子供たちへ・・・子供への想い。
いつのまにか子供って大きくなり親からだんだんと離れていく。
ごくごく、これが普通のことで当たり前のことなのだが
こどもの存在自体を考えてみる。
そもそも、私たち夫婦は子供を「結婚の材料」として使わせてもらった
とんでもないやつらに違いない。
今でもこのことを子供たちふたりに面と向かって
いったことはないが多分、それを知ったら親たちを非難するだろうな。
でも、このことに対してはっきりいえることは
子供への想いは決して誰にも負けないくらい
の深い想いがあったという事実である。
ただ単に子供ができました、ではなくて夫婦二人に子供という
愛の結晶というか、形に表す存在が欲しかった。
それが結果的に子供だったと言える。
十分、子供を育てる環境は整えていて愛情をすべてそそいだ
とは言いがたいが。。。
でも、子供に対しては少なからず、わたしも妻も自分を犠牲にして
がんばったと言える。
だからこそ、君たち二人には説教じみたことが言えるんだよ。
父より、愛をこめて・・・
いつのまにか子供って大きくなり親からだんだんと離れていく。
ごくごく、これが普通のことで当たり前のことなのだが
こどもの存在自体を考えてみる。
そもそも、私たち夫婦は子供を「結婚の材料」として使わせてもらった
とんでもないやつらに違いない。
今でもこのことを子供たちふたりに面と向かって
いったことはないが多分、それを知ったら親たちを非難するだろうな。
でも、このことに対してはっきりいえることは
子供への想いは決して誰にも負けないくらい
の深い想いがあったという事実である。
ただ単に子供ができました、ではなくて夫婦二人に子供という
愛の結晶というか、形に表す存在が欲しかった。
それが結果的に子供だったと言える。
十分、子供を育てる環境は整えていて愛情をすべてそそいだ
とは言いがたいが。。。
でも、子供に対しては少なからず、わたしも妻も自分を犠牲にして
がんばったと言える。
だからこそ、君たち二人には説教じみたことが言えるんだよ。
父より、愛をこめて・・・