私が尊敬する人物に、イエス・キリストに仕えた内村鑑三先生がいる。
札幌農学校(今の北海道大学)にて学びの時を持ち、そこで・・・キリスト教の「神」を知り、キリストと日本国家に奉仕する先生がいた。
若き日に、先生の生家を訪ねて、心に焼き付いた先生の言葉・・・
「 私は、日本のために
日本は、世界のために
世界は、キリストのために
すべては、神のために 」
この先生の言葉は、日本の行くべき道を示す神様のメッセージとして受け取り、
それ以後、片時も、この言葉を忘れたことがなく、私の心に大切に保管している。
「 日本の常識は、世界の非常識 」
こんな言葉もあるが、日本は、自分の国のことだけを考えるのではなく、
世界の中の日本の役割を考え、世界平和のために奉仕し、貢献してこそ、
世界から信頼され、尊敬される国となることができる。
島国根性を持って孤立し、狭い視野で物事を考え、
世界から後指を差されるような国となるなら、
日本の明るい未来を語ることが難しくなることは、言うまでもない。
内村先生が語るように、神様のみ意に叶う、大義のために生きる国づくりこそ、
日本が、世界から必要とされ、リーダーシップを取る必須条件と考える。
「 One Family under God 」(神のもとにある一つの家族)
このような世界平和のための新秩序を立て、世界は一つの家族であり、
人類は皆、兄弟姉妹であると語り合い、認め合うその中心には、
親なる神様を迎え、主義、主張、思想、宗教、国境、
すべての境界線を超えさせてくれるもの、
神様の真の愛を柱として立てるなら、一つになれないであろうか?
日本が率先して世界平和のために奉仕し、神様の真の愛を歌うとき・・・
幼き日の母親の子守唄を、大人になっても、いつまでも忘れないように、
世界は、日本を忘れずに記憶し、
平和の母と呼ばずにはいられなくなるだろう。
ある志を共にする青年の一人が、
カンボジアの医療奉仕に行って帰って来たのだが、
彼は、現地での奉仕を通して、聴診器を胸に当てて、
心臓の音、脈拍の鼓動を確かめ、
何を思ったかと言うと・・・
「 同じ人間なんだ・・・ 」
当たり前のことなのだが、
行かなければ体感できなかった感動を覚えたのである。
そして、年齢に関係なく皆、歯がないこと、爪が黒くて、口が汚い・・・
蛇口をひねると、お茶の色をした水が出て来て、
上水道や下水道が整備されていない。
「 同じ人間なのに、こんなにも違うんだ・・・
自分は何も知らないことを知った。 」
このように語りながら、もっと自ら行動し、世界の人と向き合い、
世界のために日本ができること、その豊富を語ってくれた。
日本が経済大国である豊かさを誇るのではなく、
世界のために日本ができることを探して奉仕し、
貧困に苦しむ人には、その苦しみを克服して行く希望を与え、
そのために必要な物心両面の奉仕をする。
更に技術が必要なら技術を与え、
自立して社会を発展させて行く意欲と生きる勇気を与えること。
このように日本が持っているもので、分かち合えるものを分かち合って・・・
「 神様の真の愛は、ここにある。 」
そのように真の愛を分かち合う喜びと幸せを誇り、
その喜びと幸せから生まれる笑顔を見ながら、
一緒に笑顔になれる幸せを誇るべきだと思う。
豊かさとは、喜びも、悲しみも、痛みも分かち合えること・・・
あなたと私が、一つになれるところにあるのだということを、
世界の中で日本が学ぶとき・・・
日本は、平和の母となる資格を得るだろう。