福島原発事故の際に「東日本は全滅する」とも言われてました。
あの頃のことを思えば、再度原発を稼働することはあり得ないですが「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」危機意識は国民にも議員にも官僚にも無い。しかし、相変わらず原発の不祥事は続いており、反省がありません。隠蔽体質、閉鎖性、など悪い企業体質は依然として残っている日本の電力会社は今後も危ういと思います。

ところで、この写真は福島原発事故当時の福島原発の内部のものです。吉田所長以下、フクシマ・フィフティの話は有名です。その行動も立派ですが、実はここにいること自体が非常に危険な状況でした。通常の空間の1万倍から10万倍の放射線量です。1年間浴びて良い量を数時間で達成するほどの量です。命懸けの活動でした。
しかし、彼らの心境は非常に複雑だったと思います。あなたなら、残りますか?逃げますか?社員は社員としての使命があります。それに従いますか?しかし、その社員も騙されていたのです。「安全神話」を住民より信じていたでしょう。原発内部で働くことを自分の意思でやっているのですから。
そうだとすれば、「俺は騙された」と思っても不思議ではないです。東電の幹部、あるいは科学者、あるいは官僚、裁判官、、そういう人たちが決めたことによって、事故が起こり、自分自身さえも被害に遭っている状況です。「俺は、言われたままにしただけで、俺が決めたわけじゃない。それなのに、なぜ命懸けで作業をしなければならないのか」という憤りです。本来なら、それを安全だと決定した幹部、科学者、官僚、あるいは裁判官がこの危険な作業をすべきなのです。
仮に、同じような状況で火事とか、地震、火山噴火、豪雨だったとしましょう。誰かがどこかで踏ん張らないと多くの人が危険な目に遭うとして、どうするでしょうか?自然災害の場合は、どうにもならない、つまり人間の力が及ばないからこそ、逆に動ける(逃げるにしても、立ち向かうにしても)のです。しかし、原発の場合は「人為的」だからこそ、問題があるのです。自然災害は訴える先が無い(あるとすれば神様)ですが、原発は作った張本人たちが存在するのです。つまり、避けようと思えば避けられたのです。そこに何とも言えない怒りや困惑があります。
ところで、チェルノブイリでも、同じ局面でした。あれが福島と決定的に違う点があります。共産圏は国の方針に服従せざるを得ない状況があります。なので、誰一人逆らえず、従順に従って多数の死傷者を出したのです。拒否すれば、刑務所行きでしょう。そういう点では共産圏の国は恐ろしいと言えます。いざとなれば個人の自由は無いのですから。
日本はそうではないから、また苦しむのです。自由意志で逃げることができるのに、逃げられない。しかし、ここで日本独特の精神があります。その精神は時には共産主義の命令より恐ろしい。同調圧力です。これもこの場面で大いに働いたと思います。なので、余計に苦しいと思います。「ここで同調圧力に負けるのか」という葛藤です。本来なら、さっさと家に帰って家族を伴って、遠いところへ逃げるのが人間本来の姿でしょうけど、それは集団の人間(日本人)だからこそ、組織人間だからこそできないのです。
その後、彼らの中で、反原発に動いた、あるいはその意思を表明した人は、知るうる範囲では吉田所長だけです。彼は「原子力を扱う資格があるのか」「人間に制御できるのか」「自然をなめていた」という言葉を残しています。彼だけがそういう俯瞰した見方をした、自分の意見を持っていた唯一の人間だったのだと思います。本来ならば、全員がこういう言葉を吐くべきなのです。吐きたかったでしょう。しかし、それができない日本社会だと思います。しかし、事故後に辞職した人は2年半で1400人にもなります。無言の反旗でしょう。
逆に、「会社人間」をその場で辞める決断をした人はさっさと逃げたでしょう。そういう人は、実は存在したはずなんですが、東電が公表しないだけだと思います。事故から数年後に私は福島原発の近くへ行き、種蒔き(1万人へ種を渡す活動)をしていました。自然食品店で、お店の人に種を手渡しつつ当時の体験談を聞きました。その方の話では、隣の家が東電の社員宅だったそうです。事故後、何も告げずに突然一家でどこかへ行ってしまったとか。危機的状況を知ったからこそ逃げたわけで、それを隣近所には知らせず自分たちだけが逃げていったことに非常に憤っていました。
そういうことは原発近くの住宅では数多くあっただろうと思います。本人込みの場合もあるだろうし、本人はこの写真の中にいるにしても、家族だけは逃げるように指図したとか。そういう点で、家族も肩身の狭い思いをしているわけです。そういう家族は二度と、福島には帰れないでしょう。そのような様々なドラマがこの写真ひとつから想像されるのです。
原発事故が起こると、今後はロボットも投入するでしょうけど、ロボットだけでは済まないことも起こるはずです。その時に、誰かが犠牲になり、危険なところへ行き、危険な作業をせざるを得ない。
放射線量の限度は各国ほぼ同じように決められており、通常は100から250mSvです。しかし、事故現場によっては、これを超えて作業せざるを得ない場合もあります。その場合はどうするか。中国など共産圏の国は強制的に命じることが可能でしょう。しかし、日本など自由主義国は強制はできません。その場合は、自己犠牲を望むものが出てくれば、許されるのです。福島原発事故では、吉田以下の部下はそれがあったでしょう。
義務と責任と同調圧力の日本だからこそ、そういう人も出て可能性がありますが、他国でもいざとなれば、プロ意識、あるいは責任感、あるいは年配者(若者を死なせられない意識)などにより、自己犠牲を申し出ることはあるようです。
そして、もしそういう人もいない場合はどうするか?あるいは、誰の命も犠牲にしない場合はどうするか?土地を放棄します。チェルノブイリはそうなったのです。福島も石棺にして、土地放棄の可能性がありました。今は、何十年もかけて、デブリを取り出す方法を選択していますが、果たして成功するのか。何年かかるのか、どれほどお金がかかるのか?全く、当初の計画通りにはいっていません。
