メル、虹の橋のたもとへ。看取りの記録。 | 生活ノート

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私の大好きな猫メルは2024年6月2日の14時12分に息を引き取り、虹の橋のたもとにむかって出発しました。

メルを見送って1ヶ月が過ぎ、ようやく気持ちが落ち着いてきたのでこの記事を書こうと思ったところです。自分の記憶と、手元に残していたメモと、X(Twitter)に投稿していた内容を合わせて書いています。

はじめての看取りで不安なことがたくさんあり、メルのそばに居ながらたくさんの事を調べました。そのなかでペットを看取ったときのことが書かれたブログやYahoo!知恵袋の内容に助けられたのでメルを看取ったことが誰かの助けになれば…という思いで書き始めました。

メルを保護したのは2011年の11月7日です。動物病院で生後2.5ヶ月だろうと言われたので逆算して8月23日生まれということにしました。12年と9か月という長い時間を共に過ごした大切な相棒です。

2020年の6月に腎臓病と診断され、1週間に1度の点滴と毎日の投薬を続けていましたが、身体の構造による便秘だったせいで毎週の浣腸が1年間続いたこともありました。

私と出会う前の子猫時代に事故に遭ったようで、骨盤が狭くて便が出ない→腎臓病のせいで水分が便の水分が奪われる→便がくっついて巨大化する→骨盤が狭くて排便されないという負のループでした。

腎臓病になってから療法食の腎臓サポートをあげていたのですが、便秘が原因で入院し、激やせしたメルを見て「寿命が縮むことになってもメルが快適な生活を送ることの方が大事」だと決断し、フードを消化器サポートに変更しました。それから便秘に悩むことはなくなったのですが、今度は口内炎という敵が現れます。

最終的にメルの薬はフォルテコール(腎臓)、プロラクト(鉄)、モエギナール(痛みを和らげる)、プロナミド(消化を助ける)、抗生物質という5種類にまでなりました。

腎臓病になってからの4年で少しずつ食べる量が減り、少しずつ体重が落ちていきました。
体重が3kgを切った頃、チュールを週に1~2本あげるようにしました。若い頃にチュールをあげても見向きもしなかったのに、この頃はチュールを見せると小走りで駆け寄ってくる姿を見ることができました。いなば食品の闇が明かされたあとはシーバの「とろーり」に変更しましたがそれもよく食べました。

2024年の5月に入ってから不調が目立つようになりました。
口内炎が痛むのか、カリカリを食べる量が減っていき、体重もガクッと落ちました。便が出なかったので浣腸も2週連続でされて、かなりグッタリしていました。ウェットフードやピューレ状のフードをあげると少しは食べてくれたので食欲はあったのだと思います。

5月26日の通院で浣腸をされ、動物病院の先生から「腎不全がかなり進行している」と言われました。痛み止めは腎臓に影響があるから抗生剤で様子を見るように言われ、ご飯に用意したペースト状のフードを舐めてくれましたが衰弱しているのが分かりました。体重は2.2kgでした。
この時点で「そろそろかな」と覚悟をしました。このとき、死期が早まったとしてもお腹いっぱいご飯を食べさせてあげたいと考えていました。

5月28日(火)

メルがご飯を食べなくなってしまいました。

なんとか「とろーり」を食べさせます。
 

5月29日(水)

朝、ペーストのフードを水で溶かしたものをシリンジであげた後、すべて吐いてしまいました。5つある薬のうちなんとか3つを飲ませたときにメルがジッと見つめてきて「なんでこんなひどいことするの?」と言われたような気がしました。

出勤前に動物病院に寄って痛み止めを出してもらい、痛み止めの副作用で脱水になるから3日置きで点滴に行く事を先生と約束します。出勤はしたものの、メルのそばに居たかったので有給を2日取得しました。普段から真面目に働いていたおかげか同僚も上司も快く休ませてくれました。大事な会議が終わった後の暇な時期で本当に良かったです。

29日~30日

ずっとメルのそばにいました。
メルは飲まず食わずのまま、横になったり香箱座りをしていました。横になっていても目を閉じることはなく細目のままでした。目を開けていても目の焦点が合ってない感じでボーっとしています。

飲まず食わずが心配だったのでシリンジで水をあげようとしても痛そうにして暴れます。ジッと見つめられて「お母さんもうやめて」と言われたように感じました。メルの意思を尊重するために投薬・強制給餌を止めようと決めました。
点滴はメルを回復させてしまう可能性があること、腎不全になって尿が出せないことで余分な点滴が胸にたまって最期まで苦しめる可能性があることから病院には連れていかないことにしました。

