神仏統合という発想が出てからの展開です。
これはほぼ同時のことでした。
そこに相容れない要素を改めて認識したのです。
言語化してしまえば代わり映えのないものかもしれません。
いうならば単なる再確認です。
ただその溝の深さを実感したのでした。
当然ながらそれはすでに触れた生に対する立ち位置の違いと似たよ
具体的には性という概念に意識がスライドしました。
生が身であるなら性は心でしょう。
まさに心を生かすとか心が生きるというイメージです。
性質や性格はその人の心が生きていく場という感じでしょうか。
ちなみに性別は単に性を分けるものということになります。
ここには心が生かされる場が別れているというニュアンスがあるの
ホルモンの働きからしてもある程度それはあるでしょう。
身体レベルにおける違いがそれを生じさせるわけです。
どうであれ生と性に相互作用があるわけです。
この観点でいけば神道も仏教もそこまでの違いは出ないのかもしれ
不明瞭で分かりにくいグレーなままとも言えます
ただこれは異なるものを整理せずにそのまま存在させる日本文化の
決定的なのはそれを肉体的にとらえた時の問題です。
つまり性別もしかりですがさらに性的なレベルになると様相が違っ
あからさまな表現はないでしょうがおそらく神道は性に肯定的と推
古事記の描写にもこれは表れていると思われます。
もちろん解釈次第ではありますが多義性の中にその意味合いが含ま
一方で仏教は真逆かもしれません。
妻帯を禁じた背景にそれがあるように感じます。
実際に性は生につながって肉体を強化していくことになるでしょう
少なくとも物質的身体の活動性を抑えて修行の成果を高めるのとは
欲を絶つことを善とする気風もありそうです。
確かに聖人の雰囲気です。
ここについて個人的にはあまりフォーカスしたことのないポイント
相談を受けることはあれどマクロな問題意識になったことはなかっ
しかし今回の視点で集合意識レベルでの仏教的な影響が性的抑圧に
勝手な憶測をするならそもそもここを跳ね除けようとしたエネルギ
もしそうだとしたらここは統合の鍵とも言えるでしょう。
性という言葉に凝縮された全てを肯定的にとらえつつもいきすぎた
でも心身一如の健全な状態はそこにあるのだと感じます。
谷 孝祐
2021.7.30