ちなみに、通常の原発はコストが安かったのに、事故を起こしその処理に莫大な金(35兆円〜80兆円)がかかり、その分を差し引くと、原発はガス利用のエネルギーと同じくらいであり、水力や太陽光の1.2から1.5倍かかる計算になります。結果的には、原発利用は無駄、あるいは損をしたことになったのです。今後も原発事故が起こらないとも限りません。その度に膨大な費用がかかり、それを我々の血税が補うという馬鹿馬鹿しいことをするハメになるのです。
共産圏にしても、自由主義国家にしても、事故の際には人間が犠牲になり、莫大な費用がかかる点に関しては、非情な道具なのです。
ところで、もし核戦争があった場合は無論ですが、原発事故の際にも重要なものが核シェルターです。その設置率は韓国300%、スイスとイスラエルは100%、ノルウエー98%、アメリカ82%、イギリス67%と国によってまちまちですが、日本は0.02%です。
日本人は「安全神話」という言葉を生んだように、「大丈夫、大変なことは起きない」と思いたい願望が強いのか、核戦争などは起こらないという「平和神話」もあるように思います。それでなければ、隣の韓国が300%で、日本が0.02%は差がありすぎます。北朝鮮との距離の差はこれほど大きなものではありません。
日本の核シェルターついて調べてみると、ほんのわずか(三箇所)ですが、とうとう日本にも国民のための核シェルターが計画されていることがわかりました。場所は与那国島と石垣島、宮古島です。最も台湾に近い日本の領土です。以下政府の資料。核シェルターとは書いてありませんが、明らかです。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/shelter/kanjikai_dai1/gijisidai.pdf#:~:text=%E4%BB%A4%E5%92%8C6%E5%B9%B49%E6%9C%88%E3%80%81%E7%94%BA%E3%81%AF%E7%89%B9%E5%AE%9A%E8%87%A8%E6%99%82%E9%81%BF%E9%9B%A3%E6%96%BD%E8%A8%AD%20%E4%BB%A4%E5%92%8C6%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%80%81%E5%B8%82%E3%81%AF%E7%89%B9%E5%AE%9A%E8%87%A8%E6%99%82%E9%81%BF%E9%9B%A3%E6%96%BD%E8%A8%AD%20(%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E3%81%8C%E8%A8%AD%E8%A8%88%E6%94%AF%E6%8F%B4)%E3%81%AE%E8%A8%AD%E8%A8%88%E6%A5%AD%E5%8B%99%20%E3%82%92%E5%A5%91%E7%B4%84%E4%BA%88%E5%AE%9A%E3%80%82%20%E2%80%BB%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E8%A8%AD%E8%A8%88%E3%81%AF%E5%AE%8C%E4%BA%86%E6%B8%88%E3%80%82
日本人が一番避けていること=危機意識、を持つことが日本を、日本人を守ることになること。今の日本にはそういうことを先んじて考える人間が増えないと、日本は危ういと思います。そういう心構えこそが、安心できる未来を構築するための最重要事だと思います。災害が多い国にしては、危機意識が希薄ではないでしょうか。
防衛、防御も大事です。しかし、
なぜ、世界の政治家は核には核という弱肉強食的世界しか描けないのか?「力による平和」とは、つまり「人を殺さないと平和は来ない」ということです。我々人類には武器の前に言葉があります。戦後、アメリカが武力でなく話し合いで、ベトナム、アフガン、イラク、イランなどと交渉したならば、世界は全く違う世界になったでしょう。そして、いまだに交渉しているかもしれない。それでいいのです。本当の平和に必要なのは武器でなく、時間です。アメリカが平和だ、自由だ、民主主義だと言って、世界中で戦争して死んだ人間は数百万人。それほどの犠牲を出すほど、世界は良くなったのか?アメリカ自体が、世界を暗黒に導いている武力大国なのは、トランプに始まったことではありません。ずっと、そうだったのです。アメリカが動かなければ、テロが蔓延り、活動することもなかったでしょう。武力を使うから、武力で応戦するのです。
これはイランで学校が爆撃され死んだ100人余りの少年少女の写真です。平和時ならば、大罪になるのに、戦争だから誰も責任を取らなくていいのか。責任の所在どころか、どんどん忘れ去られています。

ここにはいろいろな問題があります。攻撃に際して、10年くらい前の資料に依存したことーここは以前、軍の施設があったのです。またAIにより攻撃目標を決めさせたこと。学校の屋上には学校の印がありましたが、それをAIは認識できなかった。ただし、ペルシア語だったようですが、今の技術ならどんな言語でも読めるはずです。あるいは裏読みした(軍が病院や学校になりすましていると判断)。安易にAIを使うことの最悪の弊害が出ています。また、ドローン攻撃や無人機ならまだ被害も少なくてすみましたが、この攻撃にはその何十倍も威力のあるトマホーク巡航ミサイル(450キロ)が使われました。しかも、続け様に3発打ち込まれました。一発目で助かったと思った子どもも、二発目で死に、二発目で奇跡的に助かった子どもも、三発目で息絶えた。アメリカ人の一人一人はどう思っているのか?彼らの税金がこの子どもたちの殺戮に使われたことをどう思っているのか?自国の大統領の判断をどう思っているのか?