁のこと。筆者の大学時代の恩師が大切にされていた言葉。造語。
※2 現在,教員採用試験対策の集中講座を展開しています。2019(令和元)年8月31日まで。
※3 自己も他者も知らない《自己》のこと。「ジョハリの窓」を援用するならば「未知の窓」に相当すると考えられます。
※4 「ジョハリの窓」を援用するならば「隠された窓」と考えられます。
※5 「パラダイムシフト【paradigm shift】 ① 科学者集団に共有されているパラダイムが,ある時点で革命的・非連続的に変化すること。 ② 思考や概念,規範や価値観が,枠組みごと移り変わること。」(コトバンク:【パラダイムシフト(英語表記)paradigm shift」,大辞林 第三版の解説,出典 三省堂)
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