新学習指導要領(国語)に初お目見えした「語り手」概念を解説する第2弾。今回は,特に「語りの構造と語り手の視点」について概説します。しかし,本ブログシリーズの目的は国語教育の推進だけではございませんので要注意。来たるべき一元論的トランスモダンの時代を如何に《生きる》か,その壮大な究極的命題に挑むことが最たる目的なのです。

 

 


 

 

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〔原文〕 僧都せん方なさに,渚(なぎさ)にあがり倒(たふ)れふし,をさなき者の,めのとや母などをしたふやうに,足ずりをして,「是(これ)乗せてゆけ,具(ぐ)してゆけ」と,をめきさけべども,漕ぎ行く舟の習(ならひ)にて,跡は白浪(しらなみ)ばかりなり。いまだ遠からぬ舟なれども,涙に暮れて見えざりければ,僧都たかき所に走りあがり,沖(おき)の方をぞ,まねきける。

『平家物語①〈全二冊〉 新編 日本古典文学全集 45』(市古貞次 校注・訳,小学館,1994年6月,p.194,傍線は小桝が施した。以下,同様である。)…a

 

〔訳文〕 僧都はしかたがないので,渚にあがって倒れ伏し,幼児が乳母や母などの跡を慕う時のように,足をばたばたさせて,「これ,乗せて行け。連れて行け」とわめき叫んだが,漕ぎ行く船の常で,あとには白波が残るばかりである。まだ船はそんなに遠くはないのだが,涙に目も曇ってよく見えなかったので,僧都は高い所に走り登って,手をかざして沖の方を見やった。

前掲書a,p.194

 

 

目 次

プロローグ
語りの構造と語り手の視点
エピローグ
【参考文献】
【参考論文等】

 

 

プロローグ

 

 

生きる自分への自信を持たせる

「鍛地頭-tanjito-」塾長の小桝雅典です。

 

今回のブログは,前回投稿したブログ「待って!! その国語の授業!!-〈語り手〉とは何か?-【基礎編】」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.3.18)の「発展編」の位置付けに当たります。

まずは,前回投稿後の率直な感想から記述します。

前回のブログタイトル「待って!! その国語の授業!!」(傍線は小桝)がそうしたのでしょう,読者の皆様によるPV数がやや減少致しました。恐らく,「国語の授業は私には関係ない。」ということだったのでしょう。お気持ちはよく解ります。

そこで,今回はブログタイトル(メイン)を「新しい時代を生き抜くための《読み》について考える」と致しました。「新しい時代」は「一元論的トランスモダンの時代」を意味しています。※1「生き抜く」には,共同主観性や身体性を中心とする思考のフレームを有する人間存在を基底とした20世紀的な世界観を片方に睨みながら,それらと自他に認識されない「ありのままの《自己(他者)》(≒個人の〈オリジナリティー〉)を希求する《人生の旅路》」との連関性を意識して《生》を営むべく,「一元論的トランスモダンの時代」に個の,又は共同体の〈オリジナリティー〉を生成しながら《生きる》という意味を内包させました。※2そして,「《読み》」には「語りの構造読み」を媒介とする文章等の作品世界の再構築を通して,了解不能の「ありのままの《自己(他者)》」を希求する行為そのものの意味を付与しています。※3

つまり,このプロローグで申し上げたいことは,次のとおりです。

「語りの構造読み」を扱う本ブログシリーズは,単に新学習指導要領(国語)に規定された「語り手」概念の解説を目的とするだけではなく,線条性(リニア)の世界(=文字列で書かれた説明的な文章や文学的な文章等)を通して新たな作品世界を再構築する(=新たな〈読み〉を体得する)とともに,その再構築(体得)の行為は,新たな(一元論的トランスモダンの)時代を《生きる》ことを熟考する行為でもあり,したがって,読者の皆様にそうした契機を提供しご批正を頂くことも目的とするものである。

簡易に述べれば,「国語の授業の関係者だけに向けて発信したブログではなく,これからの時代を生きる全ての方々にご批正を頂こうと発信したブログですよ。」ということなのです。

そういう意味からすれば,何も解説のための作品に『平家物語』を選ぶ必要はないわけです。しかしながら,新学習指導要領(国語)の改訂に伴い,世間では「「実用的な文章」を読解することに傾注し,「文学軽視」である」との批判が沸き起こっています。ましてや古典作品(古文・漢文)の行方は如何に?

そこで,何事も「均衡(バランス)」が重要であると考える私は,解説のための作品に敢えて古文の文学作品(『平家物語』)を選定した次第なのです。(修士論文の題材が『平家物語』だったという大きな前提もありますが…(笑))「説明的な文章」も「文学的な文章」も,どちらも大切な〈文章〉です。どちらも叙述に沿って,正確に,的確に読み取る必要があり,そうした〈読みの力〉を付けなければならないのです。20世紀の「知」の構造(枠組み)は二元論から一元論へと相貌を変え,分析原理から統合原理へと移行している,※ⅰしかも,既に(さらに),時代は次のステージへとシフト(アウフヘーベン)しようとしているにもかかわらず,未だに「「説明的文章」or「文学的な文章」?」などと言っているようでは,まさにアナクロニズム(時代錯誤)の虜と化しているとしか言いようがないのではないでしょうか? そうした固定的ポストモダニズム的思考から,逸早く(自己の)思考の〈解放〉を目指すべきだと考えるのです。だから,古文の文学作品を持ってきたのです。

