天正五年(1577年)十月 明智光秀、細川藤孝は安土城に呼ばれる。
「二人で力を合わせて、まず丹波を討ち、丹後を平定してくれたら
と、信長は二人に約束する。
翌年四月 藤孝は光秀と共に丹後の国、宮津谷へ軍勢を進めた。
※「丹後の国鶏り物語」中江忠弘著/石川特殊特急製本 より引用しています。
宮津谷 (旧大江山スキー場付近より)
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」は佳境に入り、丹波攻略の章とな
このドラマは光秀の物語なので、丹後攻略話の話はあまり描かれな
光秀・藤孝の時代で丹後にどんなドラマがあったのか、そして丹後
この時代、丹後の国は足利氏の一族である一色一族によって治めら
NHK大河ドラマ「麒麟が来る」でも、奈良の寺にいる将軍義昭を
この一色義道、信長から丹後の守護を安堵されたものの、比叡山焼
信長は義道に忠告したが、義道は聞き入る様子はなかった。信長は
一色一族は、現在の久美浜から舞鶴にかけ、小山や谷が複雑に入り
義道にとって、光秀・藤孝は足利幕府に仕える同僚であったが、幕
この戦は単なる地方小競り合いではなく、NHK大河ドラマ「麒麟
宮津谷は大江との境にある普甲峠から宮津湾にかけての谷を言う、
光秀・藤孝の大軍は普甲峠から山城を急襲し、宮津谷に東の八幡山
知らせを聞いた義道は、近隣の諸将とともに八幡山を包囲した。
戦いが始まるが、どちらにも勝勢はなく、やがて雪が降りこれを不
丹後攻略の初戦は、光秀・藤孝の利はなく、撤退で終わった。
八幡山 (丹鉄 宮村駅より)
この宮津谷、現在では宮津以北を訪れる方なら、京都縦貫自動車道
まだ高速が宮津までのころは、ここで降りるときは目の前に巨大な
住民悲願の長いトンネル(地蔵トンネル)2011年が開通するの
この長いトンネルを通れば、敵の本拠地、岩滝の弓の木城はすぐ前
”光秀・藤孝”以来、436年にわたる悲願のトンネルだったので
宮津天橋立IC
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