僕は1980年7月生まれ

場所は福岡県北九州市の門司港レトロの近くで生まれた


ごく普通の工場勤めの一般サラリーマン家庭。


母方の実家もごく普通のサラリーマン家庭。


そんな中、母方のじいちゃんが大正琴を趣味としてしてた。
それも、地元の大正琴の発表会。



かっこよく言ったら



無料で行うコンサート



市民会館や文化センターなど、本格的なホールで演奏してた。
一人でではなく、十数名の団体での出演。



中でも、じいちゃんはみんなの手本。
言ってみたら先生。



師範と呼んでいいものかよくわからないけど、とにかく僕の自慢のスーパーじいちゃんだった。



ある日、じいちゃんが家で練習してた時、僕が興味津々で食い入るように見てた。



そんな僕を見るに見かねて、僕にさせてみたそう。



聞くところによると



一度目、まず曲を聴く



二度目、曲を聴きながらなんとなく弾いてみる



三度目、曲にあわせて一曲弾けるようになる



我ながら素晴らしい(笑)



これが、僕の音楽との出合いの原点。



だから、僕の音楽の一番最初の恩師は




じいちゃん



身内は、この事が故に、僕の人生を変えたとか、人生を狂わせたとか、『こんなことしても何にもならん』とか言う人もいるけど、僕にとっては



後に僕の心を、人生を救ってくれた、とても大きな存在



だから、他の人が誰であっても、この事を悪く言う必要なんて



ない



もう、今はこの世には居ないんだけど、僕の中では素晴らしい、じいちゃんであり、恩師、師匠



今もこれからも



感謝!!!!



それから僕も、市民会館や文化センター、公民館などで、じいちゃんと一緒に発表会に出演。



遠いところは、記憶の中では名古屋まで。



じいちゃんとばあちゃんと一緒に行った覚えがある。





時は中学生。



中学一年生の文化祭で、学年とクラスごとで音楽の出し物があった。



ある日、クラスで文化祭の出し物の決め事を話し合う時



曲目など、順調に進んでたのだが・・・



学年全員での出し物は、リコーダーでの(サイモン&ガーファンクルのサウンド・オブ・サイレンス)



これは、学年ほぼ全員がリコーダーなんだけど、他に



ドラム二人

ベース一人

ピアノ一人

指揮者一人



あとは・・・



忘れた(笑)



リコーダー以外を特別楽器と呼んでいた。



ドラム以外はすんなり決まったんだけど、ドラムが・・・



一学年全部で6クラスあったんだけど、各クラスから代表で二人決めないといけないハメに。



一人は、僕の友達で、ブラスバンド部のパーカッション担当のY君がずば抜けてドラムがうまかったので、問答無用で全員意見が一致。

うんもすんもなく、一人目は彼に決まり。



残るは一人。気になる決め方は・・・なんと





じゃんけん



勝っても負けても文句なしの公平勝負。



さあ、勝負!!



じゃんけん・・・ぽん



かっかっかっかっ

かったーーーー!



っという訳で、僕がもう一人の



ドラム担当に決定!



ちなみに、何でドラムに応募したかというと、単にみんなとは違う事がしたかったから。



人と一緒が嫌だから。



ということが根本的な理由(笑)



がしかし、この事がきっかけで、ドラムの魅力にはまっていき、それからの僕のドラム人生が始まる。



僕の父ちゃんが、とても理解のある人なので、ある日僕に初心者用のドラムセットを買ってくれた。



ありがとう

父ちゃん



それから、猛練習。



幸い実家は、一戸建てで、周りには、親戚の家、工場、海、川だったので、夜の8時、9時位までなら、ほぼ叩きたい放題だった(当時で)



なので、時間をなにも気にすることなく、ひたすら練習する日々だった。



ときには、父ちゃんの部屋に大きめのスピーカーがあったので、その部屋で大音量でコピー



ZARD

Mr.Children

X JAPAN

GLAY

LUNA SEA

B'z



などの曲を永遠と練習してた。



昼から練習して、気づいたら晩御飯時になってたということもあった。



時は、高校生。



高校二年生の頃に、先生と生徒でバンド愛好会というサークルがあると聞いて、すぐ飛びついた。



メンバーは、先生二人が、ボーカルとギター



生徒が、一人ベースで、僕がドラム



高校の文化祭で体育館でライブ。



曲目はMr.ChildrenとYELLOW MONKEYと河村隆一。



僕の出番は、Mr.Childrenのコピー二曲と、クラスメイトがボーカルで一曲だけ出演したんだけど、その曲は河村隆一のBEAT



ちなみに、この文化祭で一緒に対バンで出演してた人が、ショウゴ&マナブ



後の



175Rのショウゴさん



でも、直の友達じゃないんだけどね(笑)



