私が64歳になって初めて2月になって公的年金が振り込まれた。
通帳を見るたびにああ、あのときに頑張ったおかげなんだなと
今更ながら感謝している。
思い起こすこと、40数年も前、親父さんとたわいもないことで
喧嘩して大学の費用もいらないし仕送りや送金もいらないと言ってしまった。
そういったものの大変だったが一切、自分ひとりで生活するからといった担架を切った自分がいた。
簡単にそういった私は明日から困り果て、アルバイト生活に
入る。大学の友人から近くにある大阪本社のY新聞編集局経済部の勧誘があった。
大学自体は当時、春、夏、冬あわせて一年の半分くらいしか
授業はないし・・・
これならできると入社して一年半くらい勤めることができた。
給料にして当時昭和の時で月額11万5千円。
これでまた社員食堂や医務室は社員と同等で医者に診てもらえる。
お風呂も24時間タダ、新聞もタダでもらえる。
夜勤はあったけれど地下の2階で新聞の機械の輪転機がごうごうとうなる
音が聞こえるベッドで寝たっけ。
それから、お客様からの直接の電話応対で政治や経済のことも受け持った
その時はデスクさんに代わってもらったが・・
経済面でのコールレートの原稿を間違えて書いてしまって大変な
ことになったこと。
いろいろ失敗はあるが今になって思えば、今の人生に
充分役に立ったことばかりだ。
あのときの、頑張ったおかげで今の年金額に反映されている
ことがいまになって一番うれしいことだ。