福井県福井市を観光しました。

福井は、柴田勝家の北ノ庄城築城によって城下町として形成され、江戸時代には福井藩の城下町として栄えた街である。
また、江戸時代の福井は日本屈指の大都市であり、朝倉氏滅亡後、一乗谷から移転した文化人の影響もあり、華やかな文化や行事が行われていた街である。
福井城址、福井神社、北の庄城址・柴田公園、柴田神社、福井市立郷土歴史博物館、養浩館庭園に行きました。
福井城址は、幕末まで福井藩主越前松平家の居城であった。
結城秀康は、徳川家康の次男であり、初代福井藩主となり、1601(慶長6)年に越前に入国した。6年掛かりで、かつての北庄城の大修築を行い、1606(慶長11)年に福井城が完成した。
福井城 山里口御門は、福井城本丸の西側を守る門として築城当時からあり、「廊下橋御門」や「天守台下門」と呼ばれていた。
福井神社は、福井藩16代藩主・松平春嶽を祀った神社である。
松平春嶽は、「藩札」の発行や「明道館」の開設などの藩政改革に取り組んだ福井藩の藩主であり、後に国政においても活躍した人物である。
北の庄城址・柴田公園は、柴田勝家が築城した北ノ庄城の一部が考古学的発掘により初めて検出された遺構の上にある公園である。

柴田神社は、公園に隣接する地にある柴田勝家公およびお市の方が祀られいる神社である。
柴田勝家は、織田家の宿老であり、主君・織田信長の天下統一事業に貢献した戦国武将である。
福井市立郷土歴史博物館は、古代から現代までの福井の歴史が紹介されている博物館である。

福井の歴史・文化について理解を深めることが出来る素晴らしい博物館でした。
江戸時代の福井城の門である「舎人門」やその一帯を復元した「福井城舎人門遺構」があった。
養浩館庭園は、かつての福井藩主松平家の別邸で、江戸時代初期から中期にかけて造られた。
明治維新によって、福井城は政府所有となるが、御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地として、迎賓館等の機能を果たし、1884(明治17)年、松平春嶽によって「養浩館」と名づけなれた。
これは、「人に本来そなわる活力の源となる気」、転じて「大らかな心持ち」を育むことを意味するようになった孟子の言葉「浩然の気を養う」に由来すると言われている。

福井は、歴史・文化が豊かな魅力的な街でした!

福井の歴史・文化について理解を深めることが出来、非常に有意義な一人旅でした。

(マスクの着用や手洗いなどのコロナ対策を徹底して観光しました。)