よく、新聞を持ち歩く。
家で読む時間がないからなだけなんだけど、
日々の生活に新聞は欠かせないものになっている。
日々の生活に新聞は欠かせないものになっている。
昔親父が毎日新聞読んでて、よくそんなもの毎日…
なんて思ってたら自分がそうなってた。
ところで新聞って、色んな読み方がある。
1面からいくか、テレビ欄から読むか、っていうのもあるけど
(ちなみに僕が読むのは日経なので裏にテレビ欄はない)、
ここでいうのは新聞の扱い方、的なところでして。
電車の中にいると実に色んな新聞の読み方がある。
ん?折り方、といってもいいか。
半分に折ったり、4分の1にしたり、はたまたドバッと広げたり。
僕は大体半分に折って読みますが、
幅を取らないのと同時に、読み終わった後、重なりがずれにくいという利点から。
紙同士がずれてるとかさばってどうにもこうにもいかなくなる。
読む前はとっても美しく重なり合ってたのに、途端にゴミの様にみすぼらしくなる。
耐えられない。
逆にそれを気にしてるのが耐えられない、という人間もいる。
破くくらいぐちゃぐちゃにして読み終えることが読んだという達成感につながる人もいる。
例えば写真の伊原農。
僕が新聞を読んでいる。彼が読みたそうにしている。僕が貸す。彼が読み始める。
タイガース下柳の完投の特集に喜ぶ。返す。ぐちゃぐちゃな新聞を見て僕が抗議する。
彼は心外な顔をする。
新聞の読み方ひとつでも、人はこれだけ異質なんですな。
ちなみにうちの親父は、ずれるのを気にするあまり
朝取りに行った時点でホチキスで背を止めております。
こないだ実家に帰った折に発見して驚愕。
上には上がいた…。
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