クリスマスは母の命日。
もう20年.近く経つ。
母は糖尿病を患っていた。そこに脳梗塞を起こして入院した。糖尿の方もかなり悪化していて合併症を引き起こし、結果、敗血症と多臓器不全で亡くなった。
最後の1ヶ月はずっとICUにいた。ほとんど意識はなかった。たまに覚醒することがありその際は氷で口を湿らすなどした。
入院してまもなく転んで怪我をして膿んで酷い傷になっていた。毎日そこを消毒しないといけないのだが、意識はなくとも、、いや表現できないだけであったのかも知れない、顔をしかめて痛そうにしてたのがたまらなかった。
そのうち担当医に延命治療を止めるか?と聞かれた。
その頃は母が繋がれた機械の数値でしか母の状態を知ることしかできなくなっていた。
そんなギリギリの危篤状態でも生き長らえているのは母が頑張ろうとしているのだと(今考えれば自分の都合良く)考えていた。もちろん断った。
母が入院した時、私は海外に住んでた。長年帰国することもなくまだ何も恩返しできてない自分を許すことが出来ないという理由で私は母に要らない苦痛を強いる決断をしたのだ、と自分がこんな病気になって安楽死を求める身になって改めて思った。
あの時担当医があらかじめ母に意識があるうちに延命治療について本人に意思を確認してくれていれば違う選択ができたかも知れない。
家族に延命治療をしない決断をせまるのは難しい。やはり患者本人が前もって家族や医師に自分の希望を伝えておく必要がある。
そしてそれを確認するのは主治医の仕事だ。
私は緊急の時用に玄関扉裏とベッドの横に意思表明を貼っている。
病名と気管切開は拒否する旨、そしてそれは親族も了承していることを書いてある。
あと、主治医には何か容態が悪くなったら意識がなければ治療せずにそのまま逝かせてくれと頼んである。正直、何かで意識がないままコロっと逝けたらラッキーだ。
でももし苦しんでたら処置をして欲しいと伝えてある。
苦しむのは嫌だ。
この病気の患者は告知を受けた時から、いや自分がこの病気じゃないかと気付いた瞬間から「死」を覚悟させられてる。そんな病気だ。
自分の命をどうしたいかを表す意思表明はとても重要だし、それを確認するのは医療者の重大な任務だ。