ジャイちゃん行方不明事件の翌日、
最後の最後でどかーんと精神的にやられましたがやっと日本に帰れると、ほっ・・・。
ミゲルに空港まで送ってもらい色々な意味で何度もお礼を言い、
来た道を辿り、ビルバオ→フランクフルト→北京→名古屋の順番で
3つの飛行機を乗り継いで帰路に着きます。
長い道のりだけど、とにかくめげず腐らず不機嫌にならず笑顔で乗り切ろう!
と夫婦で約束し出発しました。
ところで話が少し逸れますが、今回行きに持っていったスーツケースは
大型1、中型1、小型1、で後は各自リュックという采配で荷物をセットしましたが
やはり予想通り帰りは荷物が増えてしまい義母が
「これを使いなさい」と、大型のスーツケースをひとつくれました。
「もう滑車の部分や持ち手の部分が半分壊れているから
日本に着いたら捨てればいいから」と。
そんなわけで帰路は大型2、中型1、小型1の計4つのスーツケースを飛行機に預けました。
内容は・・・
・大型1→お土産、衣類、乾物などの食品、デジタルアルバム、陶器など。
・大型2→たっくんのサンタさんからのプレゼント(ラジコン、電動式おもちゃなど)、衣類、
パテの缶詰複数、オリーブの実、コーヒーの大袋、真空パックのチーズ、
細長い筒に入ったリオハワインのポスター、レンズ豆2袋など。
・中型1→大型1とほぼ同じ。
・小型1→ビルバオでの着替えや洗面セット&PCのバッテリーや3DSのコード、
古いスマホ本体、スマホの充電のコードなどすべてのケーブル系のもの。
でした。
最終的に大型1、大型2、中型1、はMax23キロに合わせるために
最後の最後で多少入れ替えたりしましたが大体こんな感じで詰めた記憶があります。
余談ですが昔は30キロくらいまで余裕で大目に見てくれて特に何も言われませんでしたが
4,5年前から急に厳しくなったように感じます。
3年前のクリスマスは帰路ダメ出しを受け、マドリッドで急遽スーツケースを購入し、
それでもオーバーし、搭乗までのギリギリの時間で夫の服を片っ端から空港のゴミ箱に
バンバン捨てた苦い思い出があるので今回は厳重に重量コントロールをしました。
(今回は何の問題もないはず♪私完璧☆)
と絶対的自信を持ったまま、チェックインをし、重い荷物から解放され
各自リュックひとつになり、「長い道のりだけどみんなで力を合わせてガンバロー!」と
4人でハイタッチをしてドア・トゥ・ドア28時間の旅は始まりました。
しかしこの時はこのスーツケースの采配が
後から予測不可能な想像を絶するありえない事態になるとは
思いもよりませんでした・・・。
(つづく・・・)
ミズエ