そんな感じで高校生活送ってたんだけど、ある時、高校の音楽の授業がなくなると聞いて、高校を卒業する気持ちがゼロ



ヤル気ナッシング



なので、それまでは、高校を卒業したら大阪の音楽専門学校に進学するつもりだったんだけど、その計画も変更。



当時、バンドやろうぜという雑誌があったんだけど、その本に載ってあった、福岡市の音楽専門学校に高校途中からでも編入可能という記事を見つけたから、即連絡して、パンフレット贈ってもらって



よし、この専門学校に編入だ。



と覚悟を決めて、音楽の専門学校に面接に行き、見事



合格



なので、通ってた高校を中退。そして、4月から音楽専門学校に編入。



そして、(途中、色んなドラマ、出来事、葛藤があったんだけど)最後には晴れて卒業する事ができた。



ちなみに、その専門学校でのドラムの講師(僕のドラムの恩師)が、木村万作さん(ヒュージョンバンドのプリズムのドラマー、小田和正さんのサポートドラマー)



それまで培ってきた僕のドラミングをすべて否定。
無一文の状態になって、そこから先生とワンツーマンで猛練習。



先生の言う通りに



家に帰れば予習、復習。教え込まれた基礎練習と自分で考えた練習。



これの繰り返し。



そうやって、一からドラムの基礎を叩き込まれて、今の僕のドラミングを完成させる事ができた。



恩師に



感謝です!!!!



この場を借りて



ありがとうございました。



在学中、福岡市でバンド活動(北九州から通ってた)してたんだけど



ある時、あるバンドに加入してて、ライブの日、ライブのリハーサルが終わり、他のバンドのある方から声をかけられた。



ヘッドハンティング



最初はなんとなく仲良くなって、そのうち一緒にバンドを組まないかと言ってくれて、少しの間だったけど、僕も加わって一緒にバンド活動してた時期があった。



その人とは、後の



UVERworldのTAKUYA∞さん



どんな経緯で福岡市に居たのかは、聞いてないからわからない。(笑)



結局、そのバンドでライブをした直後、いきなり、ふらっとしてその場に座り込んで、立ってられなかった。
ものすごい目眩、目が回ってたり、
終いには視界が半分しか見えなかった。



あとで、病院にいったら、



ざっと診察しただけで、即答



網膜剥離



問答無用で即、入院



すぐ手術



うそやろーー



しかも、両目。



左目はレーダー治療。右目は全身麻酔の手術。



結局、それまでしてきたバンド活動も、その後のライブスケジュール、練習スケジュール等がすべて



パー



練習の予定もライブの予定もすべてキャンセル。



退院したときまで待ってもらえるわけでもなく、どのバンドにも属していない状態。



その後、いくつかバンドに加入したりしたが、前に進むことはなかった。



その後、波乱万丈。



結婚、離婚を二度経験して

簡単に書いてるが、誰もが想像つかない経験をしてきた。



簡単な言葉では済まない



当時、女に出逢いを求めなければ、結婚しなければ、ひたすら音楽に身も心も打ち込んでいれば・・・・



今頃、有名アーティストとして、世の中を羽ばたいていたのかもしれない。



それは、どうなのかはわからないけど



一つだけ言えるのは、今の妻と出逢うまでの僕は、結果、汚点だらけだったということ。
時には、当時遊びたい為に、僕の大事な機材を質入したり、売ってお金にしたり・・・



今の僕からしたら、



ふざけるなー



お前はバカかー!!



当時の僕にそういって、女にうつつを抜かすこと、ましてや、結婚することなど、言語道断。



お前の夢はなんだ?



お前の音楽に対する気持ちは、そんなものなのか?



って。



そう言って、全力で止めたい。



そんな、ありえない壮絶な、また、馬鹿げた人生を経験をしてきて、最終的に今の妻と出合い、今は音楽も個人で黙々と進めていってる。



これが、簡単にだけど、僕の音楽の歴史。



波乱万丈の人生のことは、書きたくなればいつか書くことにしようと思う。



もう、本当に音楽には、



申し訳ない事をしてきた



そんな、音楽に



ごめんなさい




謝っても、時は戻ってこないし、その間の音楽に打ち込めなかったものは、そうとう勿体ないことだと思う。



だから、これからその分も、一生懸命音楽に打ち込んで、心に残る曲を一曲でも多く作り、多くの人々に勇気と感動を伝えると共に、音楽に関しても、罪滅ぼし、また、学生時代身も心もボロボロだった僕を救ってくれたので、



恩返ししたい



だから、今もこれからも懸命に音楽に励んでいく。



僕が死ぬまで