とは言うものの,本ブログシリーズで古文の文学作品が初お目見えするわけですから,古文そのもの分量は少なくしてあります。

それでは,『平家物語』(覚一本)の中から「巻第三 足摺」の登場人物「俊寛僧都」に視点を照射し,語りの構造と語り手の視点についてご説明申し上げたいと思います。

 


 

※1 「一元論的トランスモダンの時代」については,次のブログを参照してください。「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.15)
※2 「ありのままの《自己(他者)》」については,次のブログを参照してください。「育児言説を〈相対化〉するーポストモダンの時代から一元論的トランスモダンの時代へー〔第1回〕」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.1.21) 「共同主観性・身体性―《人生の旅路》」との連関性及び「《生きる》」の意味合いについて,ここでは詳述致しません。「大衆の〈知〉を高次に統合し,新たな世界観(文化)を形成しようとする一元論的トランスモダンの時代における個の生き方(在り方)」程度の意味合いで捉えておいてください。
※3 この点については,本ブログシリーズの主題となるため,以後のブログの中で明確にしていきます。

 

 

喜界島の城久集落にある八幡神社

 

 

語りの構造と語り手の視点

 

 

 

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安芸の宮島の大鳥居

安芸の宮島

 

 

エピローグ

 

さて,次回(発展編)は「〈視点〉獲得の必要性」と「〈対象化・相対化〉の(教育的)意義」について考えてみたいと思います。と,このように告知しておいて,執拗に述べますが,本ブログシリーズは国語教育の推進のためにのみあるものではありません。私は先日「「The パクるな!!」-ブログ類似言説の〈相対化〉-(第5回)」(小桝雅典,BLOG「鍛地頭-tanjito-」,2019.2.15)の中で,次のように語っています。

 

時代状況を鑑(かんが)みるとき,現在はポストモダンが終焉を迎え,ポストモダンを超越(トランス)する時期にあるのではないかと考えるのです。ただ,それは希望的な観測であるのかもしれません。このポストモダンの終焉期に当たり,数多くの小さな価値観は鬩(せめ)ぎ合い,空洞化・形骸化しました。終焉期は人的な新たな価値観の創出のために必要なエネルギーを喪失した頽廃期とも言えます。結局,近未来は新たな価値観を創出するフィールドと凋落(ちょうらく)するフィールドとに,まずは二極分解(ここで,詳細は語りませんが,もう少し細かく見ると四分割)するのではないのかというのが,私の見方です。

注:下線は本ブログの叙述のために小桝が施しました。

 

下線部に,特に私の本音はあるのですが,それを見事に言い当てた言表が前掲書ⅰ(p.56)にありますので,次に引用します。

 

近代の個人主義は,単に一人ひとりを大切にしようということにとどまらず,さらに突き詰めて言えば,他者(としての個人)はともかくとして自分(という個人)を最も大切にしようという主張にほからなない。他者よりも自我を,他人よりも自分を,というのが近代個人主義のホンネなのである。


注:傍線は小桝が施しました。

 

まさに引用のとおりだと思います。「近代個人主義」の大義名分(=言説の権威性)の下,当初はまだ「小さな価値観」と呼べた各個人の「言説」も,許容社会(「独我論的傾向(前掲書ⅰ,p.56))が不幸にも進行する中で「空洞化・形骸化」し,「我執のミイラ」と化してしまいました。非常に厳しい言い方ですが,「〈鄙陋(ひろう)〉の残滓(ざんし)の大衆化」と言っても良いのかもしれません。かと言って,一方では,生き残った「小さな価値観」間の矛盾を〈矛盾〉として内包したまま,それらの統合化を図り,高次の文化(ステージ)を共創造しようとしている人たちも現に存在しています。ただ,どちらにせよ,―「 〈鄙陋〉の残滓の大衆化 」から自己(各種共同体)を解放するにせよ,共創造による高次の文化創造に専心するにせよ,―〈視点〉の獲得と〈対象化・相対化〉の営為は不可欠だと断言できるのです。それらの営為は混迷を極めるポストモダンの終焉期に存立する複雑多岐な社会システムを「システム思考」で乗り切る〈方途〉をきっと授けてくれるに相違ないからです。

このように考えてくれば,本ブログシリーズの最終目的が単に国語教育の推進にのみあるだけではなく,一元論的トランスモダンの時代を見据え,高次の文化創造を目途に,20世紀的な「知」の止揚(アウフヘーベン)・統合化を図る〈在り方〉を提示し,人世からのご批正を頂こうとしていたことにあることがお分かりいただけたかと思うのです。

 

 

 

 

【参考文献】

 

※ⅰ 長尾達也(2001.8):『小論文を学ぶ―知の構築のために―』(山川出版社):本書は「20世紀的「知」の構造」を学ぶのに適しているだけではなく,巷間の小論文試験対策本とは異なる異色の所謂小論文参考書です。
※ⅱ 田中実・須貝千里・難波博孝(2018.10):『21世紀に生きる読者を育てる 第三項理論が拓く文学研究/文学教育 高等学校』(明治図書):本書は「文学研究,とりわけ近代文学研究と国語科教育の実践/研究の停滞・混迷を超え,ポスト・ポストモダンの時代を拓いていくため」(「まえがき」より)に示唆を与えてくれる点で有益であると言えます。

 

 

【参考論文等】

 

 

 

 

 

 

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