気が付けばもう大晦日だ。
ここ最近、年末によく聞く言葉、大掃除がいつの間にか、乗っ取られてた、こいつに。
その名は、「断捨離」。
「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くという。
断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる
やましたひでこの著書が発表されて話題になり、この考え方が人々に広く知られるようになった。
尚、やましたひでこは「断捨離」という言葉を商標登録している(商標登録第4787094号)
「断・捨・離」は2010年の流行語にも選ばれた。
近年では断捨離を実践する人を、
「断捨離アン」
「ダンシャリアン」
「ミニマリスト」
などと呼ぶことがある。
・・・・らしい、です。
(全く本は読んでないので、検索文から編集しました)
以上、ザクッと断捨離。
さて、
要らないものを捨てるのは、人間関係にも当てはまるんだと、
つまり、おいらも知り合いから急にメールなんかが無くなったり、年賀状来なかったり、よそよそしくなったりした人がいたら、
断捨離された訳だ、おいら(笑)。
しかしわざわざそんな言葉を用いて他人との関係性を断たせる事ご推奨の考えが、おいらには解らん。
また「あなた、もう要らない人だから断捨離する」、
ってレッテルを貼るその考えが、疑問符だ。どうなのか?良いことか?嫌な奴だよそれ(笑)
あ、そうか。自分に都合のいい人とだけ付き合いたいって事ですかね。
断・捨・離、と言う言葉は、
どうやら仏教からの由来した言葉らしいが、
あ、これ商標登録してるんだね(笑)。
つまり断捨離の概念には、¥は入らないらしい。
離、の思想に¥は入って無いらしいです。
¥には執着して大丈夫!って事なのかね(笑)?
ならば、いいのかな?こんなに断捨離って言葉、使っちゃって。
(すいません、ご勘弁を)
しかし、しかしだ、
何だかな?この違和感。
何だか腑に落ちない考え方だ。
何より、本当に必要なものだけ買えば良い、先ず入ってくる(買う)モノを熟考すれば良いし、って表現でいい。
断つって強い言葉が要らない、先ず断つって無理ですし。
また、家にずっとある要らない物、
仮に自分にとって不要なモノでも、寄付出来るモノは寄付したり、なるべく人に譲ればいいし、
古い物は、誰かに受け継いでもらえばよい。捨てなくても。
モノの価値は、人其々。
人とモノを適材適所に修正してやれば良い。
人間関係に至っては、
「他人との関係性を自ら断つ人間の未来は必ず閉ざされていく」
とか何とか、何かの本(漫画だったか(笑))で読んだが、
そっちの考えの方が腑に落ちる。
しかし、人間関係に至っては、出会いや別れを、自らコントロール出来るとでも、思ってる思想なのかね。
神だなもうその考え。
おいら個人的には、断捨離とは懺悔みたいなもんで、
罪を犯したら懺悔して贖罪を求める。と近い考えで
モノや人を捨てる罪悪感を断捨離と言う言葉で正当化する、
そんな精神的な罪に対する免罪符みたいなもんだと、解釈した。
おいらは捨てない。
人も、モノも。
善い奴や嫌な奴や、大切な物や要らない物なんかに溢れた暮らし、それら一切合財引っ括めた暮らしが、
おいらには至極真っ当な世界。
よって、おいら、
断捨離って言葉は、
断捨離します。

来年度はこのブログどうするか、まだ決めてませんが、
とりあえず、
本年は、ありがとうございました。