・一緒に居る時間は短くなるけど苦しまずに逝かせる
・少しでも長く一緒に居られるけど逝くときに苦しませるかもしれない

この2つの選択肢が頭に浮かびましたが、私は腎臓サポートのフードを止めたときから、なによりも『メルが苦しまないこと』を一番に考えていたので迷うことなくこの選択をしました。

17歳6カ月の愛猫が息を引き取る瞬間は、とても静かで穏やかで… 獣医師の私がたどり着いた「終末期医療」とは
現代の医療では、飲まない/食べないとなると、脱水や栄養不足の改善にと補液治療をします。もう回復する見込みがなく寝たきりで意識のない人にも同様に、補液をすることが多いそうです。しかし、全身の臓器機能が落ちている終末期に何日も何日も補液を続けるとどうなるのでしょうか…全身がむくむのです。むくんだ腸は腸閉塞を起こして嘔吐するようになり、心臓はオーバードーズの血液をさばき切れず心不全を起こし、肺には水が溜まり血管が切れ、血の泡を吹くのです。つまり、地上にいながら溺れて苦しんで亡くなるということなのです。

↑こちらの記事がとても分かりやすかったです。
この選択をした30日(木)のXでは「どんな選択をしても後悔はあると思う。もっと一緒にいたいけど、メルが苦しい思いをしないこと、痛くないことが何よりも大事」とポストしています。

いつもの段ボールで丸くなったのを確認して就寝したところ、0時過ぎにメルが私の枕元に来てくれてしばらくの間一緒に寝ることができました。しばらくするとトイレに行き、そのあとは段ボールで丸くなっていたようです。この頃はフラフラしながらも自力でトイレに行けていました。

5月31日(金)

仕事の内容的にどうしても休めなかったので水とフードはいつもの場所に準備しておき、投薬はせずに部屋の温度を下げてから出勤しました。低体温になっているときは室温を下げた方が良いそうです。

このYahoo!知恵袋が分かりやすかったです↓
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10222345370
体温というのは、筋肉の活動や臓器の活動(消化など)で保たれています
食べてもいない、動いてもいない場合、体温をあげる体力もなくなってくるのであたためると返ってしんどくなってる場合もあります

もしホットカーペットから出て冷えた場所を探すようであれば、無理に温めるのをやめます
ここで腹をくくる必要があります
今際の際は、体温と温度のギャップが大きくなるほど苦しみが増します
体温がどんどん下がっていきはじめたら、下がる体温に合わせて室温を下げます


この日の夜、メルが歩けなくなったのかオシッコをその場でしてしまい、オムツを装着させました。以前に購入して残しておいたものです。これが最後のオシッコでした。【メルの呼吸は10秒に1回】

6月1日(土)

出勤のはずでしたが、同僚が「メルちゃんのそばにいてあげて」と勤務を変わってくれたので31日(金)は深夜2時まで夫と一緒にメルを見守っていました。

メルの寝床は居間に置いてある段ボールです。そのすぐ近くに水・フード・トイレを置いておき、私と夫の布団も運んできて居間で寝ることにしました。
深夜2時半頃に「にゃー、にゃー」という声で目を覚ますと、メルが布団の近くまで(這って?)来ていました。そっと抱き上げて枕元に寝かせ、朝まで添い寝をしました。

朝の6時半になるとヨロヨロしながら歩きだしてお風呂場に移動し、タイルの上に横になろうとしたので慌ててタオルを敷いたところ、気持ちよさそうに寝そべっていました。
たまに「にゃー」と話しかけてくるので負担のないように優しく抱っこをします。
抱っこといえば爪切りか投薬ばかりで嫌がられることが多かったけど「お母さんの最後のワガママ。だっこさせて?」とお願いするとおとなしく抱かれてくれました。

何度か抱っこしましたが、身体が温まると辛くなるだろうから程よいタイミングで元の場所に戻すようにしました。気休め程度とは思いつつ、YouTubeで「猫がリラックスする音楽」を延々と流しています。
この日は夫も仕事が休みでしたが、私のかわりに家事をしたり、私とメルが二人きりで話せるように庭の草払いをしたり、畑を耕したりしてくれていました。
メルが20時半頃までずっとお風呂場にいたので付き添っていた私は身体がバッキバキになりましたね…笑

夜は枕元にメルを寝かせて就寝。ほぼ徹夜だったから爆睡するかも…と心配していたものの、定期的に目が覚めてメルの状態を確認することができました。【メルの呼吸は8秒に1回、口からアンモニア臭がした(尿毒症?)】

6月2日(日)

