(細川ガラシャ ~その5~オペラ 丹後国王妃グラティア)
ガラシャの死後、キリスト教は禁教となる。帰国した宣教師は日本
1698年、ウイーンにイエズス会の施設で、バロックオペラ「気
正式な題名は「丹後王国の妃であった ”気丈な貴婦人” グラティア、キリストのために苦しみ、よってその名をためた」と
※「宣教師ルイスフロイスが記した、明智光秀と細川ガラシャ」 守部喜雅著 /いのちのことば社
17世紀のヨーロッパで、丹後国王妃グラティア(ガラシャ)はも
その影響で丹後王国も有名になったのか、17世紀初に描かれたと
世界図屏風(重要文化財) 神戸市立博物館所蔵
このオペラはオーストリアを治めるハクスブルグ家の女性たちの見
フランス王朝最後の王妃となったマリー・アントワネットも、この
「薔薇を持つマリー・アントワネット(1783)」エリザベート
ひと昔前に一世を風靡した、宝塚歌劇の”ベルサイユのばら”でも
マリー・アントワネットが残した名言の中にも、オペラ グラティア(ガラシャ)の影響ではないかと思える点もあります。
「パリについたとき、もっとも感動したことは、高い税金のに苦し
「不幸な暮らしでも私たちに尽くしてくれる人がいるなら、その人
しかし、フランス王政は末期にあり問題だらけで、夫ルイ15世と
「苦難に直面したとき、まず考えることは自分は何者なのかという
「勇気、私な何年も見せてきました。苦しみが終わればそれを忘れ
「すべてを見て、すべてを聞いて、すべてを忘れることとした。」
やがて、フランス革命が起こり、マリー・アントワネットは断頭台
「ごめんなさい。わざとではありません」
これが、生涯最後の言葉となった。最後の最後まで、ガラシャと同
丹後ゆかりの細川ガラシャ。その足跡に触れて”気丈な貴婦人”の
マリー・アントワネットをはじめ、いろ
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