熊本県熊本市を観光しました。

熊本は、熊本藩細川家54万石の城下町を基礎に発展した街である。
また、戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、九州を代表する軍都・行政都市として栄えた街である。
熊本城・加藤神社・熊本県護国神社・水前寺成趣園・熊本博物館・熊本県立美術館・熊本県伝統工芸館に行きました。
熊本城は、日本三名城のひとつであり、加藤清正が築城した天下の名城である。
加藤神社は、熊本城を築城した加藤清正を主神とする神社である。
加藤清正は、熊本城を築城した戦国武将である。
清正が肥後に入ったのは、27歳の時であった。
肥後に入った清正は、長引く戦乱で荒れ果てていた肥後を立て直す為に、治山治水工事や水田開発などを行った。
また、南蛮貿易に取り組むなどの領地経営を積極的に行うことで、肥後は豊かになった。
そのため、加藤清正はやがて領民から神様のように慕われ今でも「清正公さん」と熊本県民から親しみをもって呼ばれている。
熊本県護国神社は、明治2年、明治天皇の勅旨により藩主細川韶邦公、細川護久公が花岡山招魂社を創建し、維新以来殉国烈士、宮部鼎蔵命をはじめ150柱の御霊を奉斎したのが始まりである。
水前寺成趣園は、阿蘇の伏流水をたたえる回遊式庭園である。
寛永9(1632)年、肥後細川家三代細川忠利公は初代熊本藩主となった。
その後、熊本城東南の地に豊前羅漢寺から熊本に来ていた住職・玄宅のために、一寺を設けて「水前寺」と号した。
また、同地に御茶屋を建て「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになった。
これが水前寺成趣園の始まりである。
出水神社は、肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ(二代忠興公の妻)、おわせて十五柱が祀られている神社である。
西南の役で熊本の街は焼け野原となった。
旧熊本藩士たちは、藩主の御霊を祀り、御恩徳によって人心を安定させようとの想いから、明治11(1878)年、肥後細川家に縁の深い水前寺成趣園の地に社殿を創建した。
(細川藤孝公之像・細川忠利公之像)

細川藤孝公は、肥後細川家の初代として近世細川家の基礎を築いた人物である。
室町将軍家に始まり、信長、秀吉、家康に仕えた数少ない武人である一方、諸芸に通じた当代一の文化人であった。

細川忠利公は、肥後細川家の初代熊本藩主で水前寺成趣園の創設者である。
熊本博物館は、「未来へつなぐ熊本の記憶」をテーマに熊本の歴史などを紹介・展示している博物館である。
熊本の歴史・文化についての理解を深めることが出来る素晴らしい博物館でした。
熊本県立美術館は、考古・絵画・彫刻・工芸など古代から現代美術までを収蔵・展示している美術館である。
「細川コレクション 名君 細川重賢と時習館の英雄たち」の展示を見学しました。
熊本藩第6代藩主・細川重賢は熊本城二の丸に藩校「時習館」を創設した。
藩士の子弟のみならず、成績優秀であれば庶民にも入学を許し、明治3(1870)年に廃校するまで多くの優秀な人材を育成した。

肥後細川家の歴史・文化について窺い知ることが出来ました。
熊本県伝統工芸館は、国指定の伝統工芸品である「肥後象がん」「山鹿灯籠」をはじめとする熊本の伝統的工芸品を紹介・展示している博物館である。
熊本県の伝統文化や生活文化について窺い知ることが出来る素晴らしい博物館でした。

熊本は歴史・文化が豊かな魅力的な街でした!

熊本の歴史・文化について窺い知ることが出来、非常に有意義な一人旅でした。

(マスクの着用や手洗いなどのコロナ対策を徹底して観光しました。)