朝の6時半、メルが布団から降りたので私もついていき、カーペットの上に寝転んで腕枕をしてあげました。部屋の電気は点けないまま、前日から聞いていたYouTubeの「猫がリラックスする音楽」をテレビで流すようにしました。

10時頃まで腕枕をしていたら、何かを探すようにして起き上がり、動こうとします。足の先がグニャグニャして歩けないようだったので身体を支えてあげると私の枕にうつ伏せになりました。枕の向こう側に水とフードがあったので水が欲しいのかと思い、メルを抱えて鼻先を水につけてみましたが違うようです。上半身だけ枕に乗せるとそのまま落ち着きました。
たまに枕から顔をあげて何かを探すような仕草をするので「お母さんここにいるよ」と声をかけて撫でてあげるようにしました。【メルの呼吸は5秒に1回】

11時40分頃、起き上がって何かを探すようにこちらに近づいたので抱き上げて膝に乗せると丸くなって落ち着きました。これまでは膝に乗せると顔を上げて私の方を見るような姿勢だったのに自分の前足に顎を乗せて寝るような形になりました。そろそろかもしれない、と思い、メルを抱っこしながら家のまわりや庭を散歩しました。泣きながら「大好きだよ」「メルと一緒にいて幸せいっぱいだったよ」と伝えます。

枕にうつ伏せに寝かせてあげようか迷いましたが、もしかしたら目が見えなくなって(機能が低下して)私を探しているのかもしれないと思ったので膝に乗せると先ほどのように丸くなって寝る姿勢になりました。飲まず食わずのままで5日間、ほとんど目を開けた状態だったので目が乾かないよう目元を撫でて瞬きするように補助していました。

飲まず食わずのままで辛くはないかと思ったのですが、水分を出し切ることで意識が薄れ、飢餓状態に、そして昏睡状態になり、眠るように旅立つという動物の本能なのだと考えました。

12時以降、手足をピーンと伸ばすことが何度かありました。【メルの呼吸は3秒に1回】

夫は私のおやつを買ってくると言って隣町で売られているイチゴサンドを買うために出かけていきました。二人きりにしてあげよう、自分がいないほうがメルが落ち着くだろうと思ったそうです。世界一優しい夫です。

13時頃から身体がピクッと痙攣したり、手足をピーンと伸ばしたり、ため息のようにフーっと息を吐くようになりました。【メルの呼吸は2秒に1回】

『虹の橋』の詩を読み聞かせして「メルがこれから向かうところだよ。虹の橋のたもとでたくさん食べて、たくさん遊んで、お母さんを待っててね」と伝えます。

13時45分頃から毎分フーっとため息のように息を吐きます。

14時頃から口呼吸に変わり、くしゃみのようにカッと息を吐く、フーっとため息を吐くことを繰り返すようになりました。これがチェーンストークス呼吸だとしたら、この頃にはもう既に意識はなく、苦しみや痛みは感じていないこと、けれども耳は聞こえていることが分かっていたのでたくさん話しかけました。

「大好きだよ」
「お母さんここにいるよ」
「出会ってくれてありがとう」
「メルと居られて幸せだったよ」
「虹の橋のたもとで待っててね」
「もし毛皮を変えて生まれ変わりたいと思ったときは、お母さんに分かるようにしてね」
「待ってても良いし、生まれ変わっても良いよ、メルに任せるよ」
「こわくないよ、もう逝ってもいいよ」
「たくさん頑張ったね」
「お母さんのことは心配しないで」
「大好きだよ、メルありがとう」

14時12分、最後にカッと息を吐いて、メルはそのまま旅立ちました。

目をあけたまま、眠るようにとはいきませんでしたがメルを看取ることができてホッとしました。もちろん悲しくて、寂しくて、たくさん涙があふれてきましたが、メルが苦しみや痛みから解放されたことが嬉しかったのです。

ペットロスが続いていて1ヶ月経った今でも不意に涙が溢れてくることがあります。
メルのそばにいるときに『ペットの声が聞こえたら』塩田妙玄,オノユウリ(朝日新聞出版)という大好きな漫画を何度も読み返していたおかげでペットロスは軽く済んでいると思います。このお話と出会っていなかったら毎日泣き暮らしていたはず…

最近はAmazonで購入した塩田妙玄さんの著作『ペットがあなたを選んだ理由』『たからものを天に返すとき』『ペットたちは死んでからが本領発揮!』を読んでいます。

メルと出会ったことの意味、メルからもらったもの、メルがおしえてくれたことを一つずつ感じる事でメルの死を受け入れることが出来るのだろうと思っています。

庭を散歩するメル

メル、出会ってくれてありがとう。
大好きだよ。