社会に必要な存在
 
こんばにちは!Kokiです!
 
読んでくださりありがとうございます!
 
初めましての方は→こちらへ←
 
このブログでは高校生の目線から自分が感じたことなどをそのままお伝えしていきます。
 
雷 波 雷 波 雷 波 雷 波
(なんか今の世の中、雷が落ちて、荒波にもまれてるような気がして)
 
謎すぎる登校の日程が組まれてるKokiです。
 
いやもうほんとに登下校の方が、時間かかる現状どうにかしてくれー。
 
東京アラートが発令され、また学校再開の雲行きが怪しくなってきましたね。
 
 
さて、そんなことはおいておいて(おいておける問題ではないが)、本日の記事は『社会に必要な存在』についてです。
 
今回の記事には違った意見を持つ方も多くいらっしゃると思いますがいち高校生の意見として、最後まで読んでいただければ幸いです。
 
 
自分の良さを生かす
 
 
まず、私の現状をお話しますと、大学受験に向けて勉強している状態にあります。
 
こんな立場でこのようなことを言うのはどうかと思われますが、受験というのは社会に必要な存在に真っ向から反対の行動をとっているのです。
 
受験は自らの苦手をつぶし、『すべてにおいて遜色ない』もしくはそれ以上の状態を目指します。
 
ですが、世の中に必要な存在は己の良さを最大限に生かせる人間です。
 
つまり、すべてが人並みにできるではなく、一つの事柄について突出した才能や、自分の得意とする分野を武器に戦える存在が必要です。
 
もちろん、広い教養や、常識的なものは必要です。
 
しかし、人から足りない技術を補おうとしたところで、その人を超すような技術はそう簡単に身につくものではないですし、その足りない何かを補ったところで、自分のためになるかという話です。
 
自分のためになるというのは、具体的にはそれを補ったら仕事が増えただとか、給料が上がっただとかそういう話です。
 
自分しかもっていない武器(影響力、コミュニケーション能力、プログラミング能力等)があるならば、それを伸ばすために時間を使った方が圧倒的に自分のためになることは明白だと思います。
 
なぜなら、その分野でもっと上に行けますし、それは同時に信用を勝ち取ることに繋がるからです(現代の信用経済の社会では信用はめちゃくちゃ大事)。
 
それがたとえ会社や学校の中であってもそうだと思います。
 
集団の中で個々の長所がありそれを活かしあうからこそ活性化されるのであって、みんなが一定程度に色々できるでは、仕事の幅が狭まります。
 
私は今高校生で、ありがたいことに部活では部長という立場に立たせていただいていたり、クラスでもあるチーフという立場にいます。
 
どちらの仕事であっても、自分の苦手なものは得意な子に仕事を任せます。
 
それは、自分にとってもプラスですし、仕事を任された側も信頼の元仕事が任されていますし、自分の得意な分野についてもっと伸ばす機会になりますから明らかなプラスです。
 
すべての均衡を取るのではなく自分の良さを伸ばす。
 
そこに時間を多く使うのがいいのではないかと思います。
 
 
私はこれを考えた時に冒頭で行った『受験勉強は真逆の行為』というのを思いました。
 
結論日本の学歴社会の風潮は簡単に変えることはできません。
 
しかし、現代のSNSが普及していっている中で、少しずつ変化しつつはあります。
 
このような中でなぜ受験勉強をするのか。
 
子供たちは義務教育を経て高校、大学へと進学していきます。
 
我々が小学校から大学までの16年間は一瞬の『就職』のためだけに使われます。
 
勉強が己の資本になるのか…
 
多少はあるとは思いますが、学歴だけがすべてなのかと感じます。
 
自分は入りたかったから今の偏差値70ちょいの高校にいますが、大学は正直どこでもいいと思っています。
 
何のために受験するのか。
 
何のために勉強するのか疑問に思う昨今の私の心境でした。
 
しかし答えが見つからないからには、何もしないという選択肢しか残されていないので、仕方なく勉強することにしてみます…
 
それでは、、、
 

読者登録お願いします!
読者登録してね