(石工 松助 ~その3~子安地蔵)
子安地蔵 説明書きによると
「(略)地蔵信仰の歴史は古いが、中世後半から近世にかけて、様
とりわけ地蔵を子供の守護神とする信仰は、さいの河原の物語を、
とりわけ近世社会に慢性的に襲い来る飢餓の中で、まず一番に犠牲
松助はそういう人々の願いにこたえて美しい地蔵像を残した。(略
※宮津市日ケ谷 天長寺 子安地蔵半釈像 説明書き(石工 松助を語る/清水印刷)より引用しています。
狛猫、平智地蔵ほど有名ではありませんが、松助は子安地蔵の名品
また、幼い頃の天明の大飢饉を弔うためため丹後に帰ってきた松助
子供と守護神の地蔵と意図どおり、地蔵の手の上に、裸で丸々と太
オチンチンまで彫られて、思わすほっこりとします。
また、通常は地蔵尊が手に持つ宝珠を子供に持たせてます。
これがまるでお団子のおやつを大事そうに持っている様子に見えて
飢饉の時、かなえてやれなかった、親の願いをくんだのでしょうか
弥栄町黒部 福昌寺
子安地蔵の子供の像、すこし不思議なところがあります。
子供の体は乳飲み子なのですが、顔は幼稚園か小学校の低学年くら
あの時亡くなった小さな子は、天国ではすくすくと成長していると
また、松助の子安地蔵の代表作は、弥栄町黒部 福昌寺、峰山町吉原 常立寺、伊根町亀崎 正法寺、宮津市日ケ谷 天長寺の像とさてますが、
みんなそれぞれ顔が違い、違った個性を感じます。
これは、松助が子供の時いっしょに遊んでいた子で、天明の飢饉の
単なる私の想像ですが。あくまでも子安地蔵の謎といったところで
松助の子安地蔵はいずれも1~2mほどある大きなものです。でも
門の付近に置かれてますので、誰でも簡単に見ることができます。
是非一度お参り下さい。(友木)
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