一週間ほど、ベラルーシに出かけてきました。

 どこへ出かけても、透き通るような青い空が印象的でした。

 

 

 

 

 ベラルーシってどこ?

 と、訊かれたり、白ロシアですよね? と、訊き返されたり。

 

 地図でいうなら、ヨーロッパの真ん中あたり、ロシア、ウクライナ、ポーランドなどに囲まれた内陸部にあります。ベラは白、ルーシはロシア。

 

 ソ連の崩壊を決める大切な会議のあったベロベージの森は、ベラルーシとポーランドにまたがっています。

 ソ連軍が攻めてきたら、国境を越えて逃げることができる場所だった、とも言われている深い森です。

 チェルノブイリの原発事故の被害がもっとも大きかったのも、ベラルーシのゴメリという州でした。

 

 

 私は森好きなので、ベロベージへはどうしても足を伸ばさせてもらいたく…‥。

 

 途中の道からの目印、ヨーロッパ・バイソンのそれは大きな看板。

 麓の人が見えますか?

 この森には、体は大きく強いのに、優しい気性のバイソンがいて、バイソンはベラルーシの人々の大切な心の友達のようです。

 

 

 

 さて、今回私を誘ってくれたのは、函館の街で、日本にはじめてのロシア領事館やロシア正教会を作った初代外交官ゴシケビッチ氏の歴史を追っている松浦勝人さん。北大の後輩でもあります。

 

 秋田でベラルーシと日本の友好を深める佐々木正光さんと共に、今回私を招いてくれました。

 

 役割も、いただきました。

 

 ベラルーシ国立医科大学でのレクチャーは、『移植医たち』の取材、執筆を通じて出会った日米、そして多国籍の医師たちの姿。白衣の学生さん方が、たくさん聴きに駆けつけてくれました。

 学生8000人のうち、約3割が留学生、世界60の学校と協定や提携を結んでいて、日本では秋田大学医学部や、福島県立医科大学が名を連ねています。

 

 

 私の名前は、ロシア語では、こう書くんですね。

 

 そしてもう一つは、ロシア正教会の神学校でのレクチャー。

ゴシケビッチ氏が築いた函館の街のスラブ文化を、街の写真も見てもらいながら話しました。

 

 最後に神学校の生徒さんたちが、皆で立って聖歌を歌ってくれました。

 

「日本では永眠という言葉がありますが、本当に眠っていると考えるのですか?」などの質問もぶつけられました。これは私の宿題ですね。

 

 

 

 神学校の先生が、鐘撞堂を見せてくれました。

 鐘は七つ。函館のハリストス正教会と同じ、手と足で鳴らします。

 

 

 

 

 こちらは、日本に神田にあるニコライ教会と同じ名の教会で、日本の文化も取り入れられています。

 

 

 リラの季節でした。

 北海道と似ている。

 

 

 

 こんな素敵なレストランへもお招きいただきました。

 食事も丁寧で、おいしい国だったな。

 

 ベラルーシで出会った多くの方々、お世話になった皆様、ありがとうございました。