愛媛県松山市を観光しました。

松山は、松山城を中心に発展した城下町であり、道後温泉で有名な古くからの温泉地でもある街である。
俳人・正岡子規や文豪・夏目漱石ゆかりの地であり、俳句や小説『坊っちゃん』『坂の上の雲』などの舞台として知られる文学の街でもある。
松山城・萬翠荘・秋山兄弟生誕地・湯築城跡・伊佐爾波神社・道後温泉に行きました。
松山城は、加藤嘉明が築城した連立式天守をもつ、連郭式平山城である。
加藤嘉明は、松山城を築城した戦国武将である。
萬翠荘は、旧松山藩主の子孫である久松定謨伯爵が別邸として建てたフランス・ルネサンス様式の洋館である。
秋山兄弟生誕地は、秋山好古・眞之兄弟の偉業とその生涯を偲ぶために生家を原型に近い形で復元されていた。
秋山好古は、伊予松山藩士・秋山久敬の三男であり、幼時より漢学に秀でたが家計を支えるためよく働いた。
成人して教職についたが、陸軍士官学校騎兵科に転じ、「日本騎兵の父」となる。
日露戦争では日本の騎兵に世界で初めて機関砲を常備して世界最強といわれたロシアのコサック騎兵を撃退した。
陸軍大将で退役後、乞われて私立北予中学校校長に就任し、生涯の最後の6年間、無欠勤で後進を育成した人物である。
好古の普段の生活を質素で、子供らには「人間は貧乏がええよ。『艱難汝を玉にする』と言うてね、人間は苦労せんと出来あがらんのじゃ。苦しみを楽しみとする心掛けが大切じゃ」と諭していた。

兄弟親族への想いも厚く、眞之を育て、その葬儀では「弟は例え秒分の片時でも、『御国のため』という概念を捨てなかった。この事だけは兄としてはっきり言いうることです」と挨拶し、参列者を感動させた。
秋山眞之は、伊予松山藩士・秋山久敬の五男であり、知力・体力共に優れ、海軍兵学校を首席で卒業した。
日露戦争では聯合艦隊先任参謀となり、すべての作戦を立案し、日本海海戦ではロシア・バルチック艦隊を撃滅して日本の危機を救った人物である。
湯築城跡(道後公園)は、伊予国の守護であった河野氏が南北朝期から戦国期まで、約250年間にわたって居城としていた湯築城跡にある歴史公園である。
伊佐爾波神社は、仲哀天皇・神功皇后が御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれ、「延喜式」に記載がある神社である。
道後温泉は、日本最古の湯といわれ、古くは聖徳太子の来浴や斉明天皇の行啓などの物語、明治期は小説の舞台となった温泉地である。
道後温泉別館 飛鳥乃湯泉は、聖徳太子が来浴したとされる飛鳥時代の建築様式を取り入れた湯屋である。

松山は歴史・文化が豊かな魅力的な街でした!

松山の歴史・文化を窺い知ることが出来、非常に有意義な一人旅でした。

(マスクの着用や手洗いなどのコロナ対策を徹底して観